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魂は課題を持って生まれてくる

前回の「私たちはなぜ生きるのか?」では、魂がこの世に生まれてくる理由について書きました。
それは、体験を通じて自分自身を知ることです。とりわけ「愛」を知ることが重要な課題と言えるでしょう。

では、この世にこれだけ多くの人が存在するのは、どういうことなのでしょう?
ただ愛を体験するだけで良いのなら、そんなに多くの人はいらないと思うのですが・・・。

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自由に自分らしさを体験したい

まず、魂というのは神の一部であり、神そのものと言えます。
なので、その性質を「神との対話③」で見てみましょう。

「あなたがたはもともと、無制限で永遠で自由なのだ。」(p.275)

「存在のすべて」である神は、時空を超越した存在ですから、永遠で無限です。
つまり無制限だということです。そして無制限ということは、自由だということなのです。

魂も本質的には神そのものですから、同じ性質を持っています。
したがって、私たちは自由なのです。

そんな自由な私たちは、自分の自由に体験したいと願うと言います。
これも「神との対話」の言葉を見てみましょう。

「絶対的な領域で身体から切り離された霊としてではなく、相対的な領域で身体をもった霊として暮らすだろう。それでもあなたはあらゆる自由と喜びと平和を味わい、いずれ霊としての智恵と理解と力が備わるだろう。それで充分に自分らしさを実現して生きられるだろう。
それがあなたがたの魂の目標である。身体をもっているあいだに、自分らしさを充分に実現すること、真の自分にふさわしい存在になること、それが目的である。」(p.63 - 64)

このように、自由に自分らしく体験することが目標なのです。

では、こんなにも多くの人が必要なのでしょうか?

これは、「無限」という概念を考えてみる必要があります。
私たちが生きているのは、時空の制限を受ける3次元世界です。
つまり、同時に同じ場所に複数の人が存在することはできません。
また、同時に違う場所に同じ人が存在することもできません。

これは、たとえて言うなら、時間と空間の交点にのみ存在が許されるということでもあります。
しかし神は、ある特定の交点だけでなく、すべてに存在します。
この膨大な神のすべてを体験するためには、いったいどれだけの交点があればよいのでしょうか?

ですから私たちは、一人ひとりに違いがあります。個性があります。
同じような姿形はしていても、1人として同じ人はいません。
なぜなら、一人ひとりに役割が違うからです。体験する神の要素が異なるからです。

このことを、「神との対話②」で、こう表現しています。

「平等とは同一ということだからだ。世界に同一は、ぜんぜん必要がない。」(p.262)

私たちは、それぞれ違うから、それぞれに存在意義があります。
それぞれが自分らしさを自由に体験するためにこの世にいます。
他の人のように生きる必要はないのです。

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魂は計画して生まれてくる

では、私たちが自由に自分らしさを追求するとして、そこに魂はどう関係してくるのでしょう?
そのことも、「神との対話」にこう書かれています。

「魂はこの全ドラマを、毎年、毎月、毎日……毎秒見つめながら、いつもあなたについての真実をもちつづけている。魂は決して青写真を忘れない。元の設計図を、最初の意図を、創造的な思考を忘れない。魂の仕事は、あなたにその青写真を思い出させること。ほんとうの自分を思い起こさせること、そして、こうありたいと思う自分を選ばせることである。」(p.248)

わかりやすいのは、いつ、どこに、どんな条件で生まれてくるか、ということです。
最近は、自分で選んで生まれてきたと証言する子どもが多いそうですね。
「自分をえらんで生まれてきたよ」という本を書いたいんやく・りおくんの言葉が、「前祝いの法則」に書かれていたので引用しましょう。

「そのなかで、りお君は難病で生まれてきた理由をこう言っているのです。
 「病気で生まれてきたから、ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」
 喘息になったときにはこう言ったそうです。
 「ママ、僕が喘息になったのは、喘息を治すのが面白いからだよ。」」(p.133)

どういう条件で生まれてくるかは、いわば宿命と呼ばれるものです。
そう生まれてきた以上、もはや変えることはできません。
しかし、それ以降の生き方は運命であり、運命は変えられると言います。

ですから、魂は課題を持ってこの世に生まれますが、魂の思い通りに私たち(精神)が生きようとするとは限りません。
そのことを、「神との対話」ではこう言っています。

「魂の働きとは、その欲求を示唆することであって、押しつけることではない。
精神の働きとは、選択肢のなかから選択することだ。
身体の働きとは、選択を行動に移すことだ。
身体、精神、魂が一体となって調和し、ともに創造するとき、神が肉体化する。
そのとき魂は自らの体験のなかで自らを知る。
そして、天はそれを喜ぶ。」(p.239)

魂は、その課題に応じて、私たちを何らかの状況に導きます。
そこで精神が何を選択するかは自由です。
魂が思ったとおりの選択をするのか、それとも違う選択をするのか、それは精神の完全な自由なのです。

しかし、先に引用したように、魂はその青写真(計画)を忘れません。
ですから、思い通りの選択を精神がしなかった場合は、また別の似たような状況へと導きます。
それが魂の働きなのです。

魂の思いにしたがうこと

魂はしつこいので、何度でも繰り返し同じような状況に導きます。
「幸せ実践塾」のブログには詳しく書きましたが、私自身、そういう体験をしました。
同じような体験を何度も繰り返し、そのたびに上手く行かず、最後には飽きてくるのです。諦めると言った方がいいでしょうか。

そうして、これまでとは違う選択をした時、ふっと道が開かれます。
魂は、自分の課題がクリアされたことを知って、次の課題へと移行するのです。

ですから、最初から魂の意向通りに生きようとしていれば、人生でそんなに苦労しなくても済んだのかもしれません。
そこで、どうすれば魂の意向通りに生きられるのか、ということが重要になってきます。

それには、前に引用した「感情は魂の言葉だ。」ということが参考になります。
つまり魂はつねに、感情を通じて私たちに語っているということです。

ですから、湧き上がってくる感情を否定することなく感じ切ることが重要になります。
このことは、すでに「「五戒」の「怒るな」について(2)」の中で説明しました。
つまりレイキ「五戒」は、魂の思いにしたがって生きるための生き方を示してもいたのです。


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