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来てなかったクセに!?

「ふざけるな!」
と怒鳴りそうになった。

――運動会のランチは大きなお弁当箱を広げて、わいわいと食べたいな。

小さい頃の、運動会の夢だった。

しかし現実は、ごきげんなブロッコリーも完璧な卵焼きも目立ちたがりやのミニトマトも出てこなかった。

もしかしたら入っていたのかもしれないけれど、寂しさが勝って覚えていない。
みんなとわいわい食べたいのに、どうして私はお母さんとふたりぼっちなの?
という気持ちが、ブロッコリーたちの元気さを押し殺していた。

それは父が運動会に来ないから仕方ないことなの。私は母とふたりで食べるしかないから、大きなお弁当箱なんていらない。そう思うようにしていたのかもしれない。

それなのに去年、孫たちの運動会にやってきた父は、当たり前のように

「こうやってみんなで食べるお弁当は、うまいなあ」
と言ったのだ。

「それはお父さんが私の運動会に来なかったから、お弁当食べれなかっただけでしょう?」
思わず反論してしまう私。あくまでにこやかにだけど。

すると父は悪びれもせず

「おまえの運動会は、親子別々で食べるシステムだったじゃないか」
そういい、ふたたびお弁当をほうばるのである。

私が小さい頃の運動会のお弁当箱がコンパクトサイズだったのは、父が運動会に来てくれなかったからだと思っていた。人数が少ないから、たくさん作る必要はないと母が判断したためと。

それは記憶違いだったことが分かった。父は運動会に毎年来ていた。でもお弁当の時間になると生徒は教室に戻ってしまうから、そのまま帰っていたのだ。

その事実は、衝撃だった。
運動会のお弁当=寂しいもの
と思っていた私の記憶は、ぽこぽこと動きはじめた。

今年の運動会も、父と一緒に食べられるだろうか。そう考えると大きなお弁当箱が頭の中で色付きはじめる。子どもの頃したかったように、丸くなって大きなお弁当をつつけるだろうか。

もちろんお弁当を作るのは大変だし、面倒だし、正直どうにかならないだろうかと思うけれど、その先のえがおや記憶のあたたかさが私の気持ちを奮い立せてくれた。

何を作ろうかしらと頭の中でシミュレーションした。幾度となくカラフルなお弁当が頭の中で組み立てられていく。

でもそれは、1枚の手紙によって裏切られるのだ。実にあっさりとシンプルに。

今年から、運動会ランチは保護者と別々で食べますよ。

そんなことが書かれていた。

パソコンで打たれた無機質な文字の羅列は、なあんだ、とお弁当の妄想を一気に打ち砕く破壊力があった。

もう父と運動会のお弁当は食べられない。

去年の運動会に食べたお弁当は、一生に一度の、ものすごい貴重なお弁当だったみたいだ。

もう出逢うことのない想い出に、ありがとう、がこぼれ落ちた。


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