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寝たきり生活を送っていました

想像以上に無理をしていたのかもしれない。

博論に取り組んでいる間、友人たちには「出したその足で関空から発ってやっからヨォ〜!」なんて言っていた。

実際に旅行の予定も立てていたし、なんならnoteで「博論出したので韓国のカジノでバカ遊んでやった」みたいな記事も書くつもりだった。そのくらいの無敵タイムが待っているものと疑わなかった。

異変を感じたのは提出から1週間ほど経ち、東京に帰ってきた頃だった。

体が動かない。

何をするにも気が重く、どんなことにも興味が持てない。食欲も湧かない。

燃え尽き症候群との戦いが始まったのは、ここからだった。


トレードオフに苛まれて

振り返れば、2022年〜2023年前半は勢いがあった。法人を立ち上げ、30代になり、売上を順調に伸ばしながら博士論文にも取り組む。

その生活はハードだったけれど、前に進んでいる感覚があったし、頑張った分だけ数字に反映されるのは気分が良かった。

ところが2023年後半に差し掛かると、風向きが変わってきた。学会発表を5つほどし、研究面ではそれなりに結果を出したものの、仕事のほうが振るわなくなってきたのだ。

博論へ集中するために仕事を減らすことは、自分自身が望んだ結果でもあった。新たな方を迎えたり、業務を自動化したりして、なるべく良い形で身を引いていったつもりだ。

とはいえ仕事がどんどん回り始めると、当然の帰結として、自分の役目もなくなっていく。売上も下がるなかで、心細さを覚えないではいられなかった。

そうしているうちに、育て親である祖母が亡くなるという出来事があった。

早くに母を亡くして以来、親代わりをしてくれたのは祖父母だ。それが昨年の春には祖父、今年の2月に祖母と、相次いで旅立ってしまい、もう本当に帰れる場所がなくなってしまった。

仕事でも、生まれでも居場所を失った2月、残されていたのは「博士号を取る」という目標だけだった。

ときに薬に頼りながらも、机で、こたつで、新幹線で、自らの無能と向き合い続けるのは本当につらかった。

「もうちょっとましな頭がついていたらなあ」とどうしようもないことを願って、泣いて、それでは進まないから起きて、また机に向かって。そういう生活が3月中旬まで続いた。

寝たきり生活のはじまり

かくして冒頭に戻る。

はじめの2日ほどは、「これまで頑張ってきたのだし、1日中ネットサーフィンするのも乙なもの」と余裕をもって構えていた。

ところが3日経ち、4日経つうちに、「これは明らかにおかしい」と思い始めた。具体的には、こんなふうにしか1日を送れなくなっていた。

朝9時:起床、食パンを1枚ゆっくりと食べる
〜16時:寝たきり(昼食は食べられない)
16時〜21時:家事、少しだけ作業、少量の夕食
21時:かなり厳しいが入浴
22時〜24時:寝たきり、いつの間にか寝落ち

人間、どうやら1日中寝るようにはできていないらしい。

いざ寝たきり生活を送ってみると、まず腰がやられ、首と肩も異常を訴えるようになった。眠くもないのに眠っているせいで頭痛がおさまらず、食べていないので体重はすぐに1kg減った。明らかに異常な状態だった。

30代、いよいよ言い逃れはできない

博士論文のことを抜きにしても、そもそも32歳、悩みの尽きない年だ。仮にアカデミックキャリアを目指すのであれば、そろそろデッドライン。このまま二足の草鞋を履き続けるのか、思い切って会社を畳むのか、決断の刻が迫っている。

仮に仕事を続けるとしても、これだけAIが騒がれる昨今、今まで通りのスキルでは生き残っていけないだろう(実際、新たに携わっている業務はAI関連である)。リスキリングしなければ……でも、何を?不安な気持ちでいっぱいになる。

京都の家をどうするかも問題だ。博士論文のために借りた家だから、それが終わった今、解約は早いほうがいい。それでも……自分の青春が詰まった地との縁を断ち切ることには躊躇いがある。これは、金勘定とはまた別の感情だ。

あちらも、こちらも、すべての方面から「お前はどうしたいの?」と突きつけられる。自分の人生、自分で切り拓くための武器は持っているけれど、それを振るうための腕が萎えている。

知人はみな「休め」と言ってくれるけれど、このまま休んでどうにかなるのか、出口が見えなかった。

過去の自分がセーフティネットに

厳しい状態に置かれるなかで、救いをくれたのは過去の自分だった。

もともと、博論を出したら研究会を立ち上げるつもりでいた。各方面で相談していたので、その予定が入ったり、Webサイト等の整備があったりと、「やること」があるのは救いになった。

また、共同研究者からはこまめに進捗が送られてくるので、そのときだけはしゃんとしていられた。自分はともかく、相手の進捗を阻害することはあってはならないからだ。

仕事のほうでも、新たな業務を任されたり、ご縁をいただいたり、ご無沙汰していたクライアントと遠出したりと、いくらか進展があった。居場所のなさに悩んでいたので、求められている実感は何よりもありがたかった。

こうしたご縁にすがりながら、なんとか自分を奮い立たせ、1ヶ月半ぶりにジムへ行った。食欲がなくても食べられるように、BASE BREADを久々に頼んだ。近所のスーパー銭湯へ行って、『ミステリと言う勿れ』を読んだ。

まだ不完全ではあるものの、「やりたい」「できる」が蘇ってきたのを感じた。

東京、20時、旧友と

そして、最後に欲しい言葉をくれたのは旧友だった。

それぞれに忙しいなか、奇跡的に予定が合って食事へ。まだ肌寒いテラス席でお互いの近況を話すうち、「実は最近寝たきりでさ」と報告した。

そこでもらった言葉を、ここに書くことはしない。

けれどもその言葉は、どんな抗不安薬よりも自分を勇気づけてくれた。自分のペースで回復していけばいいのだと安心できた。

今は焦らず、春の陽射しを楽しんでいよう。私ならすぐに立ち上がれると信じて。

とっても嬉しいです。サン宝石で豪遊します。