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「夏と秋」マガジン 第9号

【はじめに】
こんにちは。こうさき初夏と秋月祐一の創作ユニット「夏と秋」のマガジン第9号をお届けいたします。今回は、読者投稿欄でぐでぐが二本立て。瀬戸さやかさんと北詰若菜さんをお迎えして、短歌の推敲の過程をじっくりと紹介してゆきます。

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今回のマガジンは、
【短歌「Re-オブジェクタム」/秋月祐一】
【俳句「みづいろの」/秋月祐一】
【こうさき初夏の珍獣ライフ(4)】
【読者投稿欄でぐでぐ(5)/瀬戸さやか】
【読者投稿欄でぐでぐ(6)/北詰若菜】
【カピバラ温泉日記/秋月祐一】
という内容でお送りいたします。

* * *

【短歌/秋月祐一】

 Re-オブジェクタム  秋月祐一

遊園地のある町に住む空想をしながら地下の駅へといそぐ

廃墟となり朽ちてく観覧車のみえる丘にときをりくる癖がある

巨大アサリはアサリぢやないと知つてゐるでも生き方はよくわからない

脱衣場で飲むサイダーのうれしさよ政治の話はいまはやめとく

ガリ版は知つてゐるけど見たことない妻とあかるい家族計画

「渋柿」といふ名の俳句教室にあつまる影のない生徒たち

ロバに乗つたことがないつて気がついてすこしさみしい履歴書を書く

カセットテープはもう死語ですか死後ですかうしろ歩きで商店街を

移動遊園地が来て去つた空き地です象がゐたとかゐなかつたとか


    引用は高山羽根子『オブジェクタム』(朝日新聞出版)による

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【俳句/秋月祐一】

 みづいろの  秋月祐一

みづいろの絵の具で影をぬる薄暑

夏服の姉の二の腕しんかんせん

きうりもみ明日の予定をもごもごと

ちやん付けで呼ばれてをりぬ鱧の皮

みんなみんなここにゐたのか喜雨のなか

からすうり咲きあめつちの話かな

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【こうさき初夏の珍獣ライフ/よろず生き方相談】

 (4)「環境へ着目すること」

読んでくださってありがとうございます。生き方相談こうさき初夏の珍獣ライフです。ぽっ。

本日もお便りをいただいておりますので、ご紹介しましょう。

「会社を退勤後、勉強をしようと思って帰宅して、いざとなるとやる気が急激に下がります。やる気がある感じはあるのに行動に移せません。やる気をどうやって行動に結びつければいいでしょうか? 「まずは行動してみましょう」というよくある言説以外の方法を見つけたいです 」(20代女性・会社員)

お便りありがとうございます。この方、仕事の後にも勉強をしようとされていて、非常に熱心ですね。そして、ご自分の現状をよく把握していらっしゃいます。やる気がないわけでないのに行動に結びつかないということを的確にメタ認知していらっしゃいます。それでいてカッコ内のダメ押しがしびれますね。そう、よくありますよね、「行動できないんです」という悩みに対する「行動してみましょう」っていう応答。これを見事に禁じてくださっています。問題はやる気に対して行動が結びつかないこと、さらにどうしてそのような現象が起こるのかという素朴な疑問を自分自身に対して抱いていらっしゃるような、そんなような印象を受けました。

そこで今回の生き方はこちら↓↓
「自分がどうであるかということと、自分のいる環境自体を切り分けてみましょう」

平たい話が、自分が出来ないんだったら、まずは環境を変えてみるのも一つの手ではないかということです。思いつくままに羅列すると

・家で勉強できないなら、退勤後の時間からでも勉強に使えるようなカフェやコワーキングスペースなどの他の場所を探してみる
・家自体を勉強に適した空間にするため模様替えする
・模様替えが難しいなら、勉強するのによさそうな家にひっこしてみる

などなど、他にも可能性はあるでしょうが、こんなところが挙げられます。

大事なことは出来ないことがあったときに、自分のせいにして罪悪感を感じて終わりにしてしまうのではなく、「どうやったらできるようになるのか」という発想を抱いてみることです。たとえ自分のことは変えられなくても環境自体に手をかけることは、できます。もっと言うと、環境を変化させるためにプロの手を借りることも一つの方法です。

例えば帰宅後の学習のために、ご自宅の模様替えという方法をとるのであれば、プロの収納アドバイザーの方に相談するのは、自宅という環境を使いやすくするという意味で、非常に有効な方法です。

何事にも先達あらまほしきことなり、とはよくいったもので、自分でやるべき学習に集中するために、そのための環境づくりをプロに任せるというのは合理的な発想です。収納アドバイザーについては「くらしのマーケット」などのアプリで、いろんな方がそれぞれ事業者としてサービスを提供しており、内容や値段の比較をするのに有効かと思われます。大体ですが一時間で約五千円ぐらいがよくある値段かなというところです。但し、こういった収納のプロがアドバイスしてくれ、実際に片づけのために動いてくれるというサービスのすごいところは、片づけてもらったその部屋の中で今後も過ごし続けるだけで、サービスのために払ったお金が、それ以上に「暮らしやすさ」という価値に置き換わって積み上げられていくということです。

環境を変えることで、空間と時間の質を向上させることができます。空間と時間の質が向上すれば、それってもうほとんど自分自身が変わってるも同然ではないでしょうか。

相談者様が実りある学習を達成できますように、ぽっ。

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【読者投稿欄でぐでぐ(5)】

*投稿者の瀬戸さやかさんと、秋月祐一のメールのやりとりを紹介させていただきます。短歌の推敲がどのようにして行われているのか、その様子をご覧ください。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

少しご無沙汰しています。お元気でいらっしゃいますでしょうか。
次号のでぐでぐ用の短歌を提出いたします。

【原作】
今日はこの引き出し明日はその下の 引き出し無限にあるわけじゃない

よろしくお願いします。

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

ご投稿ありがとうございます。

今日はこの引き出し明日はその下の 引き出し無限にあるわけじゃない

一字空けをはさんだ上の句と下の句が、同じ内容であるように感じられます。一首の中にもうすこし、変化やひねりがあってもよいのではないでしょうか?

あと、何を引き出しの中に何があるのか、読み解く手がかりのようなものが欲しいような気がしました。小さな具体を入れると、読み手の想像力はかえって広がるものですよ。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

今日はこの引き出し明日はその下の 言葉を探して自分を探して

変化もひねりもないような気がしますけど(笑)

引き出しの中に何が入っているか、具体(?)を入れてみました。

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

「自分を探して」は言いすぎではないでしょうか。

下の句をつかって「言葉」が、視覚的にどういう形態のものなのか、どういう種類のものなのか、とより具体的な方向で、イメージをふくらませてみてください。

すこし意外性のあるものがよいかもしれません。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

今日もまた言葉探しに明け暮れて筆記用具はフリクションが好き

上の句が変わってしまいました。下の句に具体を入れてみたのですが、どうでしょうか。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

こういうのも作ってみました。

慣れきった親指シフトカタカタと丸ゴシックの文字を並べる

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

こういうのも作りました。

脳の中つながるシナプスひとりでに並ぶ丸ゴシックの文字たち

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

三首を読ませていただき、瀬戸さんが詠もうとしているものが見えてきました。

引き出しは頭の中にあって、そこから言葉をさがして、作歌(創作)をしているわけですね。

引き出しから言葉をさがす、という発想にポエジーがあるような気がするので、引き出しがなくなるのは惜しいような気がします。

そちらの発想はキープしつつ、先にいただいた三首についてコメントしてゆきます。

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

一首目。

今日もまた言葉探しに明け暮れて筆記用具はフリクションが好き

一案ですが「明け暮れて」を外して「言葉を探す」と二句切れにし、五音分をフリクションの方に回してみてはいかがでしょうか?

フリクションについては、「好き」というシンプルな感情語は明示せず、たとえば、「フリクションなら何度も消せる」とか、もう一工夫してみたいような気がします。

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

二首目。

慣れきった親指シフトカタカタと丸ゴシックの文字を並べる

「親指シフト」と「丸ゴシック」が効いていて、うまくまとまっていると思います。この歌は完成!

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

三首目。

脳の中つながるシナプスひとりでに並ぶ丸ゴシックの文字たち

上の句の韻律を定型になじませたいような気がします。たとえば「脳の中」を外して、「シナプスがつながってゆき」とするとか。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

「引き出し」を生かした改作です。

引き出しを開けては閉めて探してるこの歌にふさわしい言葉たち

引き出しにしまわれている言葉たち選ぶ瞬間神様になる

「フリクション」を生かした改作です。

今日もまた言葉を探すフリクション魔法のペンが私の道具

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

ご改作ありがとうございます。

引き出しの歌は、いったん戻って、

今日はこの引き出し明日はその下の 言葉を探して自分を探して

これをベースにするのがよいように思いました。

「○○○○○○○言葉を探す」という形で、言葉にかかる修飾語句を考えてみるのはいかがでしょうか?

たとえば、「むらさきいろの言葉を探す」「真夏に似合う言葉を探す」など。

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

フリクションの歌は、

今日もまた言葉を探すフリクション魔法のペンが私の道具

「魔法のペンが私の道具」の部分を、もっと瀬戸さんの独自性のある、詩の言葉にできたら素敵ですね。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

今日もまた言葉を探すフリクション消した言葉も私の言葉

今日はこの引き出し明日はその下の あなたをひらく言葉を探す

どうでしょうか?

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

どちらもよいと思います!

一首目。消せるというフリクションの特性を逆手にとって、「私」がぐっと出てきましたね。

二首目。「あなたをひらく言葉」が、引き出しという小道具と、うまく響き合っているような気がします。

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瀬戸さやかさん→秋月祐一

シナプスがつながってゆきひとりでに並ぶ丸ゴシックの文字たち

は、「シナプスがつながってゆき」をいただいてしまってもいいのでしょうか? 自分なりに考えた方がいいのでしょうか?

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

ぼくのアドバイスで、瀬戸さんが納得されたものは、ご自由にお使いください。

下の句は、語順を替えて、「丸ゴシックのの文字たち並ぶ」とする手もあるかもしれませんね。


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瀬戸さやかさん→秋月祐一

それではありがたく、アドバイスをいただきます。下の句も、句またがりが苦しいなぁと思っていました。
これはちょっと、自分の作とは言えないですね。

シナプスがつながってゆきひとりでに丸ゴシックの文字たち並ぶ

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秋月祐一→瀬戸さやかさん

そんなことないですよ。
ぼくは推敲のお手伝いをしただまでで、瀬戸さんの作品です。

句またがりは、定型や読者に負荷をかけるものなので、内容とリンクしていないときは、避けたほうが無難です。

【最終稿】

慣れきった親指シフトカタカタと丸ゴシックの文字を並べる

今日もまた言葉を探すフリクション消した言葉も私の言葉

今日はこの引き出し明日はその下の あなたをひらく言葉を探す

シナプスがつながってゆきひとりでに丸ゴシックの文字たち並ぶ

/瀬戸さやか

ご投稿ありがとうございました。

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【読者投稿欄でぐでぐ(6)】

今回、北詰若菜さんからご投稿いただき、初めてやりとりをさせていただきました。短歌の推敲の過程をご覧ください。

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北詰若菜さん→秋月祐一

改作してみたい歌を3首お送りします。

【原作】

ねえ。君にねえの続きが言えなくて うみねこ響く寒空の中

力ずくへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

君 宙を走り抜いた霧雨よ アスファルトにてはじけた君よ

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秋月祐一→北詰若菜さん

ご投稿ありがとうございます。

一首目。

ねえ。君にねえの続きが言えなくて うみねこ響く寒空の中

上の句の甘さと、下の句の寒々しい情景との対比が効いていて、ふたりのドラマをいろいろと想像させてくれる、いい歌だと思いました。

一点だけ気になるのは、「うみねこ響く」という表現です。うみねこの鳴き声が響く、の意であることは分かりますが、すこし言葉が足りないような気がします。

原作の雰囲気を大切にしながら、下の句を推敲してみてください。

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秋月祐一→北詰若菜さん

二首目。

力ずくへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

ほぼできあがっている歌だと思いました。

初句「力ずく」は、字余りになっても、「力ずくで」と助詞を補ったほうがいいような気がします。

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秋月祐一→北詰若菜さん

三首目。

君 宙を走り抜いた霧雨よ アスファルトにてはじけた君よ

君=雨の歌だと思って読みました。と同時に、交通事故などで亡くなった方を悼む歌のようにも感じられました。

上の句の字足らずは、意図的なものでしょうか? 宙を落ちてくる雨粒の速さを感じさせてはくれますが、定型の力を借りたほうが、より読者に伝わりやすいかと思われます。

あと、「霧雨」の一語が最適かどうか? 霧雨というと雨粒としてはかなり小さいイメージがあります。この歌の場合、もっと大きな雨粒を想起させたほうがよいのではないでしょうか?

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北詰若菜さん→秋月祐一

ありがとうございます。何か足りないことは自覚していましたが、こうやって推敲していただくと勉強になります(秋月注・推敲しているのは北詰さんご自身で、ぼくはそのお手伝いをしているに過ぎません)

三首目は、「アスファルト」が交通事故を連想させるのですね。元々の意図としては交通事故に限ったことではなかったのですが、細く速く走り抜けてしまう命を想って詠んでみました。

いただいた内容を元に改作してみます。数日お時間をください。

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秋月祐一→北詰若菜さん

はい。お待ちしております。

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北詰若菜さん→秋月祐一

秋月さん、こんばんは。
できたものから順にお送りします。

力ずくでへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

秋月さんのアドバイスどおり「で」を入れてみました。
これだと67587ですね。
定型(といいつつ下の句は相変わらず字余りですが)を諦めきれないので、こんな風に変えるのはいかがでしょうか?

腕ずくでへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

または、

闇雲にへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

または、

筋を立てへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

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秋月祐一→北詰若菜さん

ご改作ありがとうございます。

個人的には、「力ずくで」の字余りによって、韻律的にも力を込めた感が出るような気がしたのですが、定型にしたい場合は、北詰さんの選ばれた「腕ずくで」か「闇雲に」が適切だと思います。

「筋を立て」は、上から読んだときに、ぱっと情景が浮かびづらいところがあるかもしれません。

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北詰若菜さん→秋月祐一

アドバイスありがとうございます。

この歌については「力ずくで」でいきたいと思います。

「腕ずく」「闇雲」よりも「力ずく」の方が、内から外へ力や感情を放出している感じがしますし、さらに助詞の「で」を補ったほうが歌がスムーズに流れると思いました。

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秋月祐一→北詰若菜さん

では、この歌は完成ということで。

「力ずくで」という音韻から、内から外への感情の放出を感じとるセンス、とても鋭いと思います。

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北詰若菜さん→秋月祐一

ありがとうございます!

さて、二首目の改作をお送りいたします。

君 雲を走り去った夕立よ アスファルトにてはじけた君よ

まず、霧雨よりも激しく鋭く降る雨として「夕立」に変えてみました。
すぐに止んでまた日常に戻るところに儚さがあって、この歌にマッチしているかなと思いました。

そうすると「宙を走り抜いた」が浮いてしまったので、「雲を走り去った」に変えました。元いた場所から去ってしまったイメージです。

いかがでしょうか?

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秋月祐一→北詰若菜さん

ご改作ありがとうございます。三点お伝えいたします。

第一に、この歌の話者は、雲の上にいるのか、地上にいるのか、視点を統一してみてはいかがでしょうか?

いまのかたちだと、雲の上から夕立が走り去るのを見送り、いつのまにか、地上にいて、アスファルトにはじけた雨粒を見ているように感じられます。(「走り去った」のベクトルの向きが、そう感じさせるのだと思います)

言うなれば、神の視点ですが、人間の視点にした方が、読者に共有してもらいやすいのではないでしょうか。

第二に、「アスファルトにて」の「にて」に硬い印象があります。「にて」を活かしたいなら、上の句を「走り去りたる」など、文語にする手もあるかもしれません。

第三に、以前にお聞かせいただいた作歌意図が、まだ十全に発揮されていないように感じられます。思い切って、歌全体のことばを動かしてもよいと思います。

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北詰若菜さん→秋月祐一

視点を地上に固定して、文語体にしてみました。

君 宙を駆け抜けたりし夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

「たりし」は適切な文語でしょうか?
ちょっと自信がありません。

もうひとつ、
話者の心情にフォーカスしてがらっと変えてみました。

駆け抜けた先で弾ける雨粒に我は見るなり君の姿を

「先で」という言葉に違和感がありますが、一旦お送りして、ご意見をお聞きしたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

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秋月祐一→北詰若菜さん

一首目。

君 宙を駆け抜けたりし夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

上の句が定型になって、安定感が出ましたね。

前回と逆のアドバイスになりますが、口語で「駆け抜けてきた」とするのが、シンプルでいいような気がしました(文語に、というアドバイスは、上の句の破調を解消するために、生まれたものだったのかもしれません)

二首目。

駆け抜けた先で弾ける雨粒に我は見るなり君の姿を

「駆け抜けた先で」に作者の思いがあるわけですが、これだと説明に終わってしまいます。読者のイメージを喚起するような、場所、季節、時間などをここに入れられないでしょうか?

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北詰若菜さん→秋月祐一

構成としては1首目のほうが思い入れがあるので、1首目をベースに考えてみました。

君 宙を駆け抜けてきた夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

まず「駆け抜けてきた」パターンです。
~してきた=have done で、歌の中に時間の流れを感じさせるような気がしました。考えすぎならいいのですが。

君 宙を駆け抜けていった夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

こちらは「いった」が呆気ない刹那的な感じがするかと思いました。ただ破調になってしまいます。「駆け抜けてった」も考えたのですが、幼いかなと思いました。幼さがかえっていいような気もしますが、秋月さんのご意見を伺いたいです。

君 宙を駆け抜けていく夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

こちらも試して見ましたが、下の句と時制が合わないし、「いく(u)」「ゆ(u)うだち」ともっさりしてしまいますね。

1首目か2首目かなと思いますが、いかがでしょうか?

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秋月祐一→北詰若菜さん

北詰さんは、論理的に歌を構築されるタイプなのですね。

短歌は、時間の経過をはさまず、瞬間を切り取るほうが向いている詩型なのは、その通りです。

ですが、いただいた改作案だと……

「いった」は、字余りによるもたつきが気になります(字余りそのものがNGなのではなく、効果を上げる場合もあります)

「てった」は、おっしゃる通り、幼さが出てしまいますね。

「いく」も、おっしゃる通り、時制が混乱するような気がします。

それに加えて、「行く」には、作者の視点から雨粒が遠ざかってゆく印象が、ぼくにはあります。この歌の場合、雨は、地上にいる作者のほうへ「来る」のではないでしょうか?

これらを総合すると、「きた」が自然なような気がしますが、いかがでしょうか?

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秋月祐一→北詰若菜さん

補足です。

君 宙を駆け抜けてった夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

「駆け抜けてった」の幼さがかえってよいのでは? という質問に答えておりませんでした。

「いく」のベクトルの向きが逆であることの違和感は前述の通りですが、語感そのものはありだと思います。こういう幼さが活きるケースもありうると思います。

この歌の場合、下の句の「にて」との組み合わせがよくないのでは、というのがぼくの判断です。ご参考になれば幸いです。

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北詰若菜さん→秋月祐一

すごく納得しました。
視点があちこちに飛んでしまうのは、わたしのクセです。
思い出と空想の中から言葉を探しているので、漂流者のように視点がゆらゆらと定まらないのかもしれませんね。ここと決めたらイカリをおろしてやってみます。

というわけで、この歌については

君 宙を駆け抜けてきた夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

を完成稿にしたいと思います。
この過程で頭の中の言葉が干上がりました。

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北詰若菜さん→秋月祐一

続いて、一番最初にお送りした歌の改作です。

ねえ。君にねえの続きが言えなくて うみねこが鳴く寒空の下

ねえ。君にねえの続きが言えなくて ふたりのあいだ潮風が吹く

「潮風」というと夏のイメージになるでしょうか?
最初に秋月さんが仰っていたように、上の句の甘さとの対比を大事にしたいので、その点が気になります。

そして、うみねこのミャーという甲高い鳴き声がふたりの未来を掻き立てる気がするので、わたしは1首目が気に入っています。

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秋月祐一→北詰若菜さん

「うみねこ」の方が魅力的だと思います。「潮風」は甘くなりすぎるのではないでしょうか。

うみねこが鳴くの「が」を、他の助詞にする可能性もあるような気がしました。

たとえば、うみねこ「は」とすると、自分がうみねこになったような不思議な感じが出るような。ご検討ください。

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北詰若菜さん→秋月祐一

ねえ。君にねえの続きが言えなくて うみねこは鳴く寒空の下

うみねこ「は」。いいですね!
完全に秋月さんに乗っかってしまいますが。
ふたりを応援しているような、やきもきしているような、それともどうでもよくてミャーと鳴くのか(笑)
助詞を変えたことで不思議な広がりがうまれました。

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秋月祐一→北詰若菜さん

ありがとうございます。

【最終稿】

力ずくでへし折る枝のぎざぎざを見つめるあなたを見つめるわたし

君 宙を駆け抜けてきた夕立よ アスファルトにて弾けた君よ

ねえ。君にねえの続きが言えなくて うみねこは鳴く寒空の下

/北詰若菜

このようなかたちになりましたが、今回やりとりをしてみて、いかがでしたか?

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北詰若菜さん→秋月祐一

ありがとうございます!
結果的に構成はそのままですが、細かい部分を変えたことですんなり読み手の心に入っていけそうな歌になったと思います。

推敲ってひとりでやってるとどうしてもどこかで妥協してしまっていたんですね。しかも、どこを見直せば良くなるのかも分からないまま手探りでした。

今回、秋月さんが、韻律とか助詞とか話者の視点とか、具体的に見直す箇所をアドバイスしてくださったので、推敲のやり方がおぼろげながら分かってきた気がします。

そして、がっつり推敲することで、はじめて「言葉が枯渇した……!」という感覚を味わいました。
特に、二首目を推敲しているときは己の語彙の少なさを感じました。
インプットが大事ですね。それが身に染みました。

「夏と秋」読者の方に何か伝わるもののあるやり取りになっていれば良いのですが。ありがとうございました!

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*読者投稿欄でぐでぐでは、
みなさまからのご投稿をお待ちしております。
  ↓
natsutoaki.degdeg☆gmail.com
(☆を@に替えてください)

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【カピバラ温泉日記/秋月祐一】

◾️4月2日(火)
[美術]かぴばらっこ展で抽選販売に申し込んだ、こまつか苗さんのカピバラ徳利が当選しました。これはうれしい!

◾️4月5日(金)
[日々]今日はすごい風。春一番なのかしら? 夕食に、ツイッターで話題の「キャベツと豚肉と春雨の醤油炒め」を作りました。

◾️4月6日(土)
[音楽]加古隆『KENJI』(1988)
 加古さんのピアノと、野沢那智さんの語りで、宮沢賢治の世界を立体的に表現した名盤です。

◾️4月10日(水)
[俳句]角川俳句歳時記の合本版を購入。俳句の配列を決めるときに必要な「三・初・仲・晩」が記載されているのが便利そう。


◾️4月11日(木)
[俳句]今日は就活ごそっと落ちたけど(ウェブ応募が中心の時代になり、簡単に応募できるようになったけど、その分簡単に落ちますね)俳句が5句できたので、いい日だと思うことにしました。

◾️4月12日(金)
[音楽]21歳年下の妻とカラオケへ。BUMP OF CHICKENについて知見を広めました。

◾️4月13日(土)
[俳句]俳句グループ「船団」の東京句会へ。銀座でワインを飲みながらの大人な句会です。

◾️4月14日(日)
[演劇]アムリタ『春、隅田川で待つ』。テラスで遊ぶ子どもたちの声。背後の隅田川を航行する水上バス。チケット代わりに渡された風船。それらすべてが芝居の要素となる面白さ。壮大なラストシーンも印象深いものでした。

◾️4月18日(木)
[映画]渋谷のユーロスペースで、クリス・マルケルの映画『サン・ソレイユ』を観たあと、妻と合流して、新宿御苑の桜の夜間ライトアップを見てきました。

◾️4月19日(金)
[映画]ポレポレ東中野で、映画『ゴンドラ』を観てきました。十歳の孤独な少女の心象をたくみに表現したロードムービーで、30年ぶりに観たけど、やはり名作。台詞の少ない作品なので、いろんな視点から見ることができます。

◾️4月20日(土)
[短歌]「未来」彗星集の歌会へ。参加者は4人と少なかったけど、じっくりと相互批評を行うことができました。

◾️4月23日(火)
[音楽]青葉市子『0』
 「いきのこり●ぼくら」「うたのけはい」「機会仕掛乃宇宙」「はるなつあきふゆ」など、お気に入りの曲がたくさんあります。

◾️4月27日(土)
[音楽]あがた森魚『ぐすぺり幼年期』(2012)
 ぐすぺりとは、北海道で採れるという、グースベリーの実のこと。いつか食べてみたい、と思いながら聴いています。

◾️4月30日(火)
[錆猫]くうちゃんが、夜のあいだ、ぼくの布団の上で眠るようになりました。寝返りを打てなかったり、気をつかいますが、うれしいものです。

◾️5月2日(木)
[読書]神戸新聞の連載をまとめた『次の本へ V3 しごと編』。さまざまな職業の方71名におすすめの本2冊を訊く、ブックガイド兼人物紹介的な本。1冊目と2冊目が、どうつながっているのかという部分に、その方の人生が垣間見えて、興味深い内容です。

◾️5月3日(金)
[日々]妻と一緒に、西荻を散策。善福寺公園→どんぐり舎→今野書店→古書音羽館→キャロット。よく歩きました。音羽館で、田尻久子さんの『みぎわに立って』を購入。

◾️5月4日(土)
[錆猫]くうちゃんに、はじめてウェットフードをやりました。ハゴロモの「無一物」という、魚と水だけを原料としたもの。今日はカツオを。

◾️5月5日(日)
[演劇]渡辺源四郎商店『背中から四十分』@下北沢ザ・スズナリ。ホテルに宿泊する男性と、マッサージ師の女性の、ほぼ二人芝居。伏線を巧みに回収しながらも、予想外な展開をしてゆき、しだいに浮かび上がるそれぞれの人生と、ラストのかすかな希望。いい作品でした。

◾️5月6日(月)
[日々]連休最終日は、本の片づけを。お気に入りの本でも、今後読みかえすことがなさそうなものは、思い切って手放すことに。座右の書をすっと取りだせる本棚をめざして、こつこつと。

◾️5月7日(火)
[音楽]中島みゆき『寒水魚』(1982)。
 名曲ぞろいのアルバムですが、このアルバムに収録されたロック色のつよい「悪女」が、とくにお気に入りです。

◾️5月8日(水)
[日々]今日は、縄跳びする妻をながめたり、レンズ豆のスープを作ったり。レンズ豆はほっこり甘くて、やさしい味がしました。

◾️5月9日(木)
[俳句]
岩波俳句(「世界」6月号)
池田澄子選 佳作

飯蛸のまだ明るいと言つて飲む
/秋月祐一

◾️5月10日(金)
[日々]夕食は、池波正太郎流のねぎオムレツを中心に。BGMは、このところ定番の、Kiev Acoustic Trio の『Moment』。

◾️5月11日(土)
[短歌]短歌部カプカプのたんたか短歌で、拙歌をご紹介いただきました。ありがとうございます。

富士山のみえる範囲で生きてきた母とふたりで回転寿司へ/秋月祐一

◾️5月12日(日)
[演劇]瀬戸山美咲作・演出『埒もなく汚れなく』@シアター711。若くして亡くなった劇作家・大竹野正典の評伝劇です。なぜ演劇をつくるのか、なぜ山に登るのか。演劇と登山に憑かれた男と、その妻の人生を、冴えた演出で描いた秀作でした。

◾️5月16日(木)
[音楽]夕べの音楽は、南こうせつさんの『僕は緑の風』(1986)。高校生の頃から聴きつづけているアルバムです。

◾️5月17日(金)
[演劇]小池博史ブリッジプロジェクト『新・三人姉妹』@三鷹市芸術文化センター。電球をつかったダンス・シーンが圧巻。三女役の福島梓さんがとりわけ魅力的でした。

◾️5月18日(土)
[短歌]今日は「未来」彗星集の歌会に参加。木下侑介さんがひさしぶりにゲスト参加してくださり、充実した会となりました。

◾️5月19日(日)
[短歌]いぬのせなか座 連続講座 第4回「小さな灰色の矩形」@三鷹SCOOL。歌集『光と私語』の著者、𠮷田恭大さんがゲスト。『光と私語』のデザインの秘密の一端や、だやさんの短歌に人生を乗せない方法について、興味深い話を伺うことができました。

◾️5月20日(月)
[演劇]少年王者舘『1001』@新国立劇場。二進法の「ある・ない」と、シェヘラザードの千夜一夜物語を重ね合わせた、2時間15分の大作。主人公は分裂・増殖・消滅し、物語は始まりと終わりをくり返しながら、根源的な郷愁を描き出してゆきます。これは観るというより、まさしく体験でした。

◾️5月22日(水)
[短歌]第二歌集の制作に入りました。といっても、歌の並びをあれこれ考えている段階ですが。むずかしいけど、とても楽しい作業です。

◾️5月23日(木)
[短歌]歌集づくり。歌集の骨格をかたちづくるために、あれこれと試作中。とりあえず、手持ちの歌をグループごとに分類し、章立ての原型をこしらえたところです。

◾️5月25日(土)・26日(日)
[俳句]俳句グループ「船団」の全国大会に参加。坪内稔典さんから、来年6月1日発行の125号をもって、「船団」が終刊となることが告げられました。各地の句会は継続されると思いますが、作品発表の場がなくなるわけで、さて、どうしたものか。

◾️5月27日(月)
[短歌]歌集づくり。第一稿が完成しました。想定するレイアウトで、コピー本を作成して、見開きの歌の並びなどを検討。

◾️5月29日(水)
[俳句]突然ですが、歌集づくりと並行して、句集づくりを始めました。こちらもご期待ください。

◾️5月30日(木)
[俳句]今日は、句集づくりの作業に励みました。あれこれ考えて、知恵熱が出そう。苦しい。でも楽しい。

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【編集後記】

労働者の権利について考えを巡らせる日々です(夏)

日記にも書きましたが、
第二歌集と、第一句集を、並行して制作しております。
どうぞご期待ください(秋)

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「夏と秋」マガジン 第9号
2019年6月6日発行
夏と秋:こうさき初夏・秋月祐一
発行人:秋月祐一
無断複製ならびに無断転載を禁じます
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