人生の満足度は幸せかどうかは関係ない。
お金があるかどうかもそこまで重要ではない。(必要最低限のお金は必要だが)
じゃあ人生で満足を得るためにはどうしたらいいのでしょうか。
私なりの考えを書いていきます。
■まずそもそも「幸せ」というものを追い求める時点で、ラットレースに挑んでいるようなものなのだと思う。
「幸せ」の正体についてはまた別に一つの記事として丁寧に書いていこうと思いますが、ざっくりというと「幸せ」ってコントラストによって簡単に得られる側面もあり、コントラストによってなかなか得られない難しいものでもあります。
「幸せ」なできごとや状態を手に入れたとして、それがずっと続いてしまうと、「幸せ」が徐々に「当たり前」の定義の中に吸収されてしまうのです。「幸せ」が続いてしまうと、「幸せ」だったできごとや状態に対して、慣れが生じてしまい、脳内に「幸福感」の正体である神経伝達物質が流れなくなるんじゃないかと私は考えています。
つまり幸せとは不幸な時とのコントラストによって感じるものなのだと考えています。
もしも、今が食料も物も金もない戦時中だった場合、甘いお菓子が食べられただけで「とても幸せ」なはずです。なんなら命があるというだけで、ありがたいはずです。不幸や辛いことが日常である分「幸せ」を得るためのコスパがいいのです。
今は「幸せ」を得るためのコスパがかかり過ぎるような気がしています。
だからって「幸せ」を得るために「不幸」や「苦労」を選ぶのもおかしな話でして。
■それに加えて「幸せの具体的な形」というものを成型されていることがある
「幸せの具体的な形」をいつの間にか企業によって、国によって、SNSによって、親によって、友人によって、パートナーによって影響されたり、ときに洗脳されたりしているものです。
本当のところ、幸せの具体的な形なんてケースバイケースであるのに一辺倒な考えしかない人が多い。とくに、重度な洗脳状態にあるものは
結婚=幸せ
マイホーム=幸せ
子供を産み育てる=結婚したら当たり前にやること
とか
一夫一妻 = 誠実
という方程式を皆が盲目的に信じ込んでいる。
まあ日本の半分を超えるぐらいの人はこの方程式が当てはまるのかもしれないが当てはまらない人も結構いるはず。
たとえば、
・同性愛である自分を押し殺して普通の人になろうとしている人(そもそも"普通"の定義なんてその時代のマジョリティによって常に変化するものだが…)
・ポリアモリーな人
・発達障害、天才気質なため一般的な社会生活に溶け込むことがままならない人(結婚よりもクリエイティブな方へ進んだ方がうまくいく人)
・子供が苦手な人、子供に愛情を注げない人、子供という野生動物を育てられない性格の人
そんな人たちが、結婚=幸せ という方程式にのっとって結婚・子育て・マイホーム購入しようものなら…
地獄がまってます。
地獄はちょっと言いすぎでしょうか…どんなできごとにもポジティブな側面がついてるものですけれども、それでも辛いことのほうばかりだと思うんですよね。
以上の理由から、「幸せ」という概念的であいまいな存在を追いかけることは、空気をつかもうと必死になっているようなものだと思うのです。
まぁでも、たしかに一瞬「あ~、幸せ」という感情を得ることはできますが、その感情の正体であるドーパミンなどの神経伝達物質が絶え間なく一生脳内で分泌し続けるかと言ったら一生は続きません。ドラ.ッ.グに頼るわけにもいきませんし。
■「幸せ」という神経伝達物質をたえまなく分泌し続ける生活を望み努力するよりも、目指すべき指針は
納得感
これだと思うのです。
自分の人生に対する納得感
これなら継続的に感じることができるものですし、人生の満足度を上げる鍵だと思います。
自分の人生に満足できるようになるために、「幸せ」を追いかけるのではなく、「お金」を追いかけるのでもない。
そうではなく、主体性を持ち、これは自分の意志で選んだ道なのだという納得感を道しるべにして生きれば、人生に満足できると思ったのです。たとえ波乱万丈な人生だとしても、そんな人生を自ら望んで内心楽しんでいる人もいます。
"やらされてる"
これが一番辛いのですよ。裕福だろうが貧乏だろうが関係なしに。
主体性とは、どんな状況においても自分の判断や意思で責任を持って行動する態度や性質のことです。
責任を背負い、嫌われる覚悟をもてば、自由が手に入ります。なんでも自分で決めていいのです。最終決定権はいつも自分が持つのです。自分の人生という舞台の最高責任者は、雇い主や、親、子供、パートナー、政治ではなく自分自身とするのです。
どんな結果になっても、「やらされたこと」ではなく自分で決めたこと。
いい結果も悪い結果も自分のせい。
私は、誰かのせいにするほうがしんどいと思うんですよね。
人によっては、誰かのせいにしたら楽だし、自分で意思決定できないから、だれかのいいなりになったり、メンターを探して過度に妄信するほうが楽だという人もいるかもしれません。
しかし、人の言うことを聞いたり、自己犠牲をすることによって幸せになろうとして、万が一幸せを得られなかったとき。その人のことをものすごく恨みます。その恨む気持ちの方が私はしんどいんです。
自分で決めた方が心が楽です。成功しようが失敗しようが、「次がんばろう」ってなる。
ネチネチした感情を引きずらなくて済む。だから、私は悩んだとき人に相談することがあまりありません。相談したとしても最終決定を下すのは自分だと言い聞かせています。
全ては自分で決めたことなのだ
この感覚があれば、納得感を持って生きていけます。
誰か尊敬する師匠やメンターを見つけて、その人に従うことでさえ、「信じる人」「信じるという行為をすること」を自分で決めたことなのだ という自覚が大事だと思っています。つまりそれは「信じることをやめる」という選択肢も同時に手に入りますので、妄信して詐欺にあうこともなくなるでしょう。
まとめ
人生の満足度は幸せかどうかは関係ない。なぜなら幸せというものは常に相対的なものだし、自分にとっての幸せの形をちゃんとわかってない人の方が多いから。よくわからないまま「幸せ」を指針に人生を生きてしまうとラットレースにはまり、そして路頭に迷うこともある。
何を道しるべにして生きればいいかというと
「納得感」
これを指針にしよう。
自分の人生に納得感を持つにはどうしたらいいのかというと
「主体性(責任)」
をもって常に自分の意志で、人生におけるあらゆる選択肢を選ぼう!
と、いうことが私の言いたかったことです。
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※以前はアメブロにて別名で人間観察日記を書いてましたのでそちらの内容と被る部分があります。
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