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表現というカタチの自由

趣味だったり事業だったり、はたまたSNSであったり。伝えたいことは声を上げるだけではないし、形はどうであれたくさんの表現する手段が存在しますよね。

どれをピックアップしようかなぁと選んだのは、先日Twitterで「note何書こうかなぁ」と投稿した時にいただいた質問、「なぜモデルをやっているか?」を書いてみるの巻。独り言なので薄っぺらいです。

自分にとっての「表現」って何だろう?

最初に出てきたのは、ひっくるめて好きだから。答えがなく何にも縛られることもなく、一言で言えば自由。自由であり(こだわりや思いがあるから)自由でもない中で、カメラマンさんと場と一つの作品を創り上げることができる達成感....は快感で好きな感覚。こうあるべきという型にはめられるのが好きくない性格だからかもしれません。

「どこで撮る?」から作品創りは始まっていて、カメラマンさんは違えど第一声は「面白いことしましょう!」というお決まり。誰もやっていないような場所でその場の直感を頼り、自分たちらしく真似できないものを目指す。それが撮影のスタンスです。

一つひとつの作品には、それぞれテーマや伝えたいことをイメージしながらシャッターが切られる。こともあれば、オフショットでわいわいテンション上がってるだけの時もあります。

「写真」という表現方法の一つで、見ていただいたが想像したり何かを感じとったり、心動くきっかけになったらいいなと。投稿する際は撮影日・天候・撮影場所すら情報を一切書かないのもその理由です。

3〜4月の冷たい海や山奥の川、土砂降りの中、強風でさえ身体を張ることもあります。むしろ自然相手にすることが多いので、その方が多いかもしれません。 ※今回のは土砂降り
※Instagramにはよく見たら鳥肌が凄かったり震えていたり、髪がヤマンバみたいに荒れていたり、そんなものもあります。The 自然体。

撮られ続け、歳を重ねてもやめないのは何故だろうと考えた時に、自分の中から生まれる欲求や感覚と重なるのかなと。集団でワイワイすることも、何か趣味に打ち込むことも、身体を動かすこともすべて。たまたま今回、それが写真だっただけで。

(あと野望としては生存記録がモノとして残る、人生アルバム?写真集?でもつくろうかなと。笑 残せるものは残したく、それがいつまで残るかもわからないのですが。結局は自己満足でもあるのです。おもろいこと好きなカメラマンさん募集。

やりたいものは気にせずやればいいさ

表現には年齢も、場所も、経験も関係がないもの。手段はなんだっていい。趣味・スポーツであっても、所属するコミュニティであっても、仕事であっても、紡ぎ出す言葉であっても。形が違うだけだからもっともっと真っ白なキャンパスの上で、思想も含めて自由に表現できるものであって欲しいなと。「自分らしく」を忘れずに。

ただ一つ、時間は有限だし年々時間のスピードは速く感じるし、考えることが増えたり自分の使える時間が減る可能性があること。いつでもできる、ということはないんだなぁと。




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