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原体験と3つの指針

私は強いメッセージ性のある「原体験」を持っていると思う。

昔……というよりも、つい去年あたりまでは自分の過去に対して悶々とした、言葉にできない負の感情を持っていたのだけれど、今は驚くほどにそのモンモンがない。そして、世の中に憎むべき人がひとりもいない。

たまには自信のなさや劣等感のような、めんどうなものにグイグイ押されることもあるんだけれど、おしくらまんじゅうを繰り返しながらも、少しずつ前進できている自覚がある。

それは、原体験が示してくれた3つの指針よる影響が大きい。

指針①:時間は未来から過去に流れている

過去があるから今がある。

そう考える人は大勢いるだろうし、私も少し前まではそう思っていた。昔あんなだった私は、裏側の人生を歩むんだとずっと思っていたんだ。

しかし、そうでもなかった。

私は「今の現状に対して、過去がある」と考えられるようになった。

なぜこのような見方ができるようになったかといえば、やはり酸いも甘いも噛分けられる年になり、ものごとを多角的に見ることができるようになったからだ。

現状見えているものは、大きな六面体の一面に過ぎない。

もっと離れて、遠くから全体を見渡すことができるようになると、それはたった一面ではなく六面の立方体であることが分かる。しかも、その立方体は、私だけが見ているものであり、他人にも必ず同じ立方体が見えているわけではない。人に何が見えているか、完全に分かることは一生かかってもできない。

確かなことなんて一つもないと分かれば、過去のことも、今のことも、いいことも悪いことも、全部あっていいし、愛すべき存在だと思えるのだ。

指針②:カオス理論で成り立つ私たち

カオス理論は、バタフライ効果とも呼ばれる。ほんの少し条件が変わるだけで、その周辺の結果には大きな変化が現れるという理論のことだ。

バタフライ効果という名は「ブラジルで蝶が羽ばたけば、テキサスで竜巻が起こる」という例え話でよく知られている。気象学者が提唱したものだが、これは私たちの現実にも置き換えて考えることができる。

たった一つのできごとが、様々なことに波紋を起こし、影響している。

家を出る時間があと1分早ければ、事故に遭わななくてすんだのにと嘆く人がいるとしよう。その人は、家を出る前に数分間カギを探し、時間のロスをしていたかもしれない。カギは、小さな子供がいたずらして、いつもある場所になかったのかもしれない。小さな子供がカギをおもちゃがわりにしたのは、お母さんが子供をベビーゲートの中に入れなかったからかもしれない。ベビーゲートの中に入れなかったのは、お父さんが「そろそろゲートはいらないんじゃない?」と言ったからかもしれない……

こうやって、人の行動は全て他人に影響している。

だから、今生きていること。のんきにアイスを食べながら書き物をしている私はどれだけ幸運であり、幸せ者なのだろうと思い知らされる。それは、誰に言われれるでもなく、自分で気づくことが大切であり、心からそう思えることが本当の幸せだとも感じる。

指針③:自分に必要な知識を得ること

私は、自分がどういう人間なのかをずっと知らなかった。家族関係や環境要因によって作られた「固定観念」と「フィルター」によって、本当の自分が分からなかった。

だから、自分の声に忠実にとか、自分の素直な気持ちを信じてとか、そういう類の言葉をかけられても、全く理解ができなかった。

でも、本当の自分を知らないという状況には、やはり違和感を覚えるものである。居心地が悪くて、感情のコントロールもうまくいかない。普通に生きるのが難しい、生きづらいという感覚だ。これはなんだかおかしいぞと気付いたのが、15歳のときであった。

そこから私は自分に必要な知識を得ていくことになる。何で私は普通じゃないのか。何でこんなに苦しいのか。本当の自分って何なのか。生きづらいって何なのか。

それを教えてくれたのは「知識」だ。

ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」というものがある。自分が何も知らない「無知な存在」だと知ることが、本当の認識に繋がっていくという考え。

人間は何も知らずに生まれる。みんな最初は何も知らないのだから、まずは少しずつ知ることから始めればいい。自分を見つめて、知識を得て、それをうまく関連付けて、自分なりの人生のレポートを書くのだ。それが、自分らしく生きるということなのではないだろうか。

そして、そのレポートはこの世界に生きるすべての人が、違う内容でなければならない。同じレポートだったら、盗作扱いで却下されるだろう。

みんなちがって、みんないいのだ。違えば違うほど、評価されることだって、あるのかもしれない。

自他の原体験を知ることは人を愛すること

原体験という言葉が流行っているなどと言われてもいるが、流行っているとかいないとかそういうことはまるで問題じゃない。

誰もがルーツを持って生きており、何かに突き動かされている。気づいているかいないかの違いだけで、原体験はあって当たり前だ。

もっといろいろな人の原体験を知りたいし、人を知ることは人を愛することに繋がるとも思っている。

そして、この世の中は最終的に愛がすべてだとか思っているのも、こっそり書いておく。


※この記事は、さかき(sakaki)さんのこちらの記事へのアンサーです。

原体験を書いて思った3つのこと|さかき(sakaki) @YukiSakakibar10|note(ノート) https://note.mu/yuki9682/n/neb47b84f462e











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