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北京五輪


北京五輪が閉幕してから気が付けば1ヶ月以上が経っていました。
1ヶ月以上経っても私の中では全く消化できず、北京五輪という存在がお腹の底にずーっと鎮座しています。

過去2大会とは大きく違ったオリンピックにどう向き合えばいいのか、答えが出ないまま割と濃いめのモヤモヤを抱え続けています。
見ているだけの私ですらこうなんだから御本人の心情の複雑さはもうどれほどのものでしょうか…。いや意外とスッキリしてたりして…。というふうにああでもないこうでもないと永遠と謎の自問自答を繰り返しています。現在進行形で。


このnoteは私の気持ちを整理して記録していくためのものなので、今の気持ちを細かく分析してみようと思います。今回も見切り発車だけど書いているうちに何か見つかるといいなあ。



北京五輪の結果が出てから、自分のnoteのマイページを開くのが辛くて、割と見ないようにしてました。
なんでかというと、1番上の記事にフリー前日に懸命に祈る私がいて、その望み通りの結末にならなかった現実との乖離が辛いから。


どの試合もそうだけど、今回もひたすらに祈ってました。厳密に言うと勝利を祈っている訳でも4Aの成功を祈っている訳でもなく、羽生結弦さんが報われること、幸せになれるようにと祈っていました。羽生さんが4A成功に向けて踠く4年間を見ていたから、3連覇を目指すと言ったから、それらが達成されたら羽生さんは報われるんだろうなと思ってた。


祈るとか願うとかってなんなんでしょうね。全く目に見えなくて、本人に届く訳でもなくて、物理的に手助けが出来るわけでもない。いくら何かしてあげたくても手助けしてあげたくても何もできない自分が自己満足を得るための手段でしかなかったのでは、、。と思います。ひねくれてるかもだけど、、。


でも、北京へ向けた祈りの日々は自分の中で宝物だったとも思います。なんだろう、羽生さんが夢を追いかけているキラキラした部分のおこぼれをもらったような感じ。息を止めて練習を見つめた瞬間も、新幹線で4A席を選ぶとかいうちょっとした願掛けも、上杉謙信ゆかりの神社に足を運んだりとかも、かけがえのない時間でした。




応援するとは、共に夢を追いかけること
という言葉を北京後の何かの記事で見ました。
この言葉には半分同意で半分違和感です。
夢を追う日々のキラキラを共有させて貰ってたのは間違いない。でも、我々は夢を追う上でのリスクを全く背負ってませんでした。羽生さんが4Aを追いかけている中で犠牲にしてきたものやこれから失うかもしれないもの、それらは我々ファンには直接作用してこないからです。
リスクがなければ誰だって夢をひたむきに追いかけるんじゃないかな、と思います。自分もそう。
真っ直ぐに夢を追いかける人が輝いて見えるのは、同時に大きなリスクを背負っているという事実やその分犠牲にしたものの多さが見え隠れするからではないかなと思います。少なくとも私はそういう人に惹かれます。
どんなに頑張っても羽生結弦さんが背負っていたものをファンで山分けすることはできないので、せめてそういう事実だけでも心に留めておきたいと思いました。




羽生結弦さんにとって北京五輪とはなんだったんだろう、といつもぐるぐる考えてしまいます。
大会前、私は4Aを決めるのに相応しい場だと思っていました。羽生さんもそう思ってたんじゃないかな、と思います。
実際、4Aは今まで見たどの4Aよりも完成型に近かったのではないかと思います。着氷には辿り着けなかったとしても、ベストを五輪のあの時にもって来れるのはやっぱりすごいの一言です。全日本のときまだまだ遠いかと思った回転も片足での着氷も、成功まであと一歩のところまで来てるように感じました。羽生さんもご自身でベストだったと言ってたと思います。

でも限界値が見えてしまったジャンプでもあったのではないかとも思いました。ここ数年どんな手を使ってでも、どんな激しい練習を積んででも届かなかったジャンプ。最後の最後に羽生さんが一抹の望みをかけたのがいわゆる五輪パワーだったんじゃないかなと思うんです。

全てをかけて、今しかないという瞬間で力を出しきっても尚届かなかった時、どんな気持ちになるのかもう凡人の私には全く想像がつきません。でも、人間ができるかも分からない技をひたすらに信じて、真っ直ぐに挑み続けた羽生結弦さんはそれはそれは美しかったです。


羽生さんはフリー後に修造さんのインタビューで「努力って報われないな」と話してました。この言葉は結構テレビで取り上げられて、ニュースやワイドショーなんかでも話題になってましたね。
世間的には羽生さんって成功者とかそういうイメージだと思うんだけど、なんだろう、報われてる部分ってほんのほんの一部なんじゃないかと思うんです。
世間が思ってるほど羽生さんは安泰に勝ち続けている訳じゃないし、特にここ数年は楽しそうな顔よりも辛そうな顔を沢山見てきました。


だからせめて4Aに関しては報われてくれよ、と思っていました。二連覇をしても莫大なファンを抱えても調子に乗ることもなく、「羽生結弦」を守り続け、恐らく修行僧のような生活をしていたんだから、さすがに報われなかったらおかしいじゃんって思ってた。
羽生さんの今までの競技人生って、いや競技に限らず歩んできた道のりって、本当に辛いことや我慢や犠牲の連続だったと思うんです。それが今までの五輪での2回の勝利という強烈な幸福によってなんとかバランスが取れていたのではないかと感じていました。4Aが北京で決まらなかったらどうしようと恐れていた理由がこれでした。多分。
それでも、「報われなかった今は今で幸せ」と言った羽生結弦さんが私は本当に好きだなと思いました。


エキシの練習では、過去のプログラムを沢山滑ってくれました。
なんていうか、羽生さんにはフィギュアスケートがあってよかったなあと思いました。スポーツだけど、自己表現の手段にもなるもので心底よかったなあって。
前何処かでみたんだけど、シューマンがクララとの結婚を反対されている時期に歌曲ではなくピアノ曲を書きまくっていた、とかいうエピソードがあります。ピアノなら何でも言えるからです。
羽生結弦さんにとってのフィギュアスケートは、シューマンにとってのピアノ曲のようなものなんじゃないかとも思います。氷の上は、背中に莫大な錘を抱えている羽生さんにとって唯一無二の何にも縛られない自由な場所に見えました。

やっぱり、本当に特別なスケーターだと思いました。あんなに氷に愛されて、氷を愛する人間いないんじゃないかと思います。


そんな羽生結弦さんに絶対に幸せになってほしいと、結局祈るしかない日々です。


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