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【宮古島・前編】永遠の楽園で刹那の生に焦がれる

9/1追記:写真を追加しました。

8/25

鬱々とした私を置いて日付は進み、沖縄旅行の日付が迫っていた。そもそもこの旅に関してはひと悶着もふた悶着もあり、なんなら取りやめても良かったのだが、毎度おなじみの先輩が「ぜひ一緒に行こう」と前のめりだったのでキャンセルせずにおいたのだった。暗い顔は見せまいと前泊・後泊をして、せっかくなので仕事もすることに。そうやってなんとか奮い立たせなければ、何もかもが崩れてしまいそうだった。

羽田から乗り継ぎ便で到着した宮古島は京都よりずっと涼しくて拍子抜けする。タクシーで宿に乗りつけて一息つき、仕事へ向かう。急な申し出にもかかわらず対応してくださった先方様には感謝しかない。徒歩30分ほどかけて宿へ戻ったけれど、楽しむ気持ちが湧いてくることはなく、カロリーメイトと水を突っ込みながら伺ったお話をメモして寝た。

島のおじいさんと一緒に暮らしているネコ。声をかけて撮らせてもらった

5月くらいからの動騒は、知らぬ間に心身を蝕んでいたらしい。ステップアップの貴重な機会に、必要以上に力が入っていたのかもしれない。プライベートでも色々あった。研究関係はなんとか進めているけれど、人生で初めての大仕事に足がすくむ思いは常にある。Apple Watchのバンドもサイズ4から2になった。「このまま霞みたいに消えちゃえば楽かもな」などと考えて、「いかんいかん、修論と同じやんけ」と我に返るあたり、いっぺん折れといて良かったな、とか思う。


8/26

気持ちの良い宿で目覚めたところで、塞いだ気分は上を向かない。それでもさすがに外に出たほうがよかろうと宿を出る。とくに目的地もないので、仕事に関係しそうな場所(島の反対側)を目指すことにした。

宮古島には電車がないので、移動はバスかタクシーになる。ただしバスは利用客があまりいないらしく、最寄りのバス停まで徒歩30分、頻度は1時間に1本ほど。運賃は800円、それも事前にアプリをダウンロードしてPayPayで支払う仕組み。正直なところ利便性は低い。まあ、タイミングが良ければ乗るか。とバス停を目指していると、なんだかんだで景色は良くて、写真をいろいろと撮った。

そもそも私のパーソナリティとして、たとえ気持ちが塞いでいなくとも、テーマソングはこれ↓だ。「今年こそはシベリア鉄道に乗るぞ」と思っていたら世界がこんなことになって、行きたいところには行けるときに行くべし、と誓った。

モスクワを擁して / ふる feat. 初音ミク

私は常々、旅は精神的な引きこもりだと思っている。日頃の生活から離れてガンガンにEDMを聴き、見慣れない事物をどう撮るべきか頭を巡らせていると、何が好きで何が嫌いか、否が応にも向き合わざるを得ない。青い空とハイビスカスのビビッドな煌めきを浴びているのに、撮った写真はやっぱりこんな調子だった。

その後はバスを40分ほど待ったけれど、定刻をしばらく過ぎても来ず、気持ちが萎えたので宿へ戻った。先輩の到着時間が近づいたので空港へ。アロハシャツにブルーのパンツで出迎えると、「めっちゃ沖縄やん」と先輩。いつもと同じテンションに、食いしばった奥歯がほどけていく。

夕食は繁華街で取った。地元で無料配布されている観光雑誌(BBcom)を開き、「明日どうする〜?」と話し合う。日頃から「起きたら行きます」がデフォルトだから、観光だってこんな調子だ。

「まあ元気なうちに海とか入ったほうがいいんじゃないですか。スノーケリングとか」「じゃあ、それで。」

こうして、午前中はスノーケリングツアーに申し込んだ。久々の海とあり、夜更かしもせずに眠った。

パリで撮った写真↓と似た構図だったので思わず撮った

8/27

「7時半に起きてなかったら起こして」そう言われたので、先輩の部屋のドアをノックする。中からノックが返ってきたので、安心して部屋に戻り、タクシーを呼んだ。

観光雑誌から選んだのは、個人で営んでいるらしきガイドさんだった。貸切ガイドなので、他のグループに遠慮する必要がないためだ。マリンシューズとライフジャケット、スノーケルを装着し、ビーチへ向かう。先輩は泳ぎに慣れていなさそうだったので、ガイドさんの持つレスキューフロートにつかまらせてもらい、ゆっくりと泳ぎ始めた。

水面に顔を浸すと、そこには楽園があった。青や黄色の魚が忙しなく行き来して、「こんな色合いでも、ここでは保護色になるんだよな」とか思う。

このツアーではガイドさんも水中カメラを持っていて、写真を撮ってもらえた。

心地よいぬるさの海水をかき分けていると、ガイドさんが不意に示す。「カメがいますよ」

小ぶりなウミガメだった。ゆったりとした動きに見えるが、慣れない人間の泳ぎでは追いつけないほどに速い。ウミガメの進路を邪魔しないよう、距離をとりながら写真を撮った。

予想外で嬉しかったのは、水中カメラを貸してもらえたことだ。実は私も数年前に購入したのだが、取り回しが不安で持ってこなかった。ライフジャケットにカラビナで2点留めすれば気楽に持ち運べることがわかったので、次回は必ず持ってこようと思う。

ツアーのあとは昼食を取るために30分ほど歩いた。このカフェはロケーションもメニューも最高で、グルメな先輩もご満悦だった。雑貨屋をひやかし(※)、「このあとどうします?」とたずねると、「せっかくだしもう少し泳ごう」とのこと。ガイドさんの丁寧なレクチャーのおかげで力の抜き方がずいぶん分かり、楽しくなったようだった。

※ひやかす=大阪方言で「ウィンドウショッピング」を意味する。

道路からビーチへは専用のリフトで降りる。高級ホテルが立ち並ぶエリアなので、何もかもが整備されている。ライフジャケットとゴーグルをレンタルして海へ入った。

泳いでいるとウニがいたので、先輩に伝えようと顔を上げる。すると、当の先輩が手招きしていた。近くまで泳ぎ、「どうしました?」とたずねると「ウニがおる」。お互いにウニを発見しあっていたようだ。

「そろそろ上がろう」と言われたので、出発地点とは違う浜から上がる。簡単に戻れるだろうと思ったら、石灰岩がごろごろしていて、とても裸足では歩けないほどだった。

「だからマリンシューズを借りようって言ったじゃないですか」
「ツボ押しだと思えばなんとかいけるはず。俺は行く」
「えーっ」

ヒィヒィ言いながらなんとか上がると、次に待っていたのは灼熱地獄だった。真っ白に舗装された道は、足をつけていられないほどに熱い。もしも将来、犬を飼うことがあったなら、暑い日にアスファルトを歩かせることは絶対にするまいと誓う。

「クソ痛いのとクソ熱いのとで気が狂いそうです。なんで地獄の予行演習をしなきゃいけないんですか」
「道端に生えてる草を踏むと多少回復するから、それで凌ごう」
「なんでリゾート地でまで新境地を開かないといけないんですか。フロンティアに挑むのは研究だけにしてくださいよ」
「それが俺たちの人生だから」

ぎゃあぎゃあ騒ぎ、ときに走りながらなんとか人里へ戻り、デッキチェアを借りる。水っぽい炭酸飲料を飲みながら休んだあとは、温泉で体を癒し、コンビニで買ったスパムおにぎりを半分こして、各々の部屋へ戻った。

ちなみにこの日はうっかりして、尻がきれいに水着型に焼けた。こんなにはっきりと日焼けするなんていつぶりだろう。「やっちまったな」と後悔しつつも、木に登ったり、川で泳いだりした幼少期を思い出して、不思議と悪い気持ちはしなかった。


8/28

先輩は決して妥協しない。だからこそ理論の新境地を意欲的に開拓し、出版もできたのだろうけれど、それはそれとしてプライベートでは折り合いをつけてくれたら嬉しい。

というのは、目的地を伊良部島に決めたあとのこと。「1周で2時間40分だから、歩いて回ろう」と言い出したのだ。

私も歩くのが好きなので、「いいですよ」とは答えたものの、ここは車社会の沖縄。本来ならば歩道であるはずの場所が、すっかり草に覆われて歩けない。仕方なく車道を歩いていると、訳ありの男女と思われたのか、親切な人が「乗って乗って!」と声をかけてくれた。

「観光の人?なんで歩いてるの?宮古で歩く人なんかだぁーれもいないよ!」
「僕たち歩くのは得意なので」
「いやぁ、それでも心配よ。どこまで行くの?」
「島を一周しようかと」
「徒歩で!?」

親切は受け取るべし、とありがたく乗せてもらう。「どこでも良いのでおすすめの場所に下ろしてください」と伝えると、佐良浜港まで連れて行ってくださった。

「ワープしたなあ」と悠長に構える先輩とアイスを食べ、漁港の街を歩く。

「急斜面に貼りつくように家が建っている。色が鮮やかなのは、船から見て分かりやすいように、らしい」
「この『石敢當』っていうの、本当によく見ますね」
「こういう建物が多いのは、潮風の影響かな」
「ここらは犬を放し飼いにしているんですね、やめろって貼り紙があります」

植生も建物も経済も、何もかもが話題にのぼる。すでに相当歩いていたが、先輩は「下地島にも行きたい」と言い出す。ここまで来たら気が済むまで観光してもらおうとルートを調べ、ふしぎな構造の神社を観察してからバスに乗った。

バスは島の中央を横切っていく。「島の右上が見られなくて残念だ」と悔やむ先輩と、またしても40分ほど歩いて下地島空港へ。

さすがに疲労が溜まってきたので、「あのですね。ここから先はタクシーにしか乗りません」と宣言し、空港から渡口の浜まではタクシーで向かった(が、結局まだまだ歩くことになった)。

しばらく海を眺めたあと、先輩が目をつけていたカフェに向かうも、予約客以外は受け付けていなかった。

宮古島に来てすぐに分かったことだが、とにかく車移動を前提としているうえに、店の数もそれほど多くないので、そこそこ計画的に動かなければ店での夕食にはありつけない。

徒歩移動が常であり、飽きるほど店がある京都で人生の半分を過ごした先輩にとって、この状況は予想外だったようだ。一方で私は食にまったく関心がなく、カロリーメイトだけで生きられるならそうしたいタイプ。疲れもあり、わずかな摩擦が生じるのを感じた。

結局、この日は宮古島に戻って、ちょっといい洋食屋さんへ向かった。ささくれ立った気持ちも、ワインを飲みながら打ち明け話をしているうちに和らいでいく。台風が近づいていた。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。