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もつ煮もり蕎麦サービスランチ

ない。
席に着くなりお品書きを左から右までくまなく目を走らせて、ひっくり返して裏も確認し、しつこく壁のお品書きまで確認してから途方に暮れた。

ない。鴨南蛮がない。

ほうとうの文字がずらりと並ぶ道すがら、あえて蕎麦屋をチョイスしたのは鴨南蛮のためだったのに。全国に知られる名物ほうとう、何度か食べたこともある、おいしいのは知っている。麺というよりすいとんのような、具沢山の味噌鍋のような、素朴な郷土料理の良さもわかる。特に甘いカボチャがとろとろになっているところを啜りこむのは格別だ。でも田舎料理の常でボリュームが多く、最後のほうは胃袋をなだめすかして詰め込む羽目になる。
今日はもう少し軽くいきたい、しかしほうとうのイメージにつられてやや味が濃いめのものを欲していて、思いついたのが鴨南蛮だった。それなのに。
「おきまりですか?」
「あっ、もう少しです。迷っていて……」
ふくよかな給仕さんがお茶を運んでくる。特に急かすでもなくことりとお茶を置き、決まったら呼んでくださいねぇ、と去っていく。エプロンもしていないジーンズ姿がのんびりした雰囲気を増長させる。いい店だ。鴨南蛮があったらなお良かった。カレー南ばんじゃダメなんですよ。
どうしようどうしよう。とろろ、てんぷら、もり、どれもちょっとずれている。天ぷらほど豪勢じゃなくていいし、とろろほどツルっと済ませたくない。うーん。もう一度お品書きをひっくり返し、とりあえず先ほど読み飛ばした能書きを読む。ほうほう、どうやら鶏もつが人気らしい。
鶏もつかぁ。そういえばメニューにはもつ丼もあった。もつ、臓物、内臓。好きレベルは普通かそれ以下、モノによってはハッキリ苦手に入る。臭み処理がうまいレバーペーストはむしろ大好物だけど、臭みこそうまいという主義の店もあるから手を出しづらいジャンル。でもお目当てが無い以上、オススメにのるのも手ではないか。おそらくコッテリ系なのは間違いないし。でもそれで苦手だったら目も当てられない。
あっちへふらふらこっちへふらふら、ワガママな悩みはサービスランチを落としどころに着地した。もつ煮ともり蕎麦、ご飯とお新香。もしもつが苦手なタイプでも蕎麦がある、ご飯とお新香もある。
「ランチひとつー!」
給仕さんが奥へ叫ぶ声にほっとして座りなおす。あたたかいそば茶は香ばしく胃を温める。店内を見渡すと小上がりとテーブル、立派な五月人形と雛人形がガラスケースに飾られていた。高そうな茶箪笥の上にはでんすけ人形、おたふく、招き猫、笑福達磨、中華系の飾り布、縁起物が一緒くたに並べられ、富士山の絵画に並んで飾られた誰かの日本舞踊の発表会、お歳暮らしきカレンダー、少し暗めの照明も相まって、架空の田舎の家に泊まりに来たようなノスタルジックさ。
「はい、先にもつね」
とん、と運ばれた甘辛いにおいを振りまく煮もの鉢。こんもり盛られた赤茶色のもつはてっぺんにゆずが飾られている。サービスランチ、かなりのサービスなのではないか?たっぷりのもつに少々引け腰ながら箸を割る。とんとん、並べられたお新香やご飯も盛りが良く、これで定食と言ってもおかしくない。熱いうちに、とすすめられるがまま、いただきます、と箸を伸ばす。
あっ。アツアツなもつに驚いて背筋が伸びた。甘辛いタレにきゅっと舌が縮こまり、噛みしめるととろんとほどけていく。こってり甘いレバーのうまみ。あぁ、美味しいもつだ。ごくんと飲み込むと鼻を抜ける独特のくさみ、うん、でもやっぱりもつだ。これを小鉢いっぱいは少し厳しいかなぁ、ともう一つ、今度はゆず皮も一緒につまんで口に入れる。よく熟したオレンジ色がかったゆず皮は穏やかに風味を香らせて、上品な味わいに変化した。確かに人気の逸品だろう。
「お待たせしました、もり蕎麦です」
もりというくせにざるに盛られた蕎麦はほのかに緑色がかってキラキラと濡れている。おぉ、と期待を募らせひとすくい、ずぞぞ、とたぐるとコシのある歯ごたえとほのかな香り。味の濃いもの、なんて注文を渋っていたことなんか棚に上げ、ずず、ぞぞ、続けて吸い込んだ。わさびをちょいとのせるとつーんと爽やかだ。冷たいお蕎麦にしてよかった、汁で煮えてしまっていたらもったいくらい麺がいい。つゆをつけすぎないよう気を付けて、ちょんちょん、ずばばっ。
ふと思いついて、蕎麦用わさびをもつにつけてみた。ぷつん、ふわん、甘辛いタレとわさびの辛味、臭み消しになるかと思ったが味がぶつかってしまっている。うーん、とご飯で口直し、今度は余らせたねぎをのせてみる。確か以前山盛りのねぎを乗せて食べているテレビ番組があった気がする。白髪ネギなどもあるし合わないことはないだろう。

しゃくっ、ふるり、とろぉん。

これだ。目をいっぱいに見開いて、口の中に全神経を集中させた。
ネギの繊維が歯に楽しくて、レバーのうまみがしどけなく広がったところにネギの辛みと香りが鼻を抜けていく。余韻が抜けてしまわぬうちに、慌ててご飯をかっこんだ。これだ。見つけた、これぞ黄金の組み合わせ。ネギともつの風味がうまく調和し、甘辛いタレと混然一体となって花開く。もくもくと顎を動かしながら、せっせとご飯茶碗にもつを移籍させた。茶色いタレがじわり染みていく背徳感がたまらない。あたたかいご飯は優しくもつを温めて、なおかつタレの辛さも受け止める。仕立て上げた即席のもつ丼、もともとのゆずのさらに上にわさりとネギを盛りつけた。ぐいとご飯ともつをすくい上げ、大きく一口、はふっ。
ねっとりしたレバーの甘苦さ、くにくにっとしたこれはたぶんハツ、キンカンのほくっとした触感、ごりごり心地よい砂肝の味。多種多様、個性豊かな部位たちを、大胆にぐいぐい噛み締める。白米の甘さ弾力がじゅわっと唾液をそそり、こってりした口をしゃきっとネギがリセットさせる。
「うちのもつは注文が入ってから煮るんですよ」
得意げな会話が耳に入る。遠く離れたテーブルで客と話しこむ女将さんの声。本店とおんなじ味付けが出せるのはここだけだって、わざわざ食べに来てくれるお客さんもいてね…。こんなにふわふわとした触感はそのせいなのか。何店舗もあるうちで特に評判が高いのか。あぁ、その辺もう少し大きな声で教えてほしい。あと追加のネギが欲しい。
頼めばネギは切ってくれそうだったけれど思いきれず、もつの形で部位にあたりをつけてネギを添えた。個人的にレバーとネギが最高だった。ハツや砂肝は単体でもすてきに美味しい。そもそも、蕎麦用のネギを勝手に合わせて食べているだけだから、本当にお願いしていたら女将さんは気を悪くしていたかもしれない。
ずずっ、ちゅるん。はふっ、ぽりっ。もつかぁ、などと上から見ていた当初の威勢はどこにもなくて、せっせと“美味しい”を口に運ぶ。蕎麦、美味しい。もつ丼、美味しい。漬物、さっぱりする。量が多いと感じたのがウソのようにきれいに器の底が見えた。
「は……」
ご馳走様、ぐでりと後手をついて天井を見る。とろりと満足感が瞼に降りて、そのうち眠気に変わりそう。根が生える前に、と蕎麦湯で〆て、お勘定、と声をかけた。

あぁ、美味しかった。ご馳走様でした。