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ナチュラル・レイキの手の当て方

西洋レイキでは、スタンダードポジションと呼ばれる手の当て方があります。
一方、日本伝統のレイキでは、病腺を感知して手を当てるという方法があります。
では、私が推奨するナチュラル・レイキでは、どのような手の当て方をするのが良いのでしょうか?

ナチュラル・レイキは自由です

ナチュラル・レイキのコンセプトは「自由」です。
つまり、どこに手を当ててもかまわないのです。

西洋レイキのように、スタンダードポジションに手を当ててもかまいません。
あるいは、西洋レイキのスタンダードポジションとは違うポジションに、一定時間ずつ動かしながら手を当ててもOKです。

もちろん、日本伝統のレイキのように、病腺を感知して、そこに集中的に手を当てるのもいいでしょう。
手を当てている間に直観が働いて、他の場所に手を当ててみるというのもOKです。

つまり、これが良いという手の当て方もなければ、これが悪いという手の当て方もありません。
前に「どこに手を当てればよいのか?」で紹介したように、頭にしか手を当てませんという方法でもいいのです。
それでも、氣(靈氣)は必要な場所に届きますから。

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すべては遠隔ヒーリング

前に書いたように、ナチュラル・レイキにおいては、レイキはすべて「遠隔ヒーリング」なのです。
受け手の身体に手を触れているとしても、それは厳密には「直接」ではありません。
間に服やブランケットなどが挟まっているかもしれないし、仮に皮膚に直接触れているとしても、それを電子顕微鏡で見れば、原子は触れ合っていません。
それでもレイキが送られるのが当然のことだ、と考えるのがナチュラル・レイキです。
なぜなら、それが人間の本能ですから。

そして、人間という存在がスピリチュアル(魂的)なものであれば、時空を超越するのは当然のことです。
科学が認めているように、エネルギーは時空を超越するという立場に立つのがナチュラル・レイキです。

時空を超越するということは、いわゆる「遠隔ヒーリング」です。
しかし、ナチュラル・レイキでは、それが普段から常に起こっているという考え方をします。
エネルギーは常に時空を超越し、相手が欲するだけ相手に流れ込みます。
何の見返りもなく、ただ流れていくのです。

病腺は気にしなくていい

そこで、重要なことを言いますね。
ナチュラル・レイキでは、病腺をいちいち気にしなくてもいいです。

日本伝統のレイキに反旗を翻すようですが、結論的にそうなるのです。
なぜなら、エネルギーは時空を超えて必要とする部分に流れるからです。

前に、「手の妙用」という本の中で、頭にしか手を当てない人の話を紹介しました。
頭に手を当てているのに、その氣(靈氣)が必要な箇所に流れるのは、それが「遠隔ヒーリング」だからです。
それ以上の上手い説明ができる人がいれば、どうぞお願いします。
遠隔ヒーリングと考える以外に、頭から必要な箇所にレイキができるとは思えません。
なぜなら、前にも説明したように、経絡に沿って流れるのであれば、氣(靈氣)は分散し、途中で消費されると考えられるからです。

また、日本伝統のレイキを受け継ぐ直傳靈氣の代表の山口忠夫氏は、お腹に手を当てても「腎臓」と言えば腎臓に氣(靈氣)が届くと言われています。
これはまさに「遠隔ヒーリング」ではありませんか。

つまり、氣(靈氣)を必要とする身体の箇所に手を当てなくても、そこが効果的に氣(靈氣)を吸うようにする方法はある、ということなのです。

「意図のないエネルギー」という意味

では、どうやって氣(靈氣)を必要な箇所に届けるのでしょう?
便宜上「送る」という言葉も使いましたが、本質的には「吸われる」であるはずです。
でも、授乳の話でも言いましたが、お母さんが赤ちゃんの顔をおっぱいの近くに持っていかなければ、赤ちゃんはおっぱいを吸いません。
このことを、どうやって解消するのでしょうか?

仏教では、「卒啄同時」という言葉があります。
鳥のヒナは、卵の殻の中で充分に成長すると、中からくちばしで殻をつついて、殻の外に出ようとします。
その同じタイミングで親鳥は、外から殻をつついて割ってやります。
これを「卒啄同時」と言うのです。

親鳥がつつくのが早すぎれば、充分に成長してないヒナは死んでしまうかもしれません。
また、親鳥が気づくのが遅ければ、ヒナは殻の外に出られずに、これもまた死んでしまうかもしれません。
この絶妙なタイミングで同じ目的のために別々に見える存在が動くこと。
この完全なシンクロが「卒啄同時」です。

しかし、これは珍しいことではなく、自然なことなのです。
レイキをする時も、この「卒啄同時」が働きます。

施術する側は、受け手の役に立つことを考えて、どこかに手を置きます。
そこから出る氣(靈氣)は遠隔で、受け手が必要とする箇所に届きます。
つまり、氣(靈氣)を送りたい施術側と、それを受けたい受け手が、完全にシンクロします。
したがって施術側は、どこにレイキをするかさえも考えなくて良いのです。

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どこにレイキしても関係ない

このことに気づいたのは、レイキ仲間に対して遠隔ヒーリングをした時でした。
彼は、感染症で足が腫れているから、左足のふくらはぎにレイキをしてほしいと言いました。
レイキ仲間数人がそれを聞いて、遠隔ヒーリングを行いました。
ところが彼は、書き間違いで本当は右足だった、と後から言いました。
しかし、遠隔ヒーリングで送られた氣(靈氣)が、たしかに右足に届いているとも言ったのです。

このことを整合性がとれるように理解しようとすれば、左足に送ったつもりの氣(靈氣)が、実は右足に流れたことになります。
そんなことがあり得るでしょうか?

考えられるのは、レイキが「意図のないエネルギー」であるなら、それがあり得るということです。
氣(靈氣)は自由に、受け手が必要とする箇所に流れるのです。

つまり、送り手(施術者)は、ともかく受け手の役に立てばいいと思って手を当てています。
しかし、それがどう使われるのか、その結果どうなるかは、完全に相手に任せています。
送り手は、左足にこだわったわけではなく、ただ受け手が苦しんでいるであろうどこかのために役立てばよい、という思いの方を強く持っています。
その「意図のないエネルギー」を、受け手は左足ではなく右足に使った。
だから、左足に対して遠隔ヒーリングをしたはずなのに、受け手は右足に氣(靈氣)が流れてきたと感じたのです。

ナチュラル・レイキの手の当て方

以上のことから私は、ナチュラル・レイキの手の当て方は、患部(痛みなどがある場所)を優先的に手を当てることだと思います。
「感じる手」になることは、レイキの実感を得るためには重要です。
しかし、それに頼って、病腺を探り当てるようなことをわざわざする必要はないと思うのです。

ただし、完全に委ねるという考え方を実践することが重要です。
自分の意志で「治してやろう」とか「何とか良くなってくれ~」などという思いは不要ですし、邪魔でしかありません。
完全に委ねることによって、むしろ効果的に氣(靈氣)を使ってもらえるのです。

そして、直観を重視することです。
手が勝手に動くのであれば、その動きに任せましょう。
手が動かなくても、ここがいいんじゃないかと感じたのであれば、その場所に手を当ててみましょう。
その結果がどうかに関係なく、その結果を恐れることなく、ただ感じた通りに手を当てればよいのです。

私は、それがナチュラル・レイキの手の当て方だと思います。
難しいことは何もありません。ただ、思ったところに手を当てるだけです。
そして宇宙の氣(靈氣)が、自分という媒体を通じて(パイプを通して)、受け手の必要な箇所に流れると信じることです。

受け手はレイキを信じる必要はありませんが、施術者は確信する必要があると思います。
確信がなければ、そもそも手を当てられないからです。
それで大丈夫だと安心して手を当てる。それがナチュラル・レイキなのです。

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