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(連載)『ドードーをめぐる堂々めぐり』を読んでドードーを描く②

ドードーを描こうと思ってから本に出会うまでの経緯はこちら↓の記事

今回は、「イメージの中のドードー」を描いてみた話と、本を読み終えた感想です。

序章 堂々めぐりのはじまり

ドードーは半分空想生物

本が届いた。

なんて素敵な装丁画。
商品紹介文にもあったとおり、本書の主テーマは「(生きた)ドードーは日本に来たことがあるのか?」だ。
生きたドードーと出逢えたのは、長い人類史のうちのたった83年間。ちょうど日本は江戸幕府ができたてほやほやの時期で、ドードーは鎖国体制のさなか、人知れず長崎の出島にやってきたらしい。
本書は日本の土を踏んだ唯一のドードーの行方を追う歴史ミステリーだ。
出島をバックに首をのばし、遠くを見つめるドードーの横顔は、凛々しい。
物語の中のキャラクターとしてではなく、生き物としてのカッコ良さがある。

早速「序章 堂々めぐりのはじまり」を読んでみた。
本編の導入と、各章の概要をなぞる内容だったが、いきなり次々と自分の中のドードー観が崩れていき、めちゃくちゃ面白い。

いきなり驚いたのが、ドードーは有名なわりには謎だらけだということ。
たいそう昔に絶滅したらしいので記録の少なさは薄々察していたものの、ちゃんと調べれば科学的な裏付けのある情報がたくさん見つかると思っていた。

贅沢にカラーページたっぷり

序章では古今東西のドードー画も掲載されていたが、並べると一目瞭然なのがその曖昧さ。
ドードーが絶滅した17世紀がどれくらい昔なのか全然ピンと来ていなかったが、時は海の広さを人類がようやく把握し始めた大航海時代。
まず生体を拝めた画家自体が少なく、元気な個体を見られても画材が揃っているとも限らない。
絶海の孤島モーリシャスから生かしたまま本国に連れ帰るだけで難しく、剥製にしたとて、当時の技術ではもって数十年だ。
多くの画家は、良くて傷んだ剥製を見ながら、あるいは聞いた話から想像力を働かせながら、不確かなドードー像を描くしかない。300年も経てば噂に尾ひれはひれがついて、ほとんど空想上の生き物になる。実在すら疑われていた時代があるくらい。
そうしてドードーは、ひとびとの頭の中でしか存在できない「キャラクター」になってしまった…

物語の中のドードーは、たいてい、太っていて、滑稽で、絶滅している。

川端裕人著『ドードーをめぐる堂々めぐり』p.3

おもろ〜っ
僕はこの一文をすごく気に入ってしまい、家族に音読して聞かせたりした(ダル絡み)。

「物語の中のドードー」かぁ…
そっちも好きだな…

長い長い堂々めぐりは始まったばかりだが、自分中のイメージが科学的根拠にただされると、バイアスがかかりまくった滑稽なドードーを描けなくなるかもしれない。
ここでひとつ、「物語の中のドードー」の自分なりの解釈を描いておきたいと思った。

マイ・ドードー

本を読み進めるのと並行して、「物語の中のドードー」を描いてみる。
手始めに、僕のイメージの中のドードーを言語化してみる。

  • 太っている

  • 大きなおしりに尾羽がちょろん

  • よちよち歩き

  • 小さなおててをパタパタ

  • とことんマヌケ

  • おじいさん(絶滅イメージ由来?)

  • 杖をついている(アリスのドードー由来?)

  • 嘴が極端に大きい

  • 瞳孔は小さい

  • 不遇な扱いに困り顔

  • 絶滅させられたことを根に持っている

  • 体色は青みがかったグレー

アリスのドードーにかなり引っ張られている節はあるが、そのほか様々な作品に登場するドードーキャラの特徴をミックスしたようなイメージだ。

キャラクター的に、カートゥーンアニメのような画風がふさわしい。
まずは思うままに鉛筆を走らせてみる。
オリジナルのキャラデザにしたつもりだが、既存のキャラにもかなり引っ張られるような気がする。
無駄に高いハットとパイプは、それぞれ不思議の国のアリスの帽子屋と芋虫に影響されていると思う。

描きたい構図が決まったので、紙に鉛筆で下描きし、透明水彩のセピア1色で陰影を描く。
陰影が決まれば立体感を把握でき描き進めやすくなるし、色もまとまった感じになるので、最近自分の中でこの描き方が定番になりつつある。グリザイユ万歳。
シルエットが体と被らないように、杖とパイプの向きを調整。絵はパッと見がわかりやすい事が大事だもの。
ハットもビヨビヨに伸ばしてコミカルに。杖の先にぽんぽんを付けて可愛くしてみた。

そのまま水彩絵の具で色を塗る。

できた。

イメージの中のドードーのキャラクター性は、Twitterの投稿文でも表現してみた。
名前はアンカーさん。由来は最終走者。
絶滅したドードーの最後の1羽という設定だ。

第1章 日出づる国の堂々めぐり

日本史がわからなくても、ドキドキはわかる

イメージの中のドードーを描くのと並行して、本の方も読み進める。

※以下、ネタバレ注意です!

第1章の主題は、江戸時代に来日した唯一のドードーの行方だ。
2014年、ロンドン自然史博物館の研究員が、ドードーがかつて来日していた証拠を示した論文を発表した。
江戸時代初期、鎖国体制下で交易の拠点となった出島の商館長日記と目録と会計帳簿に、ドードーについての記述が見つかったという。
ドードーが日本に来たのは紛れもない史実だ。
しかし、その後の行方は謎である。

率直に言えば、僕には事の大きさがわからなかった。
僕は日本史の知識が義務教育で止まっていたので(むしろどんどん忘れているのでそれ以下)、その感動を著書と共有するための土台が整っていなかった。
生き物としてのドードーには興味があるので本書を手に取ったが、日本に来た一個体の行方というミステリー自体には特に興味ないな…思いながら読み始めた。

江戸時代初期の1647年、アポ無しでやってきたポルトガル船に、出島周辺はピリついていた。
島原の乱のあと、1639年のポルトガル船入港禁止をもって鎖国体制が完成したばかり。それなのに突然ポルトガル船がやってきたため、長崎だけでなく九州中が大騒ぎだったという。
近隣の藩主も集い出陣の準備を整え、招かれざる客をいつでも沈ませる準備を整えていた。後に長崎有事として知られる大事件である。

一触即発のちょうどその時、何も知らないオランダ船がドードーを乗せてやってきた。当時は将軍への献上品として珍しい生き物を贈るのが通例で、ドードーもプレゼント用だったらしい。
オランダ商館長の日記に当時のバタバタ具合が臨場感たっぷりに記されており、一方でドードーについての記録は事務的な程度。
ドードーどころではない時制の影にあって、その後の行方は埋もれてしまったというわけだ。

事の経緯を要約するとだいたいこんな感じだろう。

読み進めるとなんとなくわかってきた。
交通が未発達かつ鎖国中の日本、しかも歴史上の大きなイベントの真っ最中に、地球の裏側からドードーがやってきた。
どうやらかなりロマン溢れる出来事のようだ。

いかんせん知識が乏しいので、知らない人名がたくさん出てきて理解が大変だったが、オランダ商館長日記の訳文の臨場感と、著者の丁寧な注釈、ドラマチックな語り口にかなり助けられた。
責任ある商館長が筆まめだったおかげで、こうして300年後でも当時のてんやわんや具合を想像することができる。大変ありがたい。
本当に何の役に経つかわからないので、記録は残しておくべきだと改めて思った。

ドードーと日本の不思議な縁を感じながら、著者のバイタリティと取材力が存分に発揮され、地道で泥臭い調査が進んでいく。
来日ドードーの足跡を追っては空振りを繰り返し、掴めそうで掴めないしっぽに、探偵小説を読んでいるようなワクワク感が続く。

歴史の勉強をしておけばもっと楽しめたかもしれないと後悔したが、それ以上に、様々な角度から描かれる江戸の世の背景と、そこから断片的に見えてくる朧気なドードーのシルエットを想像する読書体験が楽しかった。

結局、ドードーの行く末を知る決定的な証拠は見つからなかったらしい(壮大なネタバレ)。
しかし、ドードーに照準を絞って調査すると、見逃されていた情報の中から新たな発見も多く、その気づき自体にこそ重要な意味があった。

今後ドードーの情報を追い求める目が増えれば、何か分かるかもしれない。

本書の基本的な目標は、我がドードー体験を共有していただき、同好の士を増やすこと、である。
そして、その果てにある野望とは―
「日本に来たドードーの再発見」だ。

川端裕人著『ドードーをめぐる堂々めぐり』 p.19-20

序章の最後でも、ドードー仲間を増やして、一緒に堂々めぐりをしよう、さすれば辿り着けるかもしれないという期待を込めて、本書をしたためたとされている。
そして僕もまんまとその策にはまり、同じ志を抱く者として、ドードーの絵を描こうという気持ちになった。
僕が担げるドードーめぐりの片棒(1万分の1くらいの貢献率かもだけど)は、絵筆かもしれない。
存分にぶんまわそう。

(まだつづく)

次回最後です↓

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