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純粋過ぎてガチで怒られた話

小学校低学年の頃かな…。
国語の授業で「詩」を習ったんですね。

先生の説明では、詩人は、心に感銘を受けたことなどを詩にしています…とのこと。

「そうなんだ!すごい!(キラキラ✨)」
と純粋に子供の私は思っていたわけです。

すると先生が、

「じゃあ、ここで宿題です。〇日までに詩を1つ書いて来てください」

と、詩を書いてくる宿題を出したわけです。

子供の私は、なんか書くことあるかな~と思いながら、数日を過ごしていましたが、驚くほど何も無く…。

期日の前日になっても、何も思いつかず…。
普段は22時頃に寝ていたのに、24時を過ぎても、宿題のプリントの前でうんうん唸ってました。

驚くほど何も思いつかない…。
適当になにか書くべきか…。
いやいや、詩とはそういうものじゃない。

母親は、適当になんでもいいから書いて出せば?と言ってましたが、私は、頑固者なので、それじゃダメなはず!と言い張り、結局何も書けないまま学校へ。

まぁ、案の定、宿題を忘れた奴として怒られる訳です。

で、理由を説明しました。

「先生が詩とはこういうものだと言ってたので…私は、何も思うことがなくて…書けませんでした(ㅠ︿ㅠ)」

なんでコイツ宿題出さへんねんという先生の圧が怖くて震えながら言いました。

そしたら、めちゃくちゃ怒られたんですよ。

「どうして書けないの?!?!」
「なんでもいいから書きなさい。みんな書けてます」
「みんなが出来ることがなぜあなたに出来ないの?(怠けているという意味を込めて)」

という先生の言葉に、
(えーーーーー!私はホンマになにも思うことなんて無かったのにどうしたらいいの…)
と焦りまくりです。

休憩時間も、放課後も残され…それでも書けないので、罰として自由時間的な時間割の時も、詩を書け!と他のことをさせて貰えない。
当時は本を読んだりイラスト書くのが好きだったので、自分だけさせてもらえない悲しみ。
と同時に、罰を受けさせられているという恥ずかしさ。

悲しくなってきて、なんだか分からない、「えんぴつ」というタイトルの詩を書きました。

「えんぴつ」
えんぴつは可哀想。
使われて、削られて、捨てられる…。

みたいな内容を書いた気がします。

いや、そんなこと、一言も思っていない!
なんなら、お気に入りの鉛筆が削られて無くなるのが悲しい!くらいの気持ちでいたのに。

無理やり書かされることにムカついていた私は、最初に、

「可哀想な私」
先生は、詩人はすごいみたいな話を授業で言っていたのに、無理やり書かされる。
私は詩人みたいに何も思うことが無かったのに。
書けるはずもない、可哀想な私。

みたいなことを書いてみたんです。
プリントに。

さすがにこれは怒られるだろうな~と思って、消しゴムで消したのですが。

今の大人の私から、当時の私を見たら、
「大正解!正直でいい!」
と爆笑しながら言いそう。

いや、マジで、マジで先生がそう言ったから、それに従って書こうとしけど、無理やった💦って、普通に宿題に深夜まで向き合ってるやん。
えらいやん笑

しかし、当時の私は、「生意気」と言われて、めちゃくちゃ怒られまくっていました。
割とこういうことを事ある毎に言ってしまう…。

学校の先生からしたら、
「はい!わかりました!」
「まぁ~宿題で出されたからやるか~」
「出さんかったら怒られるしな」
みたいな子供が9割以上いるなかで、私のように

「先生がこないだ言ってた説明の通りでは出来ませんでした!!!」
とか正直に申し出る子供って想定外だったんだろうし、なんも説明出来んかったんだろうな…って思います。

やので、大人には事ある毎に、「生意気」「反抗的」と言われて嫌われてました。

今、振り返ると…。
なんか分からんけど自分の信念を貫き、なんかわからんけど言葉にしてそれを伝えて、誰に何を言われようとも曲げない…ってすごいよね!

嫌な思いもしたこともあるけど、マインドコントロールをしてくる社会(みんな一緒であれみたいな小学校教育)で、「人間は一人一人別の価値観を持ってるからそれを曲げてみんなと同じになることは幸せじゃない」ということを既に理解していて行動していた私。
純粋がゆえ、違うことは違うと見過ごせない私。

大人になってもそれは変わりません。
そして、みんなと一緒に、みんな同じに…というマインドコントロールされて、自分を見失い苦しんでいる人々の助けになるために、私はここにいる気がします。


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