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なつくまエッセイ【ゼンマイじかけのシンビジューム】

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こちらはエッセイのコーナー。シンビジュームは可憐なのに、よくみると毒々しいランの一種です。
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記事一覧

絵の本を買ったのでお勉強

本に記載されていた何とか法を駆使して?描いてみました。 何とか法を試すのははじめてなので、きっと次はもっとうまくかけるはず。たぶん笑 これより下手になりようがないしね。 ちなみに絵には背後霊のほか、お婆ちゃんが毛糸を編んでいたり、ポチの家には王冠があったり、犬の足洗い場がやたらと広いし小屋から離れてて滅茶苦茶不便だったりするので、足洗い場は飼い主と犬のプールになっていたりします(人生とはそんなものです)。 時々、玄関のシャンデリアの電球が切れると、家主は不機嫌になり

比喩的日記「ある意味、しあわせを教えてくれた、カンガルーポケット」

※これは今日(厳密には昨日)あったできごとを、ちがうものごとに置き換え、視点を「私」以外で記した物語のような日記のようなよくわからないものです。あまりながくない、とりのめのない世界をおたのしみください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  分厚い皮と身のあいだに親指を突っ込み、ちからを入れると文旦のなつかしいかおりが立ちのぼってくる。ひと房、ひと房、皮を剥き、口に放り込んだ。  数時間前、彼女はどこでも階段教室に行っていた。どこでも階段

どんがらがっしゃん

こどもが私に指で銃をつくって「どん!」というので、近づいていったらまだ指銃で撃たれた。 だから「どんがらがっしゃんー、どんがらがっしゃーん」と、息子に抱きつこうとする母(わたし)。彼は笑いながら怒って、「どんがらがっしゃんするよ!」と手の銃を向けてくる。 私は「どんがらがっしゃーん、どんがらがっしゃーん!」と騒ぎなら、ぎゅうを狙って近づくと、また息子に「どんがらがっしゃんするよ!」と追い払われる。 という、よく分からない遊び?戯れ?をしていた。 いったい、どんがらがっ

出て行く旦那さんと赤ワイン

ゴルフに行ってくるよ、と夜9時頃、旦那さんが出ていった。 玄関へ続く電気が消えて、「ああ、行ってしまった」と思った。 「行ってしまった」というのは、悲しみや不安を含んでいるがそういうフレーズが浮かんだのは、昼間会った女性に 「既婚男性のジム通いは、浮気の口実になる」 と言われたのを思い出したためだ。 その時は夜景の見える高層ビルで、女を囲うちょいひげオヤジを思い浮かべたけれど、 あれ今、うちの旦那さんも夜のランデブーに行きやしたぜ と気づいてしまったわけ。 ま

昔のプロモーション活動

この前、あるトレンディドラマの映像について「パソコンがないのに、どうやって仕事してたんだ?」というコメントが寄せられていた。 ああ、そうだよな。どうやって仕事してたんだろう。電話とファックスがずいぶんと活躍していた時代だ。 同時に母はよく知らない駅のお店に連れて行ってくれたことが思い出された。その店の情報は一体どこから調べたのだろうか。電話帳だろうか? 今のようにネットを開くと、情報が押し寄せてくる社会ではない。テレビやラジオ、友人知人からきいた話、折り込み広告、電話や

ある駅前に生まれた△地帯。「何もない」はすばらしい!

数年前。最寄り駅前に、三角地帯が生まれた。 それができる前に市からアンケートが送られてきた。三角地帯に何ができたら嬉しいか教えてくださいというモノだ。 当時、この町にはボールを使って遊べる場所があまりなかった。なのでボールが遊べるネットを張った公園が欲しいという旨を書いた。しかし公園を造るよりもきっと商業施設の方が良いと考えるような気がしたので、もう1案書いておいた。 建物を建てて、中野のような独自のカルチャーが生まれそうな店を呼び込み、違うフロアには子育て支援系を入れ

マイノリティという言葉がこわいの

母が体を悪くしてから、障害のある人たちのちからになれればと思うようになった。 先日、そのような願いが叶いそうなサイトの募集を見つけたので応募してみた。 よくよくきいてみると、取材をしないで書く記事だった。 取材ありきの仕事しかやらないわけではない。 だがマイノリティという言葉と、ネットの情報のみで書く記事、そのふたつの相性は私にとって恐怖でしかない。 そもそもマイノリティという言葉が怖い。言葉の中にいろいろな人の想いが凝縮されている気もするし、実体がつかみづらい。だがあ

2020年、ライフストーリー作家としてデビューします。

今年から結婚される方のエピソードなどをお伺いして、小説として一冊の本にする「ライフストーリー作家」の一員として活動することとなりました。小説を書いて人のお役に立てるなんて幸せです。 結婚関連だけではなく、起業秘話や夫婦の馴れ初めなど、人が大切にしている想い出をそっと小説というカタチにのこしていきます。 人の熱い想いにふれる行為。 とても緊張しますが、同時に幸福感でいっぱいです。普段、お伺いできないディープな話しにじんわりと触れることができ、それを大好きな小説として表現し

投稿(送信)ボタンが重くなる時

難しい案件があり、かなりどうすれば良いのか分からなくなっていた。だがクライアント様が良い方で時間というチャンスをくれた。 どうか多くの人に読まれる記事になりますように。願いながら送信した。 コレを押せば相手に送信される! そう思うとやたらと緊張してしまうことがある。 はじめて仕事する相手への初稿出し、取材依頼書を送る時など。 人によって違うだろうが、きっと何らかの緊張ポイントは人それぞれあるんじゃないかな。 私の場合は誰かを誘うことがとても苦手で、色々と考え過ぎてしまう

M&Aの成功事例を読んで泣いた話

先ほど、M&Aの成功事例を読んで泣いてしまった。 熱のこもった文章という訳ではなく、淡々と事実を並べた文章だというのにその間からにじむ汗や涙を考えたら泣かずにはいられなかった。 起業はとても大変だ。それを継続し、発展させ、社員の給料を払い、次世代に継承していく。そのためには多くの熱量が必要だろう。だが何らかの課題を解決させるためM&Aを選択する人もいる。 人によっては「わが子のように大切に育ててきた会社を、手ばなすなんてできない」 と、迷う人もいるかもしれない。それで

できないのは何かおかしいからなのかな

自分でこうしたいと思っても、それができない。 2つもできない。 とても簡単で昔はいつもやっていたことなのに、ここ2年ほどできていない。 自分は何かの欠陥があるのかしらと思って不安になるし、人間としてどうかと思う。 そういうレベルでできないのだ。 たぶん、その2つができない理由はきっと同じなんだと思う。 たとえば、こんこと。 ●やらなくても生きていけてる ●時間がもったいない気がしてならない ●やってるとその時間、好きなことができない ●現実と向き合うことのような気がする

なつくまの由来

私はライターをやっています。ペンネームは夏野久万や夏花くまこ、なつくま。3つの名前を使い分けています。 最初はなつくまでした。でもビジネス系の仕事をするうえで、苗字と名前があったほうが良いかなと思い、夏野久万が誕生。そして夏花くまこは、1つの媒体のために生まれた名前です(今のところ)。 夏野久万も夏花くまこも、略して「なつくま」となるように考えました。 ではなぜ「なつくま」なのか。 それは単純明快。夏とクマが好きだから。 本当は映画『風と共に去りぬ』の主人公スカーレ

居心地のいいグループと、居心地の悪いグループ

去年からダイエット系のSNSグループに入っている。無料なのに有益な情報が得られるとてもすてきなグループだ。 だがなかには、有益だが居心地の悪いグループもある。居心地の悪いグループと良いグループの差は何だろう。 以前、物書き系のグループに所属していたことがある。そこは褒めてのばすタイプの集団だった。メンバーのつくるもののどこそこが素晴らしいので、次はもっとここを伸ばすと良いと思います、といった投稿がもらえる。すべてを許容されている安心感があった。 現在所属しているダイエッ

こんなモノなら伝染したいし、させたいよね。

目の前にアイロンビーズがある。 ピンクやオレンジ色の小さなビーズで、アイロンの熱かたまってキーフォルダーのようにもなる。机の上で、一つ一つがとっ散らかっていると単なるゴミだが、あるべき場所にぽつぽつと固まっていると何らかの意味を持つ。 それって、ライターの仕事に似ている。 文字単体では、何かを伝えるにはか弱すぎる。でも伝えようと思って形をつくったり、ならべかえたりしているうちに、伝わる文章が出来上がったりもする。 いちおう私は日頃、そういうことを仕事にしている。 時