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世界を飼い慣らす:占い師の日記

絶望というのは真っ暗なので、本が読めない。
誰かの声で励まされても、誰の声か解らないから信用できない。
死を覚悟するほどの、話す前に舌を噛みたくなるほどの、人生のフィルムをここで自ら鋏で断ちたくなるような瞬間の慟哭ほど、誰も聞いてくれないものである。

自分が占い師になったきっかけを問われることが増えた。
私の場合は「サイキックアート」という霊体を絵にして霊感が無い方に見せる分野に親和性があったので、
ぼんやりやっているうちに、本業になってしまったようなところがある。

視えるものがある癖に、視えないものに依存したくない心で生きているので、
そもそも美術系出身なので、やっぱり見えるものが好きで、特に占いという分野には懐疑的であった。

が、一度だけ、誰もが陥るような簡単な神様の罠にハマり、絶望した時に、スマホの広告で出てきた電話占いに電話をかけたことがある。

「あなたの前世は、花街の絵師よ」
「もう一つの前世は、宮廷医師が庶民の窮状を見て町医者になっているわ。
自ら調合した薬を自ら実験台になって亡くなっているわ」

 など、占い師のKさんは手早く教えてくださった。

私は
「神様はいるのですか、前世があるのですか、死後の世界があるということですか」

と無神論者特有の問いを投げかけたところ
Kさんは

「あなたは神様がいると知っているから、期待したんでしょう」

と仰った。

「あなたの狂気があれば、あなたは生きていける」

15分程度のセッションで、それは明確に胸に響いた。

この狂気というのは、いわゆる精神的な疾患のことではなくて、
清水の舞台から飛び降りるような、
慎重に叩いていた石橋を叩き割るような、
自分の人生を、
一度だけでいいから、
自分を振り回す「世界」という他者を、飼い慣らす力のことである。
これを本当の「狂気」という。
私には、その感覚が非常によくわかるし、
それが、結局は占いにもよく用いている自分の個性であり、たまに言葉として発露させる。

まるで死神の逆位置のように、
全てが死に絶えても、また骨からやり直せる機会を知っていることである。

それが狂気。

Kさんは占い師は引退なさったようだけど、どこかでご挨拶したくて、何となく書いてみた。
そして、少し前に、私が初めて電話占いに電話した時と同年齢程度の方がご依頼くださり、
懐かしく思う。

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