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応援曲

センバツが終わってしまった。


カウンセリングを受け始めてから
よくもわるくも、感情が動き始めた。
最初は怒りが強く現れたり、
ひどく落ちこんだり。
過去のできごとがよぎってはわなわな震えたり。とにかく神経がぴりぴりしていた。

怒りや悲しみなど感情や思考がとまらないときは紙に書き出して、捨てる。
それを繰り返しながら、瞑想を続けた。
思考を止めて、「いまここ」を意識した。
同時に昔好きだったものをじわじわと思い出すワークを続けていると、「好き」「楽しい」などの感情も、もれなく戻ってくるようになった。
「こんなキャラ好きだった!」というような
そんな程度のことを、たくさん思い出した。
そんな程度のことが回復への一歩一歩だった。
それからは「今のわたしは何が好きかな」と自分に訊くようにもなった。
「子どもの頃のわたし」が好きだったもの、
「大人になった今のわたし」が好きなもの。
見て、氣づいてあげるだけで、心は満足するらしい。「キャラものなんか好きなことを思い出したら、その途端あれもこれも欲しくなるんじゃないか」というわたしの心配は杞憂に終わった。



そんな中、センバツが始まった。
思い返すとわたしは中学生のころに高校野球に目覚めた。そして高校生になってからは、狂ったように春と夏は甲子園に通い詰めた。
アルプス席が500円だった時代の話である。
今は外野席でも700円するらしい。(当時外野席は無料だった)
成績が残念な人が肩をトントンされ、もれなく呼び出された夏期補講中だというのに
かばんの中にラジオを忍ばせて
先生が背中を向けたらイヤホンを耳に挿し込んで試合の行方を追うという暴挙に出るほどには熱心だった。(当時の学校はiモードしか電波がよくなかったのでネットも繋がりにくく、しかも得点ボードしか確認できなかった)


中学までは田舎の学校だったのが、
高校からクラスの数も3倍以上になった。
いろんな人がいる、と知った。
知ったけれど、新しく仲のいい友人はできなかった。若干名しかいない同じ中学出身の子と、お互いそんなに好きじゃないまま、それでもつるんでいた。

「ここにいないならどこかで仲間を見つければいいや、探しに行こう」

そう素直に思えたのは若かったからだろうか。
何にせよ、わたしは行動した。
自分のホームページをつくってことばを載せ、高校野球関連の日記を記した。小説のようなものも書いた。いわゆるテキストサイトだ。
そこから趣味の合う仲間をつくっていった。
今よりも遥かに行動的だった。
他人の目も全然、氣にしていなかった。
試合観戦はひとりでも楽しかったし、野球好きの仲間と観る試合も最高に楽しかった。
仲間たちも「全然一人でどこにでも試合を観に行く!」という人ばかりだった。
「高校野球のときだけ連絡を取り合う」
「創作仲間」というあっさりした関係性はわたしにとって氣楽だった。年齢も性別も越えて話せる仲間ができたことも当時は嬉しかった。


二十代半ばから、好きだった高校野球をテレビで見ても楽しめなくなっていた。
この頃から「うつ傾向」は始まっていたんだと思う。好きなものを見ても心が弾まないなんて、
今から思えば確実に「鬱やん!」と思うけど、
当の本人はテレビをぼんやりと眺めながら
「まぁ興味がなくなったんかな。年齢も重ねたし、仲間とも疎遠になって。そこまでの熱がなくなったような」と思っていた。
そこからずーっと、わたしは高校野球どころか、何をしていても楽しいとは思えない期間に入っていった。
もちろんそんなことには微塵も氣づいていなかった。たびたび「元氣?」と訊かれるのが煩わしく、半ばキレながら「元氣ですよ。これがわたしのふつうです。昔からずっとこんな(低い)テンションやし、こんな表情です」と周りにも伝えていた。
自分の非常事態に、自分でまったく氣づけていなかったのだった。



カウンセリングに行き始めて、初めての春。
今年、久しぶりにテレビをつけて試合を観た。
アルプスの大声援を聴いて、接戦を繰り広げる選手たちが感情を爆発させる場面は感動に震えた。
アルプスの大応援団の姿に涙が滲んだ。

「あ、戻ってきた」と思った。
ああ、わたし、感動してる。
感動して、涙が出ている。
整列して礼をする選手たちに自然と拍手を送っている。
「いい試合やった……!」と頷きながら。
やっとわたしの元に
わたしの「感動という感情」が戻ってきた。
おかえりおかえり!
ずいぶん長旅だったなぁ。

見知らぬ選手たちの試合、
見知らぬ実況が声を張り上げていて、
見知らぬアルプスの応援団が大声援を送っている。
がんばってるひとを応援する声と音は
エネルギーがとても心地いい。
わたしは十代の頃、アルプス席に何度も通っていたのは
「応援」の放っている明るくて心地のいいまっすぐなエネルギーが好きだったからだ、と
ようやく、氣がついた。
感情は伝染する。怒りも悲しみも不安も他人に影響を与える。
だけど、喜びも楽しみも同じように伝染する。
アルプス席の応援は外野席をも巻きこみ、
ときには内野席にまで広がっていく。
応援席は知らない誰かと「感動」を共有できる、楽しくて素敵な場所だったことをはっきりと思い出せた。



昨日で試合は終わったけれど、
氣のすすまない家事をするときには「アルプス応援」を聴きながら自分のテンションをあげています。


男子校のちょけてる感じがスキ。
元祖アゲホイ
あまちゃん(ずっとちょけてる。おもろい)


YouTubeで応援曲プレイリスト(非公開)をつくって、きょうはアゲアゲホイホイを聴きながら軽快に揚げものをしました。
揚げものってめんどくせーよねー!
家事がすすむよ。ありがとう。
(どんな使い方w

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