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Day One | “帰りたいのに、帰って見ればそこは自分の居場所ではないことに気づく”いつかの彼女の言葉に息をのむ。

夏休み1日目。
塩田千春展:魂がふるえる | 森美術館 - MORI ART MUSEUMを見て来た。

これは旅の出発前にどうしても見ておきたかった展覧会だった。



私が初めて彼女の作品を見たのは、まだ学生の頃
愛知で見た「蜘蛛の糸」展。

今回の展示のフライヤーを数ヶ月前に発見した瞬間、“糸”という素材でこれだけのインパクトと、アイデンティティを出せるなんてと絶句した。


数日前、クリスチャン・ボルタンスキー展を見ただけでお腹がいっぱいになってしまった私は展示を見られることが楽しみで仕方がなかった。


彼女が展覧会開催決定の翌日、病院で12年前のガンが再発したことを宣告され、これから一体どう生きていけば良いかと考え抜いて過ごした2年間も詰まっているというインタビューや、レビューなどを読み、久しぶりに一つの展示を見るために下準備をしている自分に気付く。

魂、というかたちの無いものをテーマにしている今回の展示は、大人の夏休み1日目に相応しいのではないかと勝手に自分の中で思っていた。


〈時空の反射〉(2018)

ドレスと糸の組み合わせは、私が始めて見た作品。

〈どこへ向かって〉(2019)

空間をつくっている同じ人間として
途方もない作業と、意識と、工夫と、こだわりを感じて泣きそうになった。
(個人的にはこの大きな空間を毎回どう使うか楽しみにしている場所)

〈静けさの中で〉(2008)

〈集積―目的地を求めて〉(2016)

〈内と外〉(2009)

〈不確かな旅〉(2016)

迷いや不安の方が伝わるような一つ一つの作品とキャプションのみ、(一つ一つの作品に解説が無い)
解説の代わりに、本人の想いの言葉が壁に書かれている展示方法で
余白のある空間。
(蛇足ですがボルタンフスキー展はキャプションが無く、新聞紙みたいなものを渡されたのも新しい体験だった)


心に残ったのは、彼女が留学に行っていたときの作品で養豚場に通い電車で180もの牛骨を持ち帰り、並べたもの、
また、インスタレーションとして
全裸で斜面を登り、転がり落ち、
日本に帰りたい、でも帰った時にそこはもう自分の場所ではないということに気づく、帰れないとう思いを表現した作品だった。

“帰りたいのに、帰って見ればそこは自分の居場所ではないことに気づく”

誰しも一度は体験したことがあるような

例えば母校に忍び込んで思い出話しをするけれども、そこにはもう知っている人が居なかったり、
地元に帰りたくて帰っても、3日も持たずに東京に帰りたくなったり、
久しぶりに帰る実家がどことなく変化して居心地が悪かったり、
もう引っ越してしまったアパートや、
もう訪れないであろう場所。

居場所は常に変化して、
それは人も空間も魂も同じなのかもしれない。

場所が変化しているのか、
もしかしたら変化したのは自分自身かもしれないし、本当の居場所なんて
自分で決めてつくって行くしかない。
帰ったらそこにある安心感が欲しいと願うと同時に、そういう強さが欲しいとも欲張ってしまう。

なんてことも考えたけれど、空間に対して大きな物と膨大な数があるというのは場を征すると考えているので、今回の展示方法はとても学びだったなあ。


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