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「五戒」を説かないレイキは偽物

直傳靈氣に見られるように、日本伝統のレイキでは「五戒」を大切にします。
それは創設者の臼井甕男(うすい・みかお)氏から、「朝夕合掌して心に念じ口に唱へよ」と言われているからです。

一方、西洋レイキではほとんど語られることがありません。
ただ、「五戒」は知らなくても、レイキを使うことはできます。
したがって、病気や怪我を治すのに「五戒」は不要とも言えます。

しかし、タイトルに書いたように少し厳しい言葉ですが、私は「五戒」を説かないレイキは偽物だと思っています。

西洋レイキの実態

西洋レイキもいろいろ変化しているので、すべての西洋レイキを指しているわけではありません。
しかし中には、「これはちょっとひどいんじゃないの?」と言いたくなるようなレイキを教えるマスターもいます。

たとえば、レイキをする時は常に天使とつながっていなければならない、と教えるマスターもいます。
天使とつながっていないと、そこからレイキが流れてこないと言うのです。

もっとひどいのになると、ヒプノセラピーとくっつけて勝手に受講者の前世を見て、前世がどうのこうの、カルマがどうのこうのと言って脅し、何かを強制するマスターもいるようです。

レイキが人の本能であり、自然なものであるなら、本来はもっと自由なはずです。
それなのに様々な制限を行い、自由を奪っている実態があります。

自由に反するのは「五戒」を説かないから

なぜ自由に反するのかと言うと、それは「五戒」を説かないからだと思っています。

相手を自由にさせたくないのは、「不安」があるからです。
つまり、何かを「心配」しているのです。
それでも相手が自分の意に反して何かをしようとすれば、「感謝」することなど不可能で、腹を立てて「怒る」かもしれません。
自分の思い通りにならない相手に腹を立てれば、「親切」にすることはできません
そんな状態で、心を込めて「業に励む」ことができるでしょうか?

このように、あれこれ制限して相手を自由にさせないと考えると、とたんに「五戒」のように生きることが不可能になります。
逆に言えば、「五戒」のように生きようとすれば、相手を自由にさせるしかないのです。

しかも、単に相手を自由にさせるだけでなく、相手の自由を喜ぶくらいでなければなりません。
仕方なく相手の自由を認めていたら、そこには必ず不平不満の心が残ります。
そんな状態で、本当の意味での「感謝」はできませんから。

「五戒」がレイキの本質

すでに書いてきたように、レイキの本質は「五戒」にあります。
前の「なぜレイキを広めようとしたのか?」で書いたように、創設者の臼井氏が考えたレイキの目的は、単に心身の健康ではありません。
レイキ施術者が悟りを得て、その生き方を他に示すことによって周りの人を感化させ、同じように悟りを得る人を増やすことが目的です。

この目的のためには、「五戒」が不可欠なのです。
ですから、単に「手当て」だけを教えるレイキは、本当のレイキだとは言えないと思います。
したがって私は、「五戒」を説かないレイキは偽物だと言うのです。

「五戒」を説かなくてもよい

しかし、そう言いながらも、「五戒」を説かなくても目的を達成することも可能であることを言っておく必要があります。
なぜなら、「五戒」も説かないし、ましてやレイキでもない手当て療法を行いながら、悟りの境地に達する人がいるからです。

それが前に紹介した「手の妙用」吉田弘氏です。吉田氏は、こんなことを言っています。

「ゆえに万物万有は、大自然、すなわち全宇宙体の一細胞にほかならない。」(p.2)
「私は独断であるが、人間の精神とは、この波動の面のことをいうのであると思う。
 他人の胸の痛みを感ずるということは、人間の精神を波動と考えて初めて理解ができる。」(p.67)
「してみると、光が万物の根源ということになる。
(中略)
 二つの生命ある細胞が合して、一つの生命となった。それは個体であると同時に波動である。
 その根源は何かと追求してゆけば、源は光であるということになる。光が生命の根源となり、光が生命であるということができる。」(p.68)
「人間はもはや孤立していないことがわかった以上、孤立的個人主義的利己主義は生命の真の姿を知らないことからくる迷想であることを知らねばならぬ。したがって、資本主義もその嫡出子である共産主義も共に誤りであることを知らねばならぬ。」(p.76)
「手当療法はこれを体得するのに最もよき方法である。手当してみれば他人の苦痛を手に感ずるから真の同情ができる。真の同情のあるところにのみ真の平和がある。」(p.77)

「感じる手」になって手当て療法をしっかりやっていれば、こういう悟りの境地に至ることができるのですね。
このことからすると、特に「五戒」がなければ悟れないわけではないと言えます。
そうであれば、「五戒」のない西洋レイキであっても、それだけで本質的にレイキではないとは言い切れないのです。

重要なのは、「五戒」を唱えることではありません。
「五戒」の精神で生きることです。
そうするならば、「五戒」を知らなくても大丈夫です。
ただレイキを行うだけでも、悟りの境地に至るのに役立つと思います。


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