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「五戒」の「心配すな」について(1)

レイキの「五戒」の本文にある5つの戒めの2つ目は「心配す(る)な」です。
昔の言葉なので「するな」ではなく「すな」になっていますが、意味はわかるかと思います。

私たちは、ついつい余計なことに心配しがちです。心配症という言葉もあるくらいです。
その心配をするなと説くレイキの五戒について、考えてみたいと思います。

怒りと心配は最悪の精神活動

「怒り」についてはすでに見てきたように、暴力や破壊に至ることもある感情です。
自分の思いを相手に押し付け、相手が自由であることを阻害します。

一方「心配」も「怒り」と同様に、最悪の精神活動だとされています。
心配していることを伝えることで、相手に自分の思いを押し付けようとするからです。
私が推薦する「神との対話」でも、次のように言っています。

「心配というのは、最悪の精神活動のひとつだ。非常に自己破壊的な憎悪のつぎに悪い。心配は何の役にもたたない。精神的エネルギーの浪費だ。」
(p.255)

また「心配」は、自分に対しても働きます。
この場合は「心配」と言うより、「不安」と表現した方がわかりやすいかもしれません。
不安に取り憑かれると萎縮してしまい、一歩を踏み出せなくなってしまいます。
世界No.1カリスマコーチと呼ばれるアンソニー・ロビンズ氏も、「アンソニー・ロビンズの運命を動かす」の中でこう語っています。

「しかし実際には、心配や不安は、極めて非生産的な感情である。
 「行動を起こす力」になるよりも、挫折や恐怖心で身動きがとれなくなることのほうが多いからである。」(p.256)

心理学的に最悪の精神活動とされる「怒り」と「心配」が、「五戒」の最初に入っているのは、実に慧眼と言う他ありません。
この2つの感情を制することができれば、私たちは幸せな状態で過ごすことができるでしょう。

心配症と病気の関係

心配症の人は病気になりやすい。そういうことが言われています。
実際、私の母もそうでした。
何かにつけて心配する母は、病気のオンパレードでした。胃や腸の多くを切除し、最後はレビー小体型認知症になりました。

酒もタバコもやらず、食事はいつも健康を気遣って作る母でした。
西日本では珍しく、朝食にはよく納豆が出てきました。
新鮮な野菜や魚をしっかり食べるようにと、私たち子どもにも言っていました。
よく咀嚼して食べるのが良いのだと言って、一口で30回以上噛んで食べるように、という話もしていました。

そんな母が、何回も大病を患ったのです。
酒もタバコもやる父が、それほど健康を害さないというのに。
母が病気を繰り返した原因は、心配症にあると思っています。

それは、「神との対話」でも、こう言っているからです。

「心配、憎悪、不安は--さらに、これから生まれる気がかり、苦々しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難なども--すべて、細胞レベルで身体を攻撃する。そうなったら健康を保つことは不可能だ。」
(p.255)

健康問題を考えたら、「心配」ということはしてはいけないのです。
ですから、こういうことも言っています。

「心配するのをやめれば、すぐにも健康状態は良くなる。」
(p.255)
「「健康上の問題を解決」するには、考え方の問題を解決すればいい。すでにかかった(招いた)ものでも、癒すことができるし、新しい大きな問題が生じるのを予防することもできる。要は考え方を変えればいいのだ。」
(p.257)

レイキは「萬病の靈薬」ですが、ただ身体的にヒーリングを行っても、それだけでは健康にはなりません。
また、たとえ病気が治ったとしても、また別の病気にかかったりします。
そのように病気を繰り返してしまうのは、心に問題があると考えられます。
それがこの「心配」なのです。

ですから「五戒」では、「怒るな」「心配す(る)な」と言うのです。
この2つをやめることができれば、それだけで健康になれると思います。

心配をやめるために

心配しないようにするには、これも「怒り」と同じで、単に抑えつけてもダメです。感情の抑圧は、かえってマイナスに働きますから。
感情に気づいて、受け入れて、それから浸るというプロセスが有効です。
同じように、独り言で言ってみましょう。

「あー、自分は今、心配しているんだなぁ。ふ~ん。」

それから、心配になる理由を考えてみることです。
そして、その背後にある無意識の信念に気付き、それを書き換えることですね。

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