伏線? Dye the sky.が斑鳩ルカへの強烈なアンチテーゼという話
※注意!
この記事はタイトル通り、Dye the sky.が斑鳩ルカへのアンチテーゼである、という解釈に基づき書かれたものです。
タイトルの時点で「シャニマスはアイドルにそんなことさせない」的な解釈違いや不快感を感じた方は読まないことをお勧めします。
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先日の2nd LIVE、聞くまでも無いことですが最高のライブでしたよね!
私もテンション上がりまくりで、終わってからこの記事を書いてる今現在も、セトリとyoutubeに上がってるシーズのPVを鬼リピしているくらいです。
さて、そのセトリの中の一曲、Dye the sky.を聞いている時のことです。
「もしかしてこの曲、斑鳩ルカのこと歌ってないか?」
ふと、そう感じてしまったのです。そして、そう思ってこの曲を聞いていくと、
ここの歌詞が、シャイニーカラーズから斑鳩ルカへの強烈なアンチテーゼになっているようにしか聴こえなくなってしまいました。
ということで今回は、Dye the sky.が斑鳩ルカに一年前からアンチテーゼかましてた説、というのを提唱していきたいと思います。
なのでこの記事は実質、Dye the sky.の歌詞考察でもあります。
今更だけど、今だからこその歌詞考察になっているかと思いますので、よろしくどうぞ。
前書き
そもそも、皆さんはDye the sky.に関してどのような印象を抱いているでしょうか。
私が思うにこの曲は、変化(GR@DATE)することを恐れず、「これが私なんだ」と胸を張り、「そんなもんじゃダメだ」と自分を焚き付け、高みへ挑戦していく。そんな曲だと思っています。
そして、そんなアイドルの姿に私たちも背を押されるような、応援歌であるとも思っています。
このことに関しては、解釈に多少の差異はあるかもしれませんが、多くの方が賛同してくれるのではないでしょうか。
しかしながら、新ユニットのSHHis(シーズ)が追加され、斑鳩ルカという『黒』の少女が出てきた今この時期にこの曲を聴くと、斑鳩ルカと283プロを歌っているような歌詞に感じられたのです。
まずは何故そう思うに至ったのか。その理由について語ろうと思います。
理由①:色の三原色と2つの光の三原色
理由を語る、といっても一度に全てを説明するのは難しいので段階的に話を進めていきたいと思います。
最初はどうして斑鳩ルカがDye the sky.に関わっていると考えたのか。そこから解説します。
これは2番の歌い出しの部分で、ここで語られるシアン、マゼンタ、イエロー。これは色の三原色で、キープレートとは黒のことを指す言葉です。
そして(ざっくりとした説明ですが)、色の三原色はその特性上、光を反射する色です。自分が発光するわけではありません。3つの色を重ね合わせた黒に至っては光を吸収してしまう。だからこそ『そこに輝きなんてない』わけです。
シャニマスにおいて重要な要素である『色』を絡めながら、インテリジェンスに富んだ歌詞を作り出し、「そんなありふれた色じゃ生き残れない。私たちは輝かない色じゃない」というこの曲らしいメッセージまで言葉に乗せる。作詞家さんは流石だなと感心させられるような歌詞ですよね。
ただ、そんな歌詞だからこそ、疑問が出てきます。
光を生み出すのではなく反射する色の三原色を否定するならば、一体どんな色であれば良いのでしょうか?
いやもちろん、その答えは彼女達自身の色なのでしょう。
安心してください。それはわかっているのです。
今回私が言いたいのは、今だからこその別の答えがあるのではないか、ということなのです。
その答えとは、色の三原色と並び代表的な組み合わせである光の三原色です。
(参考 左:色の三原色 右:光の三原色)
光の三原色には色の三原色と真逆の、光を放つという性質があり、重ね合わせることで白を生み出します。
とはいえ、ただそれだけで光の三原色が答えだと言っているわけではありません。
実は、シャニマスに光の三原色は深く関わっているのです。
シャイニーカラーズと光の三原色
では光の三原色、つまり赤、青、緑の光がどのように関わっているのか。1つ目はストレイライト、ノクチルそしてシーズの追加ユニット達です。
この3つのユニットはテーマカラーが赤、青、緑であり、それぞれが迷光、夜光虫、シャンデリアといった、光を放つものがコンセプトに関わっています。
追加ユニットが光をコンセプトにしていて、なおかつ光の三原色と同じテーマカラーである。
これは偶然でしょうか?
光と色を重要視するシャイニーカラーズが、偶然このユニットカラーを付けたというのは少し無理があると私は思います。
そして、Dye the sky.の歌詞には彼女達を示唆する歌詞が存在します。
それがこの部分です。
「ノクチルの青とストレイの赤はあるけど、シーズの緑がないじゃないか」
そう思われる方も多いかもしれません。
『その青は〜』と『その赤は〜』は歌唱しているのがそれぞれノクチルとストレイという点で示唆しているのは確定でしょう。
しかし、シーズである緑は全く出てきません。なので、これは少し考えを捻る必要があるのです。
そもそも、歌詞にあるような『月よりも、星よりも、夜を穿』つようなそんな強い輝きを持つものとはなんでしょう。そしてシャニマスにおいて『月』と『星』、そして『緑』これらから連想されるものとはなんでしょう。
その答えは、太陽です。COLORFUL FE@THERSシリーズや3rd LIVEのキービジュアルで最近この組み合わせをよく目にしますよね。
そう思った方もいるかもしれません。
実際、COLORFUL FE@THERS -Sol-のジャケットは真っ黄色ですしね。
しかしながら、シャニマスでは『月、星、太陽』が同時に描かれる時には違う色で太陽を表すことが多いです。
一体どんな色なのか?
そう、その色こそが緑なのです。
3rd LIVEのキービジュアルやCDジャケットでは、太陽は緑色で描かれていますし、
L@YERED WING 01のジャケットではCOLORFUL FE@THERSのチーム分けに応じてアイドル達が付けているヘアピンは、チームごとに色がデザインと違うのですが、Team.Solのヘアピンは緑なのです。
つまり、シャニマスにおいて太陽の色は黄色であり緑。そして星、月、太陽。この3つが2つ目の光の三原色なのです。
このことからも、3年目のシャニマスが光の三原色をかなり意識していたということがわかります。
以上のことから、Dye the sky.はCOLORFUL FE@THERSシリーズ、そしてシーズの追加まで見据えた楽曲である、と私は思うのです。
それに光の三原色は自らが発光する色である、という特徴故にシャイニーカラーズらしい色ですしね。
さて、話を一度、光の三原色から色の三原色に戻しましょう。
この曲がシーズの追加を予期していたのであれば、シーズと同時に発表された斑鳩ルカの追加すら織り込み済みでもおかしくはないと思いませんか?
つまり、赤がストレイ、青がノクチル、緑がシーズを示すなら、色の三原色と共に語られたキープレートとは、黒がテーマカラーである斑鳩ルカのことではないでしょうか。
283プロが否定する色の三原色。その色を混ぜ合わせた黒こそが、283プロと敵対している彼女ではないのでしょうか。
それにこの曲は2nd LIVEにて、シーズと斑鳩ルカのPVの直後に披露されてたりしますしね、、初披露が追加アイドルが全員出揃った直後ってのもポイント高めに見てます。
理由②:Dye the sky.に存在する斑鳩ルカ
「示唆していたくらいじゃアンチテーゼとは言えなくない?」と思う方もいるでしょう。その通りです。
なので次は追加を示唆していただけではない、という話をしましょう。
そもそもの話、この曲はシャイニーカラーズが歌う全体曲です。何を今更なことを言っていると思われるかもしれませんが、これは今回の考察においてはとても大事なことで、全体曲ということはつまり、曲中で表現される想いや感情はシャイニーカラーズ全体のものということになります。
(個人的に、SWEET♡STEPやSNOW FLAKES MEMORIESなどの季節ものは、コンセプトが違うので例外かなと思っていますが)
特に、〇〇 WING 01に収録される曲は『その年のコンセプトに沿ったシャイニーカラーズ』を歌っていることが歌詞から読み取ることができます。
そしてそれは、続くユニット曲がどんな楽曲であるかを示してもいるのです。
このことを踏まえた上で、最初の歌詞であるこの部分を読むと一つの疑問が湧いてきます。
まるで幸せな時間は過去のもので、既に壊れてしまったかのように聴こえるこの歌詞。これは本当にシャイニーカラーズのことを歌った歌詞なのでしょうか?
勿論、この曲の収録されているGR@DATE WINGシリーズのコンセプトは『変化』で、変わっていくことを歌うのはなんらおかしいものではありません。
アイドルを始めた時と今では、アイドル達がその胸に抱く『願い』だって変わっているでしょう。
しかしながら、先述したようにこの曲は全体曲です。
ということは『アイデンティティ』まで変わった人間が283プロの大半を占めているのでしょうか?
更に言えば、283プロには樹里や冬優子といった『過去』に何かしらの苦い出来事があったであろうアイドルは存在しますが、それが大多数なのでしょうか?
私は違うと思います。
そして、これは今までの積み重ねを軽視する意図でないことを先に断っておきますが、『色あせた写真』になるほどに彼女達が歩んできた時間は長かったでしょうか?
では、この歌詞が283プロの、シャイニーカラーズには不適当だと思うのであれば、一体誰に当てはまるのでしょうか。この想いは誰のものなのでしょうか。
それこそ、斑鳩ルカではないかと思うのです。
斑鳩ルカは283プロと、というか天井社長と何かしらの因縁があるような、そんな描写がされています。
しかしながら、天井社長は今は社長業をしているため、今現在、直接的に自社以外のアイドルと関わることはかなり少ないでしょう。自社でさえあまり描写されていませんからね。
であれば、どこで恨みを買うようなことがあったのか?
今、1番多い予想に斑鳩ルカ、例のアイドルの妹説があります。
ここからは、この説が正しいと仮定して話を進めていきます。
(この先の話は、考察の上に考察を重ねるという不安定なものになってしまうため、細部はできるだけ詰めないようにしています)
例のアイドルとはプレゼン・フォー・ユーで登場した、過去に社長がプロデュースしていたアイドルですね。
社長のプロデュースにより、自分の行きたい道に進めず、道半ばで諦めたアイドル。
そんな姉を持つ妹であれば、社長にそれなりの憎しみを持っていてもおかしくない、ということです。
そして、自分の姉が進みたい道に進めず、ずっと苦悩して、ついにはアイドルすらも辞めたのであれば、そこまで追い詰められていたのであれば、近くで見ていたであろう姉の姿なんてものは推して知るべしですよ。
更に、今もまだその過去を振り切れてないとしたら、妹としてはどうでしょうか?
だからこそ、幸せな時間が過去になってしまったような表現がされているのではないでしょうか。
姉がアイドルとして輝いていて、そんな姿を間近で見ていた、そんな時間が終わってしまって、姉の中には今もまだ傷が残っている。だからこその歌詞なのではないでしょうか。
そして、そんな辛い経験を、姿を目の当たりにしてしまえば、自分だって変わってしまってもおかしくはないよね、という話です。
つまり、ここの歌詞は斑鳩ルカのパート(歌唱って意味ではないよ)なのではないでしょうか?
理由③:色彩と色の使い方
斑鳩ルカのパートが存在する。だけどそれだけじゃどこがアンチテーゼかはわからない。なので、次はシャイニーカラーズ側と斑鳩ルカ側のパート。その棲み分けをしていきたいと思います。
キーワードは色彩です。
というのも、1番では色彩というものが一度も感じられませんが、2番からは打って変わって最初から沢山の色が歌詞を彩るのです。
これは、シャイニーカラーズと斑鳩ルカ、それぞれの色を反映した結果なのではないでしょうか。
つまり、1番に色が存在しないのは、斑鳩ルカが持つ色は黒の1色だけだからではないでしょうか?
逆に2番に沢山の色が存在するのは、このペンライトを見ればわかるように、シャイニーカラーズが沢山の色を有しているからではないでしょうか。
ということは、1番が斑鳩ルカのパートで、2番からがシャイニーカラーズのパートなのではないでしょうか。
この考察を補強するものに色の使い方があります。
この2つの歌詞は、それぞれ1番と2番、つまり斑鳩ルカパートとシャイニーカラーズパートなのですが、『塗る』、『Dye』という言葉は色の三原色である斑鳩ルカと、光の三原色であるシャイニーカラーズに相応しいものなのです。
なぜならば色の三原色はインクなど『塗る』ものに使われる言葉であり、アイドルにおいて『Dye(=染める)』が使われるのは『ライブ会場を染める』だからです。
そして、『ライブ会場を染める』のは何か。下の画像を見てわかるように、それは照明やペンライト。つまり光です。
実にシャイニーカラーズらしい言葉ですよね。
このことからも、1番が斑鳩ルカパートで2番がシャイニーカラーズのパートだと意識して書かれた歌詞ではないだろうかと思うのです。
……なーんて書いていますが、ライブ会場の下りは流石にちょっと強引かなって思ったり。
歌詞考察
さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからがメインディッシュ! 歌詞を読み解いていこうと思います。
と言っても、全部を詳しく読み解くのではなく、アンチテーゼだと思う部分とそこに関わる歌詞の部分だけ重点的に語って、今までの考察で語ったところなどの重複する部分は軽く触れるくらいにしています。
アンチテーゼとはそんなに関わらない部分は端折ってます。
あらかじめご了承をば。
1番:斑鳩ルカパート
最初は斑鳩ルカについて歌っている部分です。
天井社長によって姉が追い詰められ、アイドルを辞めてしまった。その時の彼女との輝かしい時間は失われてしまった。
もしかすると昔のようには振る舞えなくなったのかもしれない。
そして自分も、彼女のそんな姿を目の当たりにして変わってしまった。昔には戻れない。けれども幸せな思い出を回顧してしまう。そんな歌詞ではないかと。
ここは割と額面通りで、自分の色で塗り替えてやるよ! という歌詞。
ここの過去はいくつか意味がありそうですよね。既にデビューしているシーズ以外のアイドル達は話題沸騰中の斑鳩ルカからしたら『過去』でもあるわけだし、『昨日の私を打ち破って』の歌詞からは斑鳩ルカ自身のことを指しているように思えるし、あるいは例のアイドルとの悲しい思い出のことかもしれないし。
過去を己が放つ色で乗り越えていく。
そんな決意の見える歌詞だと思いました。
2番:シャイニーカラーズパート
ここからがバッチバチのパンチラインであるシャイニーカラーズのターンになります。
最初の色の羅列は光の三原色と、それを混ぜ合わせた色であるキープレート(=黒)であることから、斑鳩ルカを指しているものでしょう。これは最初の方で触れましたね。
そして、色と同じくらい光を重要視し、光の三原色であるシャイニーカラーズが、色の三原色である斑鳩ルカに対して『ありふれた』色だと言葉をかける。
ここだけでめちゃんこパンチラインじゃないですか???
でも、まだ続きがあって、
思い出を振り返り続けても『意味はない』。いつまでも繰り返しても、その記憶が変わることはない。まるで『焼き増しされた』写真のようにね、と言葉を重ねる。
『焼き増し』や『低解像度』って言葉からも、斑鳩ルカパートの『色あせた写真』という言葉にかかっているように思えます。
そして、斑鳩=黒のパートで『顕現せよ過去を超えてく光』という歌詞がありますが、先述ように、黒という色は光の反射率が0の全ての光を吸収する色です。
だからこそ『そこに輝きなんてない』し『空を染める』ことはできないというわけです。更に、そもそも青い薔薇のように真っ黒な光は存在しないわけですから、そんなものは『偽物』ではないか、と畳みかける。
破茶滅茶に強烈なアンチテーゼじゃないですか?
ただ、ここまで痛烈なことをシャイニーカラーズが言うのだろうか? とも思います。
なのであくまでこういう解釈も出来るんだな、程度に受け止めてもらえると幸いです。
こんだけ書いておいてアレですが、この解釈に自信はあんまりなかったりするんですよね。
理由①くらいまでは結構自信あるんですけどね。
それ以降は深読みしすぎなんじゃないかなって正直思ってたり。
謝辞と駄文
というこで、まずは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
以上が私が伝えたい、、というか語りたかった事の一部です。
なんで一部なのかっていうと、主に歌詞解説についてなのですが、アンチテーゼ以外の歌詞にも斑鳩ルカとシャイニーカラーズの対比が出てたりする面白い部分とかあって、めちゃんこ語りたかったんですが削除するしかなくて。
なんでかっていうと、それまで入れちゃうと趣旨がブレるというか、何が言いたいかわかんない文章になっちゃうんですよね、、南無。
あと、今回の内容から派生した考察なんですが、
こんな感じのこと予想してたりします。神様=導くものってのは誤謬かもしれませんが。
白コートことシャニPの元から光の三原色の追加ユニットが登場したんだから、黒の斑鳩ルカの元から色の三原色の追加ユニットが登場するってことですね。
一応、シャニPの色が関係するメタファって、白コート以外にもブラックコーヒーがあるんですが、最近は円香が侵食してきてるんですよね、、
なので、やっぱシャニPといえば白コートなのかなって思ってます。
左は『「樋口円香」の普段着パーカー』という商品。モデルは円香の初期衣装で、赤文字で書かれているのは『Coffee』。
右はMUSIC DAWNの物販の商品である公式ワッペンバッジ、その円香バージョン。しっかりブラックコーヒー。
円香さぁ、お前ほんと、、
改めてになりますが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
最後に、この記事が面白かったら他の記事も読んでやってくれると嬉しいです。
それでは。
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