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彼女は私の友達じゃない、あの子のお母さんなんだ。


傷付いた思い出は、ずっと消えない。

彼女と同じ車種の車を見るとドキッとするし、同じ背格好の人を見ると物陰に隠れたくなる。

彼女の家の前を通るとき、見たいような気持ちを抑えて、わざと見ないようにする。

私は彼女に傷付けられたと思っていたけど、先に傷付けたのはもしかしたら私だったのかもしれない。



長男が初めて幼稚園に入園して数ヵ月、保育参観が行われた。


私にはママ友達や知り合いがいなかった。

昔ながらの教育方針の幼稚園だった為、参観している保護者が一人ずつ自己紹介する時間が設けられた。

普段、子供からお友達の名前を聞いていても、顔と名前はまだ一致しない。当然、どの子の親がどの人なのかも、全く分からない状態。

保育参観の自己紹介では「〇〇の母の、〇〇です。」「〇〇の父です。」と、素性が判明することになる。つまり、そこから交流や繋がりに発展するのだ。

参観が終わると保護者と子供たちが一斉に動きだし、話し声に包まれる。ガヤガヤとした雑音の中、場の緊張感が少しずつ薄れていく。

「〇〇君のお母さんですか?」

後ろから不意に、ひとりの明るい声に呼び止められた。

「うちの子がいつも〇〇君と遊んでいるって言ってるんです。お世話になってます、ありがたいです。」

とても明るくて気さくな人だと思いつつ、私も同じような挨拶をした。

「子供が遊びたがっているから、お家に遊びに来てくださいね!連絡先教えてもらえますか?」

と彼女の話は続く。


あぁ、やっぱり幼稚園ってこういうやりとりがあるものなんだなぁと、少し他人事のように受け止めていた。感じの良い人だったし、息子からもそのお友達の名前をよく聞いていたので、連絡先を交換することにした。

長子の入園、誰とも交流がないというのも不安だ。1人くらい知り合いのお母さんがいないと、ちょっとした相談事を話せる人もいないし、困るかもしれない。

そう思い、彼女が声をかけてくれたことに感謝した。私はその場で、彼女の電話番号と「知代さん」という名前を携帯に登録したのだった。


家に帰ると、知代さんからメッセージが入っていた。

「チューリップ組さんの仲良しグループラインがあるので、そちらに招待しますね。」

あぁ、なんということだろう。その可能性は考えていなかった。私はあの明るくて気さくそうなお母さんと、個人的に知り合いになるつもりだったのに。

「私は、グループラインは遠慮させてもらいますね。」

当時の23歳の若造だった私は、そんな風にはっきりと言えなかった。


周りのお母さんは、10個も15個も上の人ばかりだった。知代さんも、私の15個年上。それだけで、無条件に立派なお母さんに見えるものだ。息子のことを考えても、一匹狼を貫く度胸などなかった。

あれよあれよという間に、大きな派閥に入ってしまった。


後から知ったことだが、そのクラスにはすでに大きな派閥が2つあった。

第1子組と第2子以上の派閥。上の子がいる人たちと、初めて幼稚園に入る人たちのチーム。

知代さんは、第1子組のボスママだったというわけだ。


その第1子グループは、6人グループだった。その中でも、うちの息子は知代さんの子ととても仲が良かった。それもあって、知代さんは何かと私に目をかけてくれた。

イベントや習い事に誘ってくれたり、ランチや飲み会にも誘われた。知代さんはアクティブな人で、思ったことも割とズバズバと言う。でも、嫌味な感じがしないので、それが彼女の良いキャラとして確立されているように思った。

正直、すべての付き合いに参加することはできなかった。ただ、キツイと思うことも多かったけど、楽しいと思うこともたくさんあった。無理なことや気の進まないことは、理由を付けてうまく断っていた。

それでも、かなり密なグループだった。知代さんは周囲の人を巻き込む力のあるタイプ。グループ内で仕事を紹介されて働いているお母さんもいたし、子供の習い事も積極的に「一緒にやらない?」と声をかけて回っていた。

幼稚園の役員に立候補しようと誘われて、一緒に役員もやった。無理やり誘われたわけではない。私は知代さんのパワーに惹かれていたし、その明るくてストレートな人柄に、無性に惹かれてもいたのだ。

そんなこんなで、とても親密な「ママ友」になっていった。幼稚園の後にお互いの家に行くこともしょっちゅう。習い事も一緒に行ったし、役員も一緒。知代さんは、何かと私にお土産をくれたり、息子のことを褒めてくれたり、面倒見の良い人だった。

私は当時母親と確執があって、一切頼っていないという話をすると「私があなたのお母さんになるから、いつでも頼って!」と強く言ってくれたこともあった。そうやって良くしてくれる知代さんは、私と息子の人柄を気に入ってくれたのだと、信じて疑わなかった。


そんな、仲良しのママ友だった私たちは、入園から2年以上たったころには、園でほとんど話もしなくなってしまった。

その理由は、私が2人目を妊娠したからだと思う。

知代さんは2人目を望んでいたけれど、年齢的なことや旦那さんとの関係など、色々な事情によってそれが叶わなかった。私はそのことを知っていたから、知代さんに報告するのはとても言いにくかった。

だからと言って、隠すわけにもいかず、折を見て「実は…」と事実を説明した。

そのときから違和感を感じていた。知代さんは私の妊娠報告に対し「あら、そう。」と言ったきり、他には何も言わなかったから。そのあとも、妊娠・出産の話は極力しないようにした。と言うより、できなかった。

知代さんとはその後も普通に仲良くしていた。私はそのつもりだった。

でも、私が出産すると、知代さんは少しずつ変わった。産後すぐ、知代さん率いる例のグループの中のお母さんに、息子の習い事の送迎をお願いしたことがあった。彼女には、産前から「私が連れて行くから、いつでも言ってね。」と声を掛けてもらっていたから。

すると、知代さんから「あなたは彼女にいつもお世話になっている。これ以上お願いをするなら、ちゃんとしたお礼をするべきなんじゃないかな。」

「もし彼女があなたの子供の面倒を見ていて、自分の子供の面倒を見れなかったら可哀想すぎる。」

という趣旨の、批判的なメールがきた。私は産後、ホルモンバランスが乱れていたこともあって、このメールに大きく狼狽えた。怖い。私は自分の出産を理由に、図々しいことをしてしまったのだろうか。早くお礼をしなきゃ。早く何かお礼をしなきゃ。

このころから私は、知代さんが怖くなってしまった。

私は下の子の世話で、知代さんやグループの人と交流する機会も減っていった。習い事でみんなと顔を合わせても、ハイハイして動き回る下の子を見ていると、輪に加わることはできない。私はそれに救われていた部分もあった。下の子の面倒を理由に、知代さんやグループから離れられるかもしれないと、思った。

そうこうしているうちに、知代さんと私はほとんど話をしなくなった。2年間ずっと一緒に通った習い事も、ある日突然知代さんの子供は違う曜日の違うクラスに変更されていた。

「〇〇くん、なんできてないの?〇〇君がこないなら、行きたくない。」

息子はこう言って泣くようになった。

私は腹が立った。自分が誘っておいて、散々私たち親子に取り入って、突然ポイっと捨てられたような気持ちがした。

“あなたのお母さんになるから、何でも頼って…”

そこまで言ってくれたのに、信じた私がバカだったんだなぁと、悔しかった。何が理由か正確に分かったわけではないけど、私たち親子は知代さんに嫌われたのだ。もしくは、興味がなくなったのだろうか。それとも、嫉妬なのだろうか。



誰にも相談できないまま「私が知代さんに嫌われた」という事実だけがずっと心に残っている。

そして、知代さんに傷付けられたという思いも残ったまま。


でも、本当に傷付けられたのは私なのだろうか。

後から気付いたことだけど、当時のチューリップ組で一人っ子だったのは、私の息子と知代さんの息子だけだった。

他は全て第2子以降、または既に下の子がいる家庭だった。


そういうことか。境遇が同じだったから、私にあんなに良くしてくれていたのかもしれない。私の人柄なんて、好きでもなんでもなかったのかもしれない。

それを勝手に私が勘違いして、私を応援してくれているだなんて思って。知代さんは、ただの「ママ友」であって、親友じゃない。

同じ学年に唯一いた「同じ境遇の一人っ子」を見つけて、嬉しかったかもしれない。心底安心したかもしれない。それがある日突然、知代さんと私の間の大きな共通点が、失われていたのだと気付いた。

私が知代さんに変な気を遣っているのも、分かっていたのかもしれない。そういう変な気遣いに、腹立たしさを覚えたかもしれない。せっかく授かったのに、動きすぎてお腹が張ったりしている私を見て、苛立ったのかもしれない。

彼女をかばうための理由は、いくらでも見つかった。

つい数年前までは、知代さんに対する怒りが消えなかった。15歳も歳が違うんだから、子供を授かることで比べられたらたまったものじゃない。私は2人目を授かったけど、知代さんが年齢を重ねた分だけ持っているたくさんのものを、私は持っていない。

私は心の中でそう思っていた。誰にも言わないだけで、心の中で罵倒していた。ひどい、大人気ないって。

それがきっと、彼女にも伝わっていたんだと思う。私を好きだったわけじゃなかったのね。男の一人っ子同士だから、すり寄ってきただけだったのねって。

知代さんは、あの子のお母さんだから。同じ境遇の子供と仲良くさせることが、大切だと信じていたんだ。自分のたったひとりの可愛い子供のために。ただそれだけ。


知代さんは私の友達じゃない、あの子のお母さんなんだ。


あれから5年以上経った今も、彼女の乗っている車と同じ車を見ると、運転席を確認してしまう。知代さんの家の近くを通ると、チラッと覗きたくなる。知代さんのこと、とても好きだったから。


でも、彼女はたまにスーパーで顔を合わせても、当時を懐かしがったりしない。

「ずいぶん地味だから、全然気づかなかったわ。」と、出会ったときと同じ、明るくて気さくな口調で言う。彼女なりの、強がりなんだと思うと、腑に落ちる。

私は知代さんのことが好きだった。今も、彼女の家や車のことが気になってしかたないのは、本当に彼女の人柄に惹かれたし、救われたし、楽しかったからなんだろう。

彼女は私のこと、本当はどう思っていたのかな。

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