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大切な友人ほど、目の前から姿を消していった [摂食障害だった友人]

大切な友人が目の前から姿が消えたことが、2回ほどあった。

どちらも、当時中々周囲では分かってもらえなかった感情を分かち合えた2人だった。

1回目は、摂食障害のつながりで知り合った同じ栄養士で、友だちのS。

2回目は、自分の思う自分と、周囲の思う自分のギャップに苦しんでいたとき、友だちになった。

2人共、私によく似ていた。

一人で悩みを抱え続けてしまい、誰かに本当の悩みを言いたいのに、素直に悩みがあることを人に伝えることができずに悩みがあることを一切疑われないフリができる所がそっくりだった。

彼らは一人で抱え込み、自ら命を絶つという選択肢を取らざるを得なくなるような危うさを持っていた。

そんな彼らとは、私が誰とも分かち合えなかった感情を分かち合えたことで、永遠に続くと思われた孤独から一時開放してくれた大切な存在だった。

そして、驚くことに2人ともSNSを辞めて、音信不通になってしまった。彼らの抱えていた苦しみと戦っていた末の選択であったと思う。

その気持ちも痛いほどわかってしまうからこそ、彼らのことは責められなかった。故に私は、この憤りをどこにぶつけたら良いかわからなかった。

自分の感じそこねた感情をnoteに書くことで精算していきたいと思っている今、思い出したのが大切な友人の話だった。

目の前から消えてしまったけど、今でも大切に思う友人2人の話を書かせてもらおうと思う。
そして、これをもし読んでいたら連絡をしてほしいなと思う。

同じ理由で栄養士を志し、同じくベンチャー企業にいた友人S

私達が出会ったのは、あるインターン先だった。
その頃の私といえば、やりたいことを見失っていて、自分探しの真っ最中だった。

お試しでインターンやってみようかと思い、某ヘルスケアベンチャー企業にお試しで入った。そのときにSと出会った。

9.5割ほど男性の会社だった。Sとは同性ということと、同じ栄養士であることや、摂食障害だった背景が重なり、あっという間に打ち解けた。

摂食障害によって、自分の心をコントロールできずに自己嫌悪の毎日で追い込まれた経験があり、同じような人を救いたいという気持ちから栄養士を志していた。だから私たちは似ていた。

パーソナルトレーナーとして、栄養管理や運動管理などをしていた彼女は、完璧主義に見えてしまうほどに気配りが上手く、本当に繊細で敏感な性質を持っていることは手に取るようにわかった。

そして、自己犠牲を払いがちな性質で、摂食障害という自傷行為を行わざるを得ない思考になることも十二分に理解できた。(いや、もしかしたら今だから理解できるのかも知れない。)

また、強い恐れを抱きながら生きている姿もまるで自分のようで、そんな弱みまで見て取れてしまった。そしてその弱みも人に見せたくないことも不思議と自分のことのように理解ができた。

・・・

そんな彼女と、後日知り合いが製作していた摂食障害をメインにした映画を一緒に観に行った。

(詳細は当時まとめていたので、よければ↑)

その頃の自分は、自分が摂食障害だった過去なんて、とてもじゃないけど人に話せないと思っていた。

しかし、彼女が当事者同士話して初めて分かち合えた友人だった。私は本当に救われて、21年間ずっと恥じ続けていた自分を受け入れられる一歩をくれた。
出会って日は浅かったが、既に大切な存在だった。

当時人に話せなかった自分の摂食障害の話ができたことで、今までにはなかったつながりを感じて『自分独りだけじゃないんだな。』と初めて思えた。不思議とこれから長い付き合いになるんだろうな、と思った。

・・・

友人の失踪と、私の喪失感

そして映画を観た数日後、彼女は摂食障害を患っていたことをFacebookでカミングアウトした。

彼女は柔道の選手で、スポーツ強豪校の高校だった。その中で減量しなければならない状況下に加え、"こうあらねばならない"という家庭環境が彼女を苦しめたこと、男性から暴力を受けていたこと、当時の不安定な心情、周囲の視線に負けそうな弱い自分の姿...など、本当に全て書いてあった。

彼女の葛藤や苦しみが、投稿ページいっぱいに書かれていた。

その様子は、"すべてを書く勇気があった"というよりも、"書くことで勇気を手に入れようとした彼女の覚悟"という感じがした。

書くことで、自分を変える決意をしているようだった。そして、その裏にあった彼女自身の計り知れない恐れも同時に感じた。

そして締めくくりには、明るい未来を生きようという気概が伺える抱負のような一文。
このカミングアウトが、彼女の一歩になるはずだと思った。

しかしその数日後、友人は消えた。

LINEもMessengerも繋がらなくなった。彼女の勤め先からも失踪してしまったと聞いた。

・・・

彼女が失踪したと聞いたときは、自分が支えになりたくて即連絡をしたが、音信不通だった。連絡の取りようがなかった。

だから、今生きているかもわからない状態だった。

救いになれなかった自分が嫌になった。
連絡が取りようがなくなってしまったから手段が絶たれてしまってやりようが無かった。

彼女に対して怒りも感じたのは確かだったが、彼女の消えたくなる気持ちも重々理解できた。

なぜなら、私も同じような気持ちに陥ったことがあるからだった。しかし、そこで自分との連絡手段を絶たれてしまったことは、確かにお互いが感じていた信頼関係さえも、初めから無かったようで何より悲しかった。

同時に、私に対してそこまでの信頼を抱くことができなかった彼女の心境を思うと、またやるせない気持ちになった。

誰も信頼できなくて、自分で抱えるしかなく、自分でいることを諦めそうになる気持ちは痛いほど分かるから、その気持ちを思うと当人と同じくらい苦しくなる。

自分を責めすぎてどうにかなるのも時間の問題かと思われる雰囲気はお互いに持っていたが、出逢えて語り合えたことで以前よりもラクになったと、少なくとも私は彼女との関係性の中で感じていた。

自分に負け続けてきた弱すぎると思われるような心を、お互いに支え合えると思っていたが、実際は違っていたみたいだということを知らされたようで、ほんとうはショックだった。
これが、私の中の奥底に隠された感情だった。

大切なものを守れなかった自分の無力さ

大切な友人を救えなかった無力な自分にも嫌気が差した。いまどうしているのか分からないため、大事に至っていないことを祈るしかできない自分もまた無力に感じる。

『自分の大切な人に寄り添うことができなかった自分に生きている価値がない』と思った。

『大切な友人は目の前におらず、好きな自分でいられない世界もまた、生きる価値がない』と思った。

同時に、友人Sと一緒に過ごしている自分でいられることはもうないのかと思うと、自分の中の一部を失った感覚になる。
友人Sと過ごしていた時間のお陰で、以前よりも自分を好きになれたからだった。

もしあのとき連絡が取れたなら、今の自分ならありのままの友人を受け入れて、何があっても側にいると伝えられると思う。もっとも、当時連絡が取れていたら今のような考えまでに至れていなかったとは思うのだが。

そんなことを思い出して、書いている今涙が溢れてしまう。

そして、この出来事は、私は思い出さないようにしていたのだと今日やっと気づいた。

ほんとうは、私はこの出来事によって傷つき、痛みを感じていたのだった。

しかしこの出来事を思い出すことはなかった。きっと痛みを再発しないための自己防衛だったのだと、今日初めて気づいた。

だから、人と関わることが億劫に感じ、人に感情を感じないように徹していたのだと辻褄が合った。皮肉にも悲しかった出来事を思い出すことで、知らない自分をまた新たに知ることができた。

今あの友人が今どこで何をしているか分からないが、生きていたら良いなと心から思う。生きていたら、またいつかどこかで会って語り合いたい。

もしも、彼女が死の選択を選んでいたとしたら、私は責めずに受け入れるだろうと思う。それも彼女の選択だからと尊重するはずだった。

もう一人の話も書きたかったのだが、長くなったので明日書こうと思う。

今こんなときだからこそ、愛について深く考えられると思い、この経験を書くことが"今私にできること"だと思いました。

読んでくれてありがとう、ではまた!

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