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大人の私の夏休み、開始。自分の手の届く範囲から“やりたい”を叶えられる、私でありたいと思った

3ヶ月前から、夏休みを計画していた。

社会人になってから、
初めての夏休みを取る。
去年の夏も、その前の夏も
欲張りかもしれないが、夏が始まってから

夏を楽しんで無い!だなんて言い出したものだなら、今年は私がやりたいことをやってあげようと
自分を休ませることが苦手な私が、
珍しく自身にご褒美を許した。


旅のきっかけというのはきっと後から付いてくる口実だから、なんでもよくて
目的なんて本当は無い方が楽しいのかもしれないけれど。


新しいノートを買うために
書店を巡っていたら、表紙に“LIFE”と書かれているノートを見つけてしまった。

何を描くだなんて決めいてたわけでは無いけれども私の中でノートを買うという行為は
毎日会う相棒を探しているような気持ちで、

勝手に運命を感じていた。


幼い頃から、日付も書いて、なんなら自分でページ数を数えて、ノートは綺麗に使いたいタイプだけれども、最近は思ったことを書きなぐっているなあなんて考えながら、
やりたいことを思いつく限り、端から書く。


ノートいっぱいになってしまうと思っていたが、実際に書いてみたら数ページで終わったことに、拍子抜けした。


ネガティブな意味ではなくて、私は自分の仕事や、やるべきことに追われることが好き過ぎて、色んなものを手放せなくなって
自分自身と近過ぎてどうもピントが合わない。

仕事が忙しくて彼女に会えないって
メールを送る世の中の彼氏の気持ちは一番私が憑依できると言い切れるくらい、よく分かる。

でも、だからといって彼女との時間を
疎かにしたら、どんなに仕事が上手くいってもそれは人生の豊かさとして成立しない。


私は、誰に言い訳して

やりたいことをやってないんだろう。


「こんなもんか、」

リストを書いてみて、そんなことを思う。

明日から出来ることもあるし
一週間、一ヶ月あれば出来ることもある。
一生かけても叶えられ無いかもしれないことも書いた。

人間が想像できる範囲の事なんて
きっといつかは叶ってしまうから
幸せの限度なんて尽きないのだけれども
こうやって具体的に書かれている
私の夢たちを並べて、嬉しく思った。


そんなタイミングで、「花火大会来てよ」なんて言われたから、
二つ返事で行くと返事をしてみた。


嘘か本当か分からないけれど
花火の花言葉は“口実”らしいから
やっぱり、うまくできているなあなんて思いながら。


誰かの夢もそうだし、自分の夢も同じように、やりたいことを、叶えてあげられる自分でいられたら、きっともっと私は自分の人生に責任を持ってあげられる気がした。

旅に持っていく本を丁寧に選ぶとか
スニーカーを綺麗にするとか
バックの中身を整理整頓するとか
電車に余裕を持って乗り込むとか
季節のものを食べるとか

観たいもの、体験したいものをちゃんと体験するとか、そういう自分の手の届く範囲から
やりたいように、丁寧に変化できる私でいたい。


馬鹿みたいに大音量で聴いている曲の歌詞が

悔しいくらいにセンチメンタルにさせる。

あー、こういう文章も
後で読み返して恥ずかしく
なってしまうんだろうな。


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