【Howling】芹沢あさひコミュ考察 〜雪の白さを知る君へ〜
先日実装された芹沢あさひの限定P-ssr【Howling】が【ジャンプ!スタッグ!!!】や感謝祭を踏襲しつつ、それらに登場するキーワードを上手いこと"謎"に落とし込んでおり、こりゃあ記事を投下するっきゃない内容だなってことで筆を取りました。
記事の公開が新規P-ssr実装の1時間前という事で、だいぶ投稿が遅れた考察にはなりますが、お付き合いいただけると幸いです。
前書き
さて、まずは先述した【Howling】に登場する"謎"について紹介していこうと思います。
コミュの概要は後々説明をしますが、その前に紹介する都合上、まだコミュを読んでいない方にはわかりづらい内容になっています。
予めご了承ください。
1つ目の謎はシャニPの発言です。
True END『残響』の最後にシャニPは『俺にも』と発言しますが、この言葉は既に誰かしら先駆者がいた状態で成り立つものです。
しかしながら、【Howling】ではあさひはおろか登場人物の誰もオオカミに手が届いてはいません。
とはいえ、このような表現がされているということは、あさひが『手を伸ばし』『届いた』ということがコミュのどこかしらで明文化されずに表現されていると考えた方がいいでしょう。
では、それは一体いつなのでしょうか?
2つ目の謎は不可思議な街灯です。
この街灯は【Howling】4話『残像』の1番最後に一瞬だけ登場するのですが、シナリオ的にあまり必要性を感じない唐突なものとなっています。
夜が更けていくことのメタファだとしても少し弱く、わざわざ無理に差し込む理由がありません。
では、この街頭に一体なんの意味があったのでしょうか?
3つ目の謎はあさひの矛盾した発言です。
あさひはある雪山に訪れた際、シャニPの心配や制止を『寒くない』という理由で何度も振り切っていましたが、後に雪山について話す際、『寒かった』と語っています。
そして、明らかに雪山よりも寒くはないと思われるいろは坂通りでも、あさひは『さむー』と発言しています。
この矛盾は一体どうして生まれたのでしょうか?
さて、ところでですが(自然な話題転換)、街灯、『手を伸ばせば』『届く』といったキーワードや、あさひが見つけ、あさひだけが手が届いた(手に掴む)という状況、どこかで見覚えがないでしょうか?
そして、あさひの寒さに関する矛盾。これも私達は既に経験しているはずではありませんか?
どちらも言葉と状況、その2つが揃っているわけですが、この符号が偶然ではないとしたら、これら3つの謎は案外と簡単に解けそうに思えてきます。
寒さに関しては解釈をそのまま適用できそうですし、手を伸ばしても届かなかった過去と手を伸ばせば届く可能性が示唆された現在、この2つから導き出されるものといえば、、
とまぁ、ここまでが前書きという名の問題提起であり、ここから先が謎やコミュの解説/考察になります。よろしくどうぞ。
1話『何もないところへ』/イントロダクション
1話は多くのシャニマスのコミュがそうであるようにイントロダクションとしての色合いが強いです。
今回の場合は「話の大筋に関わるイベント(あるアーティストのMV撮影)の提示とその説明」ですね。
ですが、そのシナリオ概要にもあるように、MV撮影の依頼内容は下に示すような不明瞭な部分が多いものでした。
およそ真っ当にMVを撮影するとは思えない依頼なのですが、シャニPは監督には何かしらの意図があると考えるべきだと言います。
では、その意図とは一体何なのか。
これは後々コミュで明らかになることなのですが、曲に関する全ての情報が伏せられていてもMVの撮影が達成できるということや、自然体のあさひでいてくれればいいということは、あさひが曲に寄せる(演技やダンスをする)必要がない = 自然体のあさひがMVに適しているということです。
だからこそ、事前の準備が要らないわけですね。
では、MVの依頼をあさひに出したアーティストや、それを撮ろうとしている監督は自然体のあさひに何を見出したのでしょうか。
これはカードコミュ全体においてもかなり重要な要素なのですが、コミュ中では誰も質問や言及をしません。
その代わり、恐らくその理由であろうと察せられる一幕がコミュの中に隠されています。
それがあさひと店員さん、そしてシャニPのやりとりです。
ここであさひは持ち前の好奇心によって店員さんを質問攻めにして翻弄し、それをシャニPがフォローするわけですが、これを見て監督は『テレビで見るまんま』と発言します。
つまり監督はこのやりとりを見て、目の前にいる現実のあさひと彼の思う自然体のあさひ = テレビでのあさひの姿に差異がないことを確認したわけです。
これが顔合わせの下りを描くために必要な一幕ではないことからも、彼らがテレビに映るあさひの姿をMVに求めているのだと考えることができます。
「芸能人に撮影を依頼するんだから、テレビに映る姿を求めるのは当然のことでしょ」って話ではあるのですが、これが後々非常に重要になってくるのです。
4話『残像』(前)/MV撮影後
MVの撮影は非常に順調だったようで、アーティストや監督も絶賛していたことが語られます。
つまり、彼らが自然体のあさひに求めていたものがしっかり撮れたわけですね。
それが一体何だったのかは明言されていませんが、このやりとりにおけるシャニPの言葉が全てだと考えることができます。
つまるところが、監督達はあさひにオオカミの姿を幻視していたわけですね。
もちろん、あさひがオオカミそのものであると認識していたわけではなく、まるでオオカミのような人間だと認識していたという意味ですが。
このことは、このMVの主役である曲の評価が『鳴き声(Howling)みたい』とカード名と一致することからも確かと言えるでしょう。
さて、コミュとしては一応まだ続きがあるのですが、話の構成上、後半部分の考察は後に回したいと思います。
2話『その心は知る由もない』 〜幕間〜
さて、ここでは先程も話に上がったオオカミ……ではなく、オオカミのような姿をした犬が登場します。
この犬はその姿ゆえ子供から怖がられているのですが、『ふかふか』『強そう』『かっこいい』と感じたあさひは、その犬が怖がられていることに疑問を覚え、似ているとされるオオカミについてシャニPに問いを投げかけるのです。
これに対するシャニPの回答(選択肢)から、一般的なオオカミ像がどのようなものであるのかが提示されます。
そして、この一般的なオオカミ像こそがアーティストや監督があさひに見たものと言えるわけです。
だからこそ、MV視聴後(4話『残像』)にてオオカミとして描かれたあさひに対する評価と、ここで登場するオオカミに対する評価(選択肢)は一致しているわけですね。
つまりこのコミュでは、アーティスト達があさひのどんなところにオオカミを感じたのかが描かれているわけです。
選択肢中:かっこいいと思うぞ
ここでは、オオカミは孤高であるが故にかっこいいという事が語られます。
しかしながら、公園に訪れた犬は似ているだけでオオカミではない(= 孤高ではない)ため、怖がり過ぎるのは良くないとあさひは言います。
これ以降、【Howling】のコミュではオオカミは孤高のメタファ、あるいは孤高である存在として描かれることになります。
そして、監督達がMVにて自然体のあさひを孤高のメタファであるオオカミとして描いた以上、この要素こそが監督達が思うあさひ(オオカミ)の中核であると言えるわけですね。
とはいえ、その認識が正しいかと問われると疑問符が浮かびます。
ではもしも、監督達の思いとは裏腹にあさひがオオカミのような孤高な人間ではない場合、この物語におけるあさひのメタファはとは一体何が正しいのでしょう?
まるでオオカミのように見えるけれどそうではない存在とは一体、、
選択肢中:美しいよな
このコミュでは、オオカミの美しい目がこちらを見透かしているように感じるから怖がられているのではないか、ということが語られます。
ですが、この意見に対してあさひは肯定的ではありません。
そのため、『(オオカミは)何も考えてないと思う』、つまり見透かしてなんていないのではないかとシャニPに返すのですが、彼は『だから、取り繕っても意味がない』と感じると言います。
それが理解できないあさひに対し、シャニPが『まさに』と言うのは、アーティストや監督がそうだったように、現在のあさひの振る舞いと会話の内容の符合からシャニPもあさひにオオカミの片鱗を感じたということでしょう。
選択肢中:怖くはないな
ここではオオカミが物語で悪者として描かれているから怖がられているのではないか、ということが語られます。
つまるところが先入観ですね。
とはいえ、実際にオオカミが悪事を働いたとしてもそれは生きるためのことであり、悪意がないのに悪者にされるのはおかしいとあさひは語り、「人間から言われたところで気にしないだろう」というシャニPの見解に面白そうに同意をします。
このコミュの解釈に関しては次の感謝祭の節にて詳しく語ります。
感謝祭『error code:17』/寒いということ
『error code:17』にて、一人で踊っていたあさひはステージの上で寒さを感じ、立ち尽くしてしまいます。
この寒さとは、ステージ上という意味でも、冬優子や愛依が並び立とうと追いかけてこないという意味でも、彼女が一人きり/独りきりになってしまったが故の心の寒さですね(並び立つ存在がいない = 頂点に立つ者を孤高と呼ぶわけですから、新人アイドルのトップとして一人で踊っていたあさひは正に監督達の思うオオカミだったわけです)。
つまり、あさひがストレイライトとして活動していくには、我々がよく知る"いつものストレイライト"が必要であり、あさひにとって寒さとは孤高(独り)であることのメタファでもあるわけです。
逆に言えば、孤高であることが常であるオオカミは寒さに強いわけですね。
さて、ということは監督の思うあさひ像と実際のあさひ像には大きな隔たりがあると言えそうです。
まとめると、この感謝祭『error code:17』ではあさひは独りでは立ち行かないことが描かれたわけです。
いつも自由奔放で一人でどこかへ行ってしまうことも多い彼女ですが、決して一人が良いわけでもなければ、悪気があるわけでもなく、オオカミのように何を言われても構わないわけでもありません。
それは、過去の経験(同級生の言葉)から相手の言葉に身構えている姿や、予想外の愛依の言葉に喜ぶ姿からもわかることで。
つまるところ、あさひは一見オオカミのような存在に見えるだけでオオカミと同等であるとは言い難いわけです。
逆に言えば、同等ではないにも関わらずテレビで見る印象から「自然体で」と依頼が来て、それが達成されてしまったということは、【Howling】においてテレビやMVを撮るカメラとは立体的な情報に乏しく、物事を一面からしか写していないものとして描かれているわけです。
3話『足取りは荒野に消えて』/雪の白さを知る君へ
このコミュでは感謝祭の『error code:17』のように「寒い」というキーワードが登場します。
ですが、この寒さとは感謝祭で描かれたそれとは少し違い、気温という意味での寒さとして描かれます。
というのも、ロケ地は雪山かつ風を和らげる障害物も見当たらない場所であるため、常に冷たい風が吹き荒ぶんですよね。
それ故に、雪山にはおよそ鳥や虫といった生物は見当たらず、登場するのはあさひとシャニPだけになります。
ですが、ここがMVの舞台であることを鑑みると、一つだけ人間以外の生物がいると言えます。
それがシャニPも言及していた"獣"ことオオカミ、つまるところがあさひです。
というのも、先述したようにあさひのコミュにおいて、オオカミは孤高であるが故に寒さに強いものとして扱われており、MVのロケ地においてあさひはオオカミとして見做されているからです。
だからこそ、ロケ地におけるあさひ(= オオカミ)は『寒くない』言ったのに対し、山を降りたあさひ(≠ オオカミ)はロケ地を振り返り『寒かった』と矛盾したことを言うわけです。
また、雪山にいない生物としてあさひが鳥と虫を選んだこともその理由の一つと言えます。
あさひのコミュにおいて、空自身や空に関係するもの、対空時間の長い生物/非生物は"未知"や"ロマン"のメタファとして描かれ、彼女の"探究心や好奇心の現れ"として頻繁に登場します(最近は"変化"のメタファである海関連のものも増え始めましたが)。
つまり鳥や虫や兎は、飛ぶ/翔ぶ/跳ぶという違いはあれど、あさひに関する象徴的なメタファという意味では同列であるわけです(あさひのソロ曲【星をめざして】にて『飛んで飛んで飛んで』ではなく『跳んで飛んで翔んで』と歌詞が表記されるのは彼女のメタファの性質を表した故)。
そして、その場にいない存在として数多ある生物の中から空に関わるものを挙げたということは、その場におけるあさひは、普段の彼女とは違うのだということを示したいと考えるべきでしょう。
故に、雪山におけるあさひがオオカミであると言えるわけです。
ですが、感謝祭にて描かれたように、あさひはオオカミとは違い孤高である(寒さを感じる)事に耐えられるわけではありません。
ロケ地やMVにて寒さを感じていなかったのは、あくまでオオカミと見做されていたというだけなのですから。
ということは、やはりあさひは「孤高に見えるだけ」であり「孤高ではない」のです。
逆に言えば、コミュ中にて何度も寒さを表明するシャニPの立ち位置は、感謝祭におけるあさひに近いと言えるでしょう。
彼の『周りに木々がないから風が和らがない』という発言も、並び立つものがいない地平にいる(= 孤高)からこそ寒いと捉えられるわけですから。
さて、ではシャニPがあさひの立ち位置にいるということは一体何を示しているのでしょうか?
【ジャンプ!スタッグ!!!】/あさひ・イントロダクション
私はいわゆる1周目と呼ばれるP-ssrを、そのアイドルの性格やプロデューサーとの付き合い方という方向性がわかりやすく示されているという意味で、どのアイドルにとってもイントロダクションとしての意味合いが強いカードだと考えています(シャニPにとっての時系列から考えた人間関係的な意味でも)。
早い話が、1周目には下のカードのような元々の関係性ありきのコミュを持ってこないよねって話なのですが、それは言い換えると他のカードよりも一面的である、あるいは記号化されているということです。
ある意味でそのあり方は先述したカメラに近しいものがあるわけですね。
さて、前書きにて先述したように、そんな1周目である【ジャンプ!スタッグ!!!】と今回の【Howling】にて似て非なる状況が発生したわけですが、それはどのような意味があったのでしょうか。
4話『残像』(後)/街灯
先程後回しにした4話の後半部分、あさひが見たという白いオオカミについて考察していきましょう。
日本においてオオカミは絶滅しているため、あさひがオオカミを見たというのはありえない話なのですが、シャニPは『あさひは出会っていた』『いたんだよ そこに』と断言し、それがMVの撮影の糧になったのであろうと言います。
選択肢:聞いてもいいか?/もしあの場にオオカミが本当にいたらさ
ここでは、あさひが見たという白いオオカミについてシャニPが質問をします。
前者では、オオカミを見た時、あさひが何を感じていたかが語られており、「うまく覚えていないけれど」と前置きをした上で、全能感を感じて気持ちが良かったということを伝えています。
それを受けてシャニPは、オオカミも同じ気持ちかもしれないと返すわけですが、これはMVにおいてあさひがオオカミであったという事を改めて提示しているわけですね。
そして後者では、過去の会話(2話『その心は知る由もない』)でオオカミに興味を持ったシャニPが手に入れた本が登場します。
それはオオカミについて解説がされている本であり、シャニPと同じくオオカミに興味を持ったあさひの手に渡ることになります。
さて、これら2つのコミュは、展開される話の内容こそ違いますが、どちらもあさひが抱える考えや疑問を整理/解決しているコミュと言えます。
というのも、このコミュでのあさひは心ここにあらずになる程に"何か"を心の内に抱えていたわけです。
そして、この記事では割愛していますが、コミュ中でのあさひの反応から、その"何か"が雪山で見たオオカミに関するものであり、心ここにあらずとなっているのはオオカミについて処理している途中(あるいは処理が止まっている)だからということが察せられるのですが、この2つの選択肢では2通りの手法を足掛かりにすることで解消されています。
一つ目がラバーダック・デバッグのように、誰かに自分の考えを説明することで考えを整理するという方法(前者の選択肢)、二つ目が気になった事をネットで検索するように、本に記述されたオオカミの解説を読むことで疑問を解決するという方法(後者の選択肢)ですね。
これによって、あさひは出会ったオオカミがどんな存在であったのかという実像を掴むわけです。
さて、ここまでがコミュの解説になるのですが、それでは前書きにて先述した、このコミュの最後に一瞬だけ登場した街灯とは一体何だったのでしょうか?
私はこれを、あさひがオオカミを捕まえた(実像を掴んだ)というメタファだと考えています。
というのも、先程言及した街灯の登場するコミュである【ジャンプ!スタッグ!!!】『その手に掴むは』と【Howling】『残像』は非常に符合する点が多いと言えるからです。
そして、捕まえる/掴む際の状況、解決策を重ねて考えた場合、街灯(捕まえるための足掛かり)に該当するのがラバーダック・デバッグ及び調べることであると言えるのです(厳密に言うと、やっていることはラバーダッグ・デバッグとは少し違いますが、便宜上、このような表現をしています)。
それ故に、ここで街灯が登場したのは、オオカミの実像を掴んだ(手が届いた)ということを、クワガタを捕まえたことに重ねることで示唆するためであると考えられます。
つまるところ、街灯が解決策及び掴んだ/捕まえたことのメタファであるわけですね。
それがどういう意味を持つのかは、次のTrue END『残響』の節にて考察していこうと思います。
True END『残響』
犬と仲良くしてくれる新しい存在(小さな女の子)ができて喜ぶ2人ですが、あさひは改めて犬に至近距離で触れ合う事で、オオカミと犬の違いを感じとります。
ここで言う『違う』とは外見的な意味ですが、友達ができたという話の直後であることから、孤高ではないという意味も含まれるわけで、逆に言えば、一見孤高(オオカミ)に見えるがそうではないという意味ではあさひと犬は『同じ』と言えるわけです。
さて、オオカミの話が出たことで、シャニPは『俺も見てみたかった』と言います。
それに対しあさひは無邪気に『行けば会える』と返すわけですが、シャニPの答えはどうやら違うようで、、
ですが、そんなシャニPもあさひとの会話を通じて次第に考えが変わっていきます。
ただ、前書きにも書いたように『俺にも』という言葉は既に誰かしら先駆者がいた状態で成り立つものであり、誰も手が届いていないはずのオオカミに対して使うのは不適当です。
ですが、明文化されていないだけで、あさひは4話『残像』にてオオカミをその手に掴んでいます。
理由は先述したように、街灯が街灯が解決策及び掴んだ/捕まえたことのメタファであるからですね。
故にシャニPは『俺にも』と言うわけですね。
さて、ここまで【ジャンプ!スタッグ!!!】と【Howling】が符合するという話をしてきましたが、それらには唯一違う点があると言えます。
それは、クワガタを捕まえられなかったシャニPが、オオカミを捕まえられる可能性を示唆されたことです。
では、捕まえられるようになった要因とは何か。
私はそれをシャニPの変化だと考えています。
先述したように、シャニPは3話『足取りは荒野に消えて』にて孤高であるが故に寒さに強いオオカミ(あさひ)の隣で、まるであさひが感謝祭の時に味わったような状況の寒さを感じます。
これは、シャニPがあさひの寒さ(感情を)を深く理解できるようになった = あさひの視点に立つことができるようになったことを示唆しているのだと考えています。
実際シャニPは、【ジャンプ!スタッグ!!!】にてあさひがクワガタに対して行った"興味をもって調べる"という行動を【Howling】4話『残像』にて率先してとっています。
どちらのコミュも、あさひが見つけて捕まえたことが描かれたものですが、調べるという事に対するモチベーションが天と地ほど違います。
また、2話『その心は知る由もない』では、あさひの視点(怖くない)に立ちつつ、シャニPが本来持っている一般的な視点(かっこいい/美しい)から彼女の疑問に答えています。
そして、1話『何もないところへ』にて、あさひにたじたじにされる店員さんとは違い、的確にあさひの求めているであろう答えを返しています。
これも彼女の考えや求めている答えを理解しているからこそでしょう。
どの例も初期からすると大きな成長と言えるわけですが、どうしてそのようにシャニPは成長したのでしょうか?
理由の一つとしては、あさひとの付き合いが長くなったことも挙げられるでしょうが、私は、あさひを理解できない対象として片付けるのではなく、あさひを理解しようと彼が行動を積み重ねたことが一番の理由だと思います。
その積み重ねとそれによる結果(変化)を知っているため、今のシャニPならば届くのだとあさひは言うわけです。
あの時、あさひだけしか触れられなかったものに、今なら手が届くのだと。
後書き
以上が、今回の考察になります。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
今回のコミュは、初期のコミュである【ジャンプ!スタッグ!!!】や感謝祭を踏襲していたからこそ、再確認という意味合いが強かったように思えます。
再確認というのは、二面性を持つアイドルグループ、そのセンターである芹沢あさひがどのような存在であるのかという確認であったり、そんなアイドルとシャニPの関係性における立ち位置の確認であったりと色々な要素を含みますが、中でもシャニPの成長が今回のコミュでは特にフューチャーされていたのだと思います。
まぁ全部が正しい自信なんてないですし、私は高尚な文章を書けるわけでもないので、とりあえずはここまで読んでくださった方が面白かったと感じてくださっているのであれば幸いです。
そもそも考察なんて正しくないのが前提ですからね。公式が明言していないものは程度の差こそあれど全て妄言妄想の類なわけで、、
ということで、改めてお付き合いいただきありがとうございました!
それでは。
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