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(22)現代人は長文が読めない?

現代人は忙しい。
物事にかけるコストや時間を最小限に抑えたい人が多く、最近はコスパ主義やタイパ主義という言葉をよく聞く。
インターネットでは30秒以内に結論がわかる動画が流行っているし、映画も音楽も早回しで視聴する若者が多いという。

Googleで「WiFi プラン」と調べると、たくさんあるWiFi各社の情報がまとめて比較できる記事が上位に多くヒットする。
各社のホームページに行けば得られる情報だが、わざわざ知りたい情報だけをピックアップして比較するのは面倒なので、とてもありがたい。

視界に情報があふれる世の中で、欲しい情報を探す手間が増えた。
探す手間を減らしたいので、目立ってわかりやすいものが注目されるのは当然の帰結だ。

情報整理と要約の能力

仕事の場でもコスパタイパは気になる。
かかった時間は人件費に直結しているので、時間がかかればお金もかかる。
他社相手の仕事なら尚更、生産効率効率が悪ければ相手の時間とお金を奪うことになり、自社の利益も減り、二重三重に悪だ。
短い時間に質の高い成果を上げた方が良いに決まっている。

では効率を上げる為にはどうすればよいか?
方法のひとつとして、「短時間で誤解がないように伝える」というのがあると思う。

例えば、仕事仲間と情報を共有する打合せや、クライアントにプレゼンする際など、他者とのコミュニケーションが発生する。
これに取られる時間が馬鹿にならない。
あとから疑問が生じて都度質問したり、説明したつもりが伝わっていなくて聞き返されたり、言った言ってないの不毛な言い合いになることもある。
相手の理解力を過信して曖昧な説明をしたら間違って伝わってしまい、結局自分の作業が倍増して大目玉を食らったこともある。

頭の中がよく整理されていないまま先輩に質問するとうまく聞きたいことが聞けない。
伝えたいことが明確になっていないまま話し始めても、クライアントは振り向いてくれない。

たくさんある情報を整理して、伝えやすい形に整えてから出力するというスキルを、社会人になると常に求められる。

読んでくれないことを前提とする

企画書を書いてプレゼンをする仕事をしている。
企画書には、考えたこと、伝えたいことを全部書きたくなるが、びっしり書けばよろしいと言う訳ではない。
仕事を始めたての頃は、頑張って書いた企画書は当然隅々まで目を通してもらえると思っていた。
みんな働き慣れている大人だし、それなりに頭も良いはずだし、内容が濃ければ熱意は伝わるだろうと。

しかし、初めてクライアント相手にプレゼンしたとき、先輩に「説明が長すぎるし情報が多すぎる」と言われた。
規定上は時間もページ数も無制限だったので、ありったけの情熱をぶつけたが、結果的に疲れるだけのプレゼンになってしまった。

それから、以下の事を気をつけるようになった。

  1. 説明は2文以内

  2. 絵や図で説明できることを文字で書かない

  3. はじめに感情に訴え、次に理屈で補足

これは、

  • 文章は読まれない

  • 面白いと思って貰えないと聞いてくれない

  • ロジカルに納得させることよりも、人は感動で動く

という前提に基づく。
言葉の力を過信しすぎず、相手の時間を奪わない配慮が必要だ。

僕は長文を書くのも読むのも好きなので何とも残念な前提だが、伝わらなければ意味が無い。
だからこうやってnoteに文を吐き捨てることで書き連ねたい欲を満たしている。
誰に読ませるわけでもなく。

いや。
本当は、本当に興味を持って、僕の作ったものに時間を使いたいと思ってくれる人が現れるのを、静かに待っているのかもしれない。

デザイナーの仕事

たくさんの言葉を使わなくても済むように、もやもやとしたものを見える化するには、何千年も前からデザインやイラストが最も有効な方法だ。

語り尽くせないものを見えるようにする、これこそがデザイナーの仕事の本質だと思う。

綺麗なビジュアルを作るのではなく、情報を整理し、どうすれば願いが実現するか道筋を立て、伝わる仕組みを作る。
その手段が絵ならイラストレーターだし、ポスターならグラフィックデザイナーだし、商品ならプロダクトデザイナー、WebサービスならUIデザイナーになる。
「何を」「誰に」「どうすれば」伝わるかというのは、何かを作る時に必須の視点だ。
自分が作りたいものだけを作って、そのエネルギー消費量だけに達成感を味わっているうちは素人だ。
作ったものがどう機能するかを気にしなければならない。
偉そうなことを書いているが、僕もまだ駆け出し。
これは自戒である。

結局は無駄を愛す

無駄が削ぎ落とされたスマートな社会は便利だが、人間というものは非合理的で余計なことばかりするから人間らしいという考え方もある。
僕も同意見だ。
感情や欲望に負けないよう葛藤しながらも、上手に振る舞えず悩むのが人生だし、紆余曲折が人を美しくすると思っている。

創作物だって、そういうものがあってもいい。
ごちゃごちゃしていて鑑賞に無駄に時間がかかる絵も良いし、一聴では理解できない音楽を何度も聴いて理解するのも良い。

無駄を削ぎ落としながらも、時には無駄に帰ってくる。遊びを忘れない。
これは何事にも当てはまる人生の教訓かもしれない。

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