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自己紹介Vol.7~葛藤の中で~

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 苦難の連続でまったく未来が見えなかった九州での日々。このままここにいてもらちがあかないからとにかくほかのところに引っ越そうと思い立ち、まずは仕事を探すことに。

 数年前に”地域おこし協力隊”という職業があることを知り、それまでもさんざん地域の活性化にボランティアで関わっていたわたしは、それがお金をいただいてできるのならぜひなりたいと強く願っていた。でも協力隊制度は都会から田舎への若者の移住・定住促進が目的の国の事業で、もともと暮らしていた高知の実家のある地域はむしろ協力隊を募集する側だったため、居住地がネックで応募資格が得られなかった。しかし、大分市に移住したことによって晴れてその資格を得たことに気づいた。

 ひとまず2015年4月から活動を開始する協力隊の募集をネットで検索。全国津々浦々いろんな地域が様々なミッションで隊員を募集していたものの、そのほとんどは20代~30代が対象。当時42歳だったわたしでも応募できるものはごくわずかに限られていた。その中で、協力隊として求められている役割を果たせそうな募集が岡山県内にあって。その地域のホームページを見て、これってものすごく倍率高いんじゃないの?って思うくらいの魅力にふれて、一縷の望みを託して応募。そしてめでたく採用となった。

 もともと縁もゆかりもない地域ではあったけれど、大分の時との大きな違いは、地域の側から求めていただいての移住だったということ。いわば望まれての嫁入りのようなもので、わたしが籍を移すことを待ってくれている人たちがいるというのはとても心強いことだった。

 その地域は生まれ育った南国土佐の高知とはまったく逆の、雪の多い地域。除雪機が稼働するレベルの降雪量をほこる県境の山里。これまで数々の転職と引越しを繰り返し、まったく地に足のついた生活ができなかったわたしだけれど、年も年だしもうそろそろどこかに落ち着くべきだろう。その定住の地としてここでがんばろう、わたしはこの”地域”と結婚して残りの人生を添い遂げよう。そう強く思って協力隊として着任した。

 わたしが幼少期大好きだった、母方の実家のある田舎によく似た風景。初めて訪れた時、なぜか「ただいま」って言いたくなるような懐かしさと親しみ、そして縁を感じた地域。おじいちゃんおばあちゃんにたくさん可愛がられて、それはもう居心地のいいところだったけれど、山間の過疎地域特有の様々な課題・問題を抱えていて。だからこそ、地域おこし協力隊という存在が求められたわけで。

 わたしなりに一所懸命それらと向き合っていたけれど、今一つ自分の力を出し切れずにいた。その一番の原因はそこが合併によって大きな市の一部となっていて、市の思惑と地域の本音に埋められない隔たりがあり、両者の板挟みとなったこと。地域の顔を立てれば市の期待に添えない。市の声を通そうとすれば地域から反発が起こる。小さな一個人ではいかんともしがたいことがたくさんあって。

 地域おこし協力隊の任期は3年間。着任半年目に最初の壁にぶつかって以来、何度も何度も退任を考えた。わたしは本当にこの地域の未来に役立てるのだろうか?常に自問自答する葛藤の日々だった。それでもその地域で初の隊員となったわたしは自分が途中で去ることでその地域の評判を下げたくなくて(実際、任期満了を待たずして途中でやめていく隊員の数はものすごく多い)、悩み苦しみながらも3年間の任務を全うした。訳あってもともと協力隊として求められていた活動内容とは違うものになったけれど、わたしのことを一番近くで見守ってくださっていた方々の励ましと支えのもとで、任期満了を迎えられた。

 さて、これからどうしたものか。任期の切れ目が縁の切れ目になってしまうのは嫌で、かといって自分一人が暮らしていくのに十分な収入を得られるめどもない。そんなわたしに、協力隊就任直後に出会った方がとある進言をしてくれて。それに従い、ひとまずの猶予期間としてその市内にある職業訓練校に1年通うことにした。

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