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「余白を許せるか」

「収納スペースの余白を埋めるか埋めないかが、断捨離偏差値が高いかどうかの基準になると思う」
断捨離が好きな友人から聞いたことがとーっても面白いなって思いました。

棚の中、クローゼットなど、パンパンに詰めるよりも使ってない段があったりする方が確かに好きです。
いっぱいになってくると、定期的に断捨離したい派。

棚に使っていないスペースあるのは嬉しく感じます。
ものが少ないと自分の持っている大切なものが全て見渡せて、まるで棚が(全て片付いていれば、家全体が)宝箱やパワースポットのように心地よい空間になります。

定期的に断捨離したりもするし、棚を埋めようとはしないから「モノ」に関しては断捨離上級者とまではいかずとも、断捨離中級者くらいにはなれているかもしらません。

そして、余白はモノだけじゃないなって思うんですよね。
気持ちの余白や、時間の余白も同じです。

私はこれ・・・苦手。

ついつい、時間いっぱいに何かをしようとする。
だから優先順位が何か分からなくなったりする。
いっぱいいっぱいになって、楽しみのはずの予定が思い切り満喫できない。
予定が消化試合のようになっていく。
本当に大切な時間がなんなのか、やりたいことが何なのか分からない状況になります。

気持ちの余裕も同じです。
過去にこうすれば良かった、未来が心配だっていうのは過去や未来への執着。
会社のあの人が嫌だ、体制に不満があるとかって自分以外のことに執着して自分の気持ちをおざなりにしていたり。
無駄に責任を負わなければと背負い過ぎていたり。
考えることで頭がパンパンになって、ゆとりを失います。

時間に余白をつくるからこそ、気持ちに余白もできる。
その余白があるからこそ、予定やそこに湧き出す感情を大切にすることができるなと感じています。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた!

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