心境

おじいちゃんが亡くなり、今日で1ヶ月が経ちました。今でもたまに、嘘だったんじゃないかなと思うことがあります。電話をしたら少し耳が遠くなったから「あ?!?!」って聞き返してくるそんなおじいちゃんが出てきそうな。

資格の勉強をしていて、緩和ケアやターミナルケアという言葉が出てきて、おじいちゃんのことを思い出しました。私のおじいちゃんは2020年6月から在宅酸素を使った生活をスタートしました。コロナが流行り始めた頃体調が悪くなり病院を受診。酸素をつけたおじいちゃんの体調は決して良くはならないながらも酸素があれば一緒にお買い物や月に1度の通院に通うこともできました。たまに外に出て庭仕事もできました。休み、休みではありましたが家で過ごせるこのおじいちゃんとの暮らしがこれからも少しずつ続いていくことを疑いませんでした。高齢であり、何があるかはわからないと思いつつもその何かが訪れるのはきっとまだまだと信じていました。

年明けからおじいちゃんの体調の変化が多くなりました。緊急入院などもありましたが、その度に回復して帰ってきてくれたおじいちゃん。私がおじいちゃんと顔を見て直接お話ができたのは2021年の3月末が最後となりました。1度目の緊急入院から退院した直後でした。覚えているのは、やっぱり家がいいと言ったおじいちゃんの言葉です。4月に自宅で意識を失い救急搬送されましたが救急車で意識が戻り数週間入院をしていました。その最中電話で話をしました。またこの時も「早く良くして帰るから」と言っていました。そして、この時はじめて【終末期】という言葉を聞きました。何度もGoogleで検索しました。いよいよか…と覚悟をして、夜に思い出して泣いていました。ただ、その数週間後おじいちゃんは退院しました。おじいちゃんが自分の病状を知っていたのかはわかりませんが5/1に家に帰ってきたとのことです。5/1の夕方に電話をかけました。その時もしっかりしていて「こっちは大丈夫だから!心配しないで!なっちゃんも元気で。」と声をかけてくれました。

おじいちゃんとの直接の会話はこれが最後にな。ました。その数日後5/8のお昼に再び自宅で倒れ、意識は戻らずに5/10の14:05おばあちゃん、お母さん、私が見守る中ゆっくりと旅立ちました。

おじいちゃんとの出来事を書くとやはりまだ涙が溢れます。もう切り替えたと思っても、悲しみに押しつぶされることもあります。私の後悔は二つあります。そして後悔から学んだ事を書き残します。

一つは3月に会った時におじいちゃんに感謝を直接伝えればよかったこと、もう一つはしつこいほど5/2以降も毎日電話をすればよかったということです。頭ではおじいちゃんの体調がもう良くならないこと、もしかしたらこの先は長くはないかもしれないことを理解していました。

ただ、次会える時に…!という思いがあったことで少し先延ばしになりました。その先延ばしで、思っていた次が二度と来ないこともあることがありました。思い立ったら会って。会えない方にはすぐ電話をして。そのタイミングが吉日だったりします。今、この瞬間というタイミングを大切にしようと思いました。

もう一つは人の死について初めて本気で考えたことです。私は大好きなもう一人のおじいちゃんが私が7歳の頃に亡くなりました。そのおじいちゃんの持病の糖尿病のことや、おばあちゃんがした介護のことを大人になった前職の時に学びました。大変な病気です。ただ7歳の頃はおじいちゃんの死に対して向き合うというよりは怖い、誰かの死は怖いという感情のまま止まっていました。だからこそこの年での向き合い、受け止めるまで全てはは初めての経験でした。

正直に言うと全く受け入れられていないかもしれません。まだまだ。これからです。

ただ、おじいちゃんがどこかで今の私を見たらどう思う?ということが浮かびます。その度に、おじいちゃんを安心させてあげたい、喜ばせたいと思うと悲しみの多かった朝もおはよう!いい天気だよ!今日もよろしくね!とお参りをしてスタートできます。悲しみ続けることはおじいちゃんにも私にも辛い。それなら、笑って過ごそうと思いました。少しずつそれを意識しています。

生活がそれで一変しました。

少しずつ、前を向いていけばもしかしたら、良いのかもしれないと思います。

1ヶ月が経ち、おじいちゃんは今何をして、何を思い、過ごしているのでしょうか。

わかりません。

でも、私は私で。私らしく。生きることが最善で。何よりそれ以外できることがなかったのです。できることがあればやる。

それだけです。

大好きだからこそ、私はこれからもおじいちゃんのお参りをして、私も私以外の人もやっぱり、幸せになってほしい、又はできる範囲で、してあげたいと思いました。



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