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「ははとむすめ」~川の中を泳いでいるの


「陸はじつに美しいぞ。暖かい季節になると色が変わるんだ。ふわふわしたやさしい色彩になって、冬にはおおらかな雪がそれを覆い隠す」
 口の尖った空の友人はそう言った。
「暖かくなると色が変わる? それは何の話?」
「花だよ。……今度、君のために花をとってきてあげよう」
  すてき! 小さなエラで触ってみたい。本気でそう思った。
 だけど空の友人はすぐに花を連れてきてはくれなかった。

嵐が近づくにつれて水面は濁りだす。息を吸うために、顔を出すのもひと苦労だ。
 水かさが上がるにつれ、水面の景色が淀んでいく。私は思いきり陸の方に泳ぎ、水面に顔をつきだした。
 すさまじい音と共に、濁流が押し寄せてくる。

 私は思いきり跳ねた。今夜の空の世界は、地底よりも陰険だ。でも私は負けない。花に逢いに行くんだ! 
 川はみるみる陸を浸食していき、私はぐんぐん前へと進んでいく。もっと奥へ、もっと陸へ!
 

 もう一度、ジャンプした。
「ダメよ!」と川が叫ぶ。川が嵐から私を守ろうと抱き込もうとする。
「花が見たいの!」
 ちからいっぱいジャンプした。濁流が私を押し、何かにぶつかった。
私はそのまま、意識を失った。

「おい、起きろよ」
 空の友人が、するどい口でつついた。いつの間にか雨はやんでいた。
「俺様みたいな鳥類が、お前みたいに飛べないお嬢さんのために、花をとってきてやるなんてよ」
 空の友人は、翼の間に隠していた花をくちばしで持つと、私の口元に運んでくれた。
 天気のいい日の水面のにおいよりももっと情熱的で、落ちていたドロップよりも気まぐれな香りのする、白い花だった。
顔を揺らすたびに、花が揺れ、においが遊ぼうとやってくる。
「ありがとう」

 私はもっと陸に出ようと体をくねらせた。だが石が食い込み、うまく泳げない。
「泳ぎ方を忘れてしまった」
 空の友人は、わらった。
「おかしなこと言うお嬢さんだ。君はハイギョだろう。ハイで呼吸する魚だ」
「ハイギョ?」
「たぶんな。以前、フクロウじいさんが教えてくれた。人間みたいにハイで呼吸する魚がいるって。だがな、お嬢さんよ。……陸では足ってもんで歩くんだ」
「足?」
「君には足がないから、無理なんだよ。陸で生活するのは」
「……」
 空の友人は、移り気な上の世界に視線を走らせ「これは大変だ」と翼を広げた。
「悪いけど急ぐから、またな!」
 そういうと空の友人は、翼を広げて消えてしまった。

 その時だった。
 鋭い風。轟音。川が怒っている! 
 私は川から逃れるように、もっと陸の方へ泳ごうとした。だが動けない。陸の上にはびこる石たちが、体に突き刺さり前に進めない。


「もどりなさい!」
 川が叫んだ。
「このままでは、あなたは死んでしまう。私の元に戻り、傷を癒しなさい。そしてまた旅立てばいい」
「えっ……」
思わず川の方を見た。川の流れは私の尾ひれあたりまで来ていた。尾を引っ張ろうとうねりだす。

「私は川から逃げたんだよ」

「そう私から去ろうとした」
「だからもう……」

「あなたがそれを望むのなら」

 一瞬、川の流れが止まったような気がした。

「私はいつでもあなたを待っています。川はどこでも流れていますから」
 でも……と、口にくわえた白い花を見上げた。もっと違う色の花もあるという。陸には雪がつもり、四本足で歩く生き物もいるらしい。私はそれを知らない。ずっと知らないままで死ぬなんて、イヤだ!


「そうでしょうね。ならば外の世界にいける、ユメノイケに行きなさい。こどもという生き物が、あなたをきっと導いてくれるはずです」
 コドモ。全身のチカラが抜けていくのを感じた。コドモが私を外の世界に導いてくれる……。
「そうよ。もうここには、戻らない」
そう言って川は私を包んでくれた。
「会いたかった。ずっと心配していたのよ」
 川は私を抱きしめ、たっぷりの餌を運んできてくれた。ユメノイケ、ユメノイケと、頭の中で唱えながら、私はたくさんの水と餌を口にした。川はうれしそうにわらった。いつしか川は穏やかになり、水面の透明の鎖は揺れていく。
「元気になったら、ユメノイケに連れていってあげる」
 そう言う川は、どこか寂しそうだった。
「ちょっと先になりそう」
 まだほんの少しだけ、あなたの子どもでいていいですか。
 私は心のなかで、そうつぶやきながら川にキスをした。
 その傍らで、白い花が穏やかに揺れた。なんだかとても幸せな香りがした。

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