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臨床心理士【小松藍生】が、学校に行けなくなった理由


「あなたはもう自由だ。これからは、好きなことをして生きなさい。」


北海道一の進学校合格を果たした藍生に、両親はそう言った。


他人はこの言葉を聞いて、感動的な親離れ、子離れの瞬間だと思うだろうか。

実際は真逆だ。


この言葉は、今にも崩れ落ちそうな彼女の心に、とどめの槍を刺すことになった。



子供の頃の藍生は、とても明るくて賑やかな性格だった。


ただ、彼女は小さい頃の記憶が、あまり残っていないと言う。


その理由は「勉強を頑張ることが、自分自身の価値」だと思っていたからだ。


子供らしく姉妹や友達と遊び回り、自分の気持ちの赴くままに行動することは少なかった。

幼稚園の頃から学習塾に通い、私立小学校受験も経験している。


その理由は定かではないし、彼女の意思でもないだろう。


勉強を頑張れば親や弟妹が認めてくれる。


教師も褒めてくれる。


その喜びから、とにかく幼いころから勉強だけを生きがいにしていた。


成績を上げること、勉強を極めることが、彼女をずっと支えていたのだ。


3人姉妹の長女である藍生は、親からの多大な期待を背負っていた。


テストで99点を取っても、決して褒められない。


「あと1点をなぜ間違えたの?」と責められたという。


彼女は自分の意思や気持ちに従って生きるよりも、親が求める自分を目指すことに必死だった。


藍生は、勉強だけをただひたすらにしていたわけではない。


人に褒められるようなことは、全てやった。


周囲を喜ばせること。


人を助けること。


「ありがとう」と感謝されることを、常に求めた。


学級委員にも積極的に立候補し、クラスのリーダーとしての立場も獲得したのだった。


しかし、そんな頑張り屋の彼女には、心を許せる友達がいなかった。


その寂しさを感じてはいたが、だからってどうすることもできない。


彼女は気持ちを許せる友達がいないコンプレックスを、更に勉強や委員会活動に向けて消化しようとした。


中学は校区を離れ、学力の高い進学校へ入学。


そこでももちろん、勉強や委員会活動に明け暮れ、親や教師、クラスメイトからの高い評価を得ていた。


中学2年の頃には、ずっと求めていた親友の存在もできた。



藍生にとって、この時期はとても順風満帆なように見える。


しかし、本当のところは首の皮一枚で繋がったような、危うい状態だったのかもしれない。


中学生活最後の年、合唱大会のまとめ役である、指揮者に立候補した。


指揮者を選ぶ方法は、他の生徒たちによる多数決。



その多数決で藍生は、選ばれなかった。



彼女の心に、ピキッと音を立てて亀裂が入った。

「周りは私を認めてくれているんじゃなかったんだ。」


幼いころからずっと追いかけてきた自分の理想像が、崩れ去った瞬間。


彼女はこのころから徐々に、体と心の調子を崩していった。


それでも藍生は、周囲に認められるために地面を這った。


高校は北海道で一番の進学校に合格。


体調が思わしくない日も増えたが、これから始まる輝かしい高校生活に期待を寄せていた。


しかし、高校の入学式前日。


両親から唐突に、この言葉を投げかけられたのだった。


「あなたはもう自由だ。これからは好きなことをして生きなさい。」


今まで散々、成績のことで厳しく叱り、発破をかけてきた。


それももう終わりだと、告げられた。


これからは自分の思うとおりに生きなさい。


好きなことをして、自由に生きなさいと。


両親としては、彼女を認めたからこそ放った言葉だっただろう。


今までよく頑張ってきた。


散々成績のことで厳しく言ってきて悪かった、そうも取れる。


しかしこの言葉は、藍生を奈落の底に突き落とした。


今まで彼女は、親や姉妹、先生、友人など、周囲の人に認められるためだけに生きてきた。


両親の価値観や、両親の望む良き娘になろうと、鞭を打ってきた。


それが突然「もう自由にして良い」と言い放たれたのだ。


もちろん藍生は、両親がどんな意味を込めてこの言葉を言ったか分かっていた。


両親にとっては、励ましの言葉だったはずだ。


彼女の理想像は、この言葉を喜び、糧にして躍進する姿。


しかし現実には、自分が何を求めているのかも分からず、心が折れ、目の前が真っ暗になるだけだったのだ。


生まれてから15年間、ずっと他人からの評価を軸にして生きてきた彼女は、自分の意思や感情を持っていなかった。


小学生の頃、まとめていた学級会での場面が蘇る。


「あなたの意見は?」


「あなたからの提案はないの?」


人をまとめることはできても、自分の意見や気持ちを探すのは難しかった。


両親に「自分はこれからどうしたら良いか」を尋ねてみる。


しかし、もう自由なのだから、自分で考えるべきと言われるだけ。


藍生は、自分の意思や気持ちを考えれば考えるだけ、苦しくなった。


自分のことが、まるで分からないからだ。


高校入学後、藍生の体調はどんどん悪化していった。


風邪を引いたわけでもないのに、熱が出る。


胃が痛み、体の至る所から脂汗が滲む。


こわい。
あせる。
たすけて。


それでも、自分がなぜこんな感覚に陥っているのか、理由が分からない。


何が怖いのかも、何に焦っているのかも、何から逃げたいのかも分からない。


体調の悪化と共に、精神的な歯車が狂い始める。


あんなに大好きで、生きがいとまで感じていた勉強が、ついに分からなくなり始めた。


学校に行くのが億劫になるけれど、なぜ学校に行きたくないのか、なぜ勉強が嫌になってしまったのか。


その理由も分からない。


人間は「分からない」ということに、とても大きな恐怖感を覚えるものだ。


勉強に着いていけないと両親へ打ち明けても「だったら塾に行く?」という提案がされてしまう。


彼女にとって必要なことは、塾ではない。


しかし、傍から見ると、ただそれだけのことに見えてしまうのだろう。


藍生は、学校に行けないという、立派な理由が欲しかった。


大人たちに


「それは仕方ないね、大変だったね。」


そう言ってもらえるような理由があれば良かったが、不登校の始まりはこうも曖昧だ。


いじめられたわけでもない、具合が悪いわけでもない。


理由もなしに学校を休むことは、ただの「怠慢」と受け止められてしまう。


いや、理由はちゃんとある。


でもそれを説明する術を、高校生の藍生は知るはずがなかった。


高校1年の夏、ついに胸の痛みが始まった。


心臓を刺すような痛み。


息がつまり、呼吸がしづらい。


空気に酸素が入っていないのかと思うような感覚。


ある日突然、藍生は


「今日、具合悪いから学校休みたい。」


と小さく一言、ポトンと落とすように言った。


今までずっと思っていたことを、ようやく言えた安堵感。


その安堵の上に覆いかぶさる、後ろめたさ。


嘘をついたわけではないのに、嘘をついたような気がした。


それからは時々、こうして学校を休みたいと訴えることが増えた。


両親は「またなの?」と怪訝そうな顔を向ける。


はっきりと理由の分からない、学校へ行きたくないという気持ち。


藍生は今までずっと感じてきた不調や違和感を、いわば本能のようにして表現し始めた。


その途端、不登校という出来事が彼女を強く激しく追い詰めることになった。


彼女の母は、こう言う。


「何を言ってるの。まぁとりあえず学校行けばいいじゃない。具合が悪いわけじゃないんでしょ?」


キョトンとして、少し苦笑いを浮かべている。


「学校すぐ近くなんだし、行けない理由がどこにあるの?何か嫌なことがあったの?」


母が心配そうに見つめている。


それでも、藍生は「学校に行きたくない。」この言葉しか、思いつかなかった。



だって、どこから何を話せばいいか、分からない。


何がいけなかったのか、何が理由なのか、自分でも分からないのだ。


でも、このままこの状況を続けたら自分が壊れる気がした。


本当は学校に行きたいし、今まで通りの褒められる自分を演じ続けたい。


でも、もう藍生を動かす原動力となるものが、何もなくなっていた。


両親のいらだちは次第に加速していった。


朝、藍生が布団で蹲っていると、布団をはがして首根っこを掴み、引っ張り出そうとしたこともある。


強く引っ張られ、首元が締まって、苦しい。


「私は親に殺されるのか」藍生はそう思った。


母は、途方に暮れたような顔でため息をついている。


母にそんな顔をさせる自分、家からすぐそばの学校へ行くこともできない自分。


そして、その理由すら説明できず、泣くことしかできない自分。


親の日々のいらだちは収まらず


「いい加減にしなさい!なぜそれだけのことができないの!」


そんな怒号が飛び交うようになる。


藍生の自責の念は、どんどん強まるばかりだった。


それからは、学校の先生も訪問してきた。


先生の言葉も、まるで藍生の心に響かない。


なぜなら「理由がないなら、学校に来れるはずだ」という前提で、会話が繰り広げられているからだ。



藍生が学校に行けない理由は、彼女の人生そのものだった。


たった一つの出来事、たった一つのハプニングが原因とは限らない。


自分の子供が学校に行けないと言ったら、親はどうしても理由が知りたくなる。


それは当然だ。


しかし、理由が見つからないことや、説明できないことは多々ある。


彼女のように、物心ついてから今までの生き方全てに、根本的な原因が隠れているケースは珍しくないのだ。


何の理由もなく、普通のことが普通にできなくなるわけがない。


大人はそう思ってしまう。


しかし、今までできていたことが突然できなくなることに、理由がないわけはない。

大量の感情や記憶の中に埋もれてしまった「原因」を、自分自身でも探せない状態なのだ。


不登校は、一見地獄の始まりかと思うかもしれない。


普通の道を外れる、とんでもない事件だと思うだろう。


しかし、それは勘違いだ。


彼女はやっと、自分の意思で自分の心の声を表現した。


一見不幸が始まったようにも思えるし、実際に彼女とその両親、弟妹、教師たちは困惑し、翻弄された。


でも、不登校という最悪の事件は、絡まった糸を解くための最初の取っ掛かりになるのである。


彼女の幼少から不登校になるまでを見てみれば、一目瞭然だ。


「学校に行きたくない」


この言葉は、とても単純な言葉。


しかしこのたった9文字に、壮絶な思い、言葉にならない感情が詰まっている。

崖から飛び降りるほどの勇気を出して、この9文字を言えた子供。


彼らを強く抱きしめ、大きなボタンの掛け違いに気付いてあげてほしいと、心から願う。


(原案/小松藍生・文/夏野新)


臨床心理士として子供たちのサポートやカウンセリングを行っている小松藍生さん。
Twitterではこまっちゃん(@indig0live)の愛称で活動中。 現在塾講師やボランティアを通じて、若き青少年の育成に携わっています。フリー・スクール・スタディ・カウンセラーという独自のサポートを構想中。
ご自身の経験を通じて、挫折経験のある子供たちにも希望を持ってもらえる指導をしていきたいと考えていらっしゃいます。




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