見出し画像

何をするかよりも、どう在りたいかを大事にしたい

私は、転居や転職・放浪と、昔から「思うままに生きている」や「自由に生きている」ように見られることが多くて、不思議に思っていた。
今もたまに自分に言われる言葉を受けて思うことがある。
私の主観としては、周りの認識とは逆で、自由を全然感じられなかったが故に、自由を求めて移した行動という認識だった。

周りの思う"自分"と
自分の思う"自分"のズレ

そんな私に、
「起業するの?」
「自分でやったほうがいいよ!」
とアドバイスという名の押し付けのような言葉を掛けられたことがある。

そういう場面があると、
人の夢を聞くことに躊躇がなく
土足で踏み込もうとする人が多くないかと
違和感を抱いてきた。

そして、
そういった言葉を聞くと
How to - やり方にこだわる人が
多いんだなぁと思った。

そして、
周りから見た私の認識としては
How to - やり方にこだわっているように
見えるんだなぁとこれもまた、
他者との認識のズレに不思議さを抱いた。

"何の仕事をするのか"などの問の答えは
それらは手段でしかないと自分は思う。
そして、全ての手段は結果論でしかなく、

その先の目的としては
私は私でありさえすれば良いはずなのに、
私が私の生き方に納得感高くいられれば
それで正解なはずなのに。

まわりはそうでないと感じる時に、
いつも違和感を抱いていた。

アイデンティティ-do と在り方-be

人生を迷走していたときに、
私は自分の"アイデンティティ(Do)"も"在り方(be)"も分からなくて悩み続けていた。

去年あたりに自分の在り方に対する答えが明瞭になってきたことで視界が明るくなって、未来が拓けていった感覚があった。

納得の行く"在り方"があって初めて、
"何になるのか(do)"があるということが
自然に感じるなぁと振り返ると、より思う。

昔は、今でこそ言葉で書けているけれど、
ここまではっきりとはできていなかった。
しかし、感覚的にはずっと抱いてきたものだなと思う。


在りたい自分

周りの御縁ある人を大切にしたい。
過去関わってくれた人や、今関わっている人、未来に関わるであろう人を大切にしたいと願っている。
そしてそれは、自分なりの哲学で、大切にしたいと考えている。

一言でいうと、自分の願う"在り方"は
「今この瞬間を生きて、
何より自分自身に誠実でありたい。」

つまりこれは、
自分の心根に正直でいたいということ。

「大切にしよう」と思っていても
実際にできなかったり、
失敗するのが人間という生き物だと
感じてきた。

そんな中での私なりの答えとしては、
周りを大切にするには、
誰よりも自分自身に誠実であること
だと考えている。


なので、これはいつも念頭に置いておこうと思っている。

自分で在れないとき

在りたい自分で在れないと、
いつも自分を嫌いになって、
自己嫌悪のループになってきた。

このループは、
自分の生きる意味がわからなくなり、
生きる規範が一つも分からなくなるほど
苦しいと感じた。

そういう人生の局面で私は、
「生きることは苦しみである」
ということを腑に落ちて知ったとき、
心が軽くなった体験があった。

「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」

仏教の教えの中にも、上記の言葉があった。

苦しい中でも、在り方だけは変えられる。
そして、在り方を見つめ直した後についてくるような"何になるのか-do"は、揺るがないものだと、自分の体験を通じて私は心から感じている。

だから、在り方を私は大事にしたいなぁという話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?