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(28)感受性コンプレックスとハズビン・ホテル

今年も繁忙期を乗り切った。僕は偉かった。

崩れゆく橋を駆け抜けるような、ギリギリの毎日だったが、喉元過ぎればなんとやら。4月に入ってからは残業もなく、まだ明るい空にいちいち感謝しながら退社している。

時間に余裕もできたので、またnoteアプリを開いてみた。珍しく前回の日記を読み返して、おうおう、やってるねえと、対岸の火事を眺めるような気持ちになった。人の記憶とはそんなもの。1ヶ月ちょっとしか経っていないが、終わってからの記録ではあの臨場感は出ない。書いておいて良かった。

せっかくの新年度、あえて苦労を思い出すようなことはよしておこう。散らかり放題だった頭の中の整理がてら、意味の無い文を書いてみる。

本当はなんでも面白がりたいと思うこの頃

大人になってしまうと、なかなか新しいものにハマれない。このnoteでも何度も言っている気がするが、音楽やマンガ、アニメ等の好みが、思春期の頃から大して変わっていない。
人からオススメのマンガを教えてもらっても、まず手に取ることのハードルが高く、手に取ったとしても最後まで読み切れない。
自分で買った作品ですら、完結まで追えたものは数えるくらいしかないので、はじめからそんなものといえばそうなのだが…

「面白がる能力」も衰えるのだと、痛感する。

ものを作る職業なので、制作者の意図を勘ぐったり、ミスが目に付いてしまって、重箱の隅をつつくようなことを言ってしまったりする。純粋に作品を楽しんで人からしてみれば、ごちゃごちゃ分析すな、黙って見んかい、と思うだろう。僕もそう思います。

ただでさえそんな調子なのに、加えて、感受性の衰えである。疲れなのか老いなのか、余計な文句ばかり増えて、面白がる気持ちはなかなか増えない。

映画を見た時、気づけばもともと知っている作品と比較している自分がいる。「〜と似てるな」「〜と違うな」という感想を抱き、それだけで満足してしまう。考察サイトを見に行って、感受性の高い人の感想を読んで、まるでその感想を自分が感じたかのように思い込む。

これは完全に、感受性コンプレックスだと思う。
「オタク」になれている人が羨ましいのだと思う。
ふとしたことにも涙を流すほど感動できる人。
好きなものについて話し出すと止まらなくなる人。
推しのグッズを集めるのが嬉しくてしょうがない人。
同じコンテンツに触れても、僕が5しか感じないところを、10感じ取れる人に憧れる。
だから、意識して面白がろうと自分に発破をかけて、僕は面白がれているんだと自分に言い聞かせている。そして、必要以上に、10感じ取れている人のように振舞ってしまう。

これだけは間違えてはいけないのだが、面白く感じられないということは、そのコンテンツが悪いのではない。
ある程度世に出ているものは、それを楽しんでいる人がいるから世に出ているはずだ。
楽しめていない僕は、そのコンテンツの客ではなかったということ。僕のような人に向けて作られたものではなかったというだけだ。

そう。僕のために作られたものではなかった。ただそれだけ。
面白がれなかったものに文句を言っていたら、それこそすっぱい葡萄と同じになってしまう。

しかし、「それを楽しめなかった」という事実は、やっぱり少し寂しい。

僕の側に、面白がる準備が出来ていなかったということになる。本当はなんでも面白がりたいのに。

ハズビン・ホテル

ハマれない病にかかってから久しいので、近年は少しでも良いなと思ったものは、積極的に良かったと口に出すことにしている。
最近すごく良いと思ったのは、アマプラで見られる海外アニメ『ハズビン・ホテル』。

大まかなあらすじは、地獄のプリンセスが罪人を更生させるためのホテルを建て、その経営に奮闘するというもの。ド下ネタやブラックユーモアに溢れた、完全大人向けのカートゥーンだ。
各話に劇中歌が2曲ずつあり、ハイクオリティな音楽や声優の歌唱力も楽しめる、本格的なミュージカル作品でもある。ディズニーのクラシックアニメをオマージュしたシーンも多く見られ、「汚いディズニー」とも評され話題になった。
もともとは天才若手女性アニメーター、VivziePop氏(当時27歳!)によって作られたインディーアニメで、2019年にYouTubeでパイロット版として公開された。その続編として始まったTVシリーズは、『ミッドサマー』で有名なA24が制作に携わる。

最近では珍しい2Dの手描きアニメで、奇抜なカートゥーン風の絵柄が目を引くが、全体を通して赤を基調としたアートワークが美しい。
絵やアニメがうまいのは言うまでもないが、アメリカ英語独特の軽口を叩き合う台詞回しや、韻を踏みまくった歌詞とのリップシンクも心地よく、台詞を聞き流しているだけでも気持ちが良い(日本語吹き替えや翻訳のクオリティもすごい)。
1話25分程度、シーズン1は全8話で完結というコンパクトさも嬉しい。

と、まあ、基本情報はこんな感じだ。
僕は手描きアニメ時代のディズニー作品が大好きで、アランメンケンに代表されるディズニー音楽も大好きなので、「これは絶対ディズニーファンが作ったアニメだ!!!」と思った。実際、作者のVivziePop氏もディズニーファンを公言している。
ハズビン・ホテルは、映像も音楽も純度の高いディズニーを思わせながら、エログロやケモナー文化、BL・百合等の要素も含まれており、VivziePop氏にとってはまさに「アタシが作った最強アニメ」といった様相で、そのてんこ盛り感が小気味よい。
推測でしかないが、もともとインディーアニメだったからこそ「何でもあり」の設定にできたのではと思う。VivziePop氏の「こういうのってサイコーだよね!みんなもそう思うでしょう?」という声が聞こえてきそうなくらい、オタクが喜びそうな要素が詰め込まれている。
また、子供向けコミカルと大人向けシニカルをごちゃ混ぜにしたようなユーモアが、全編を通してべらぼうに明るくて、ひたすらに愉快なのが気に入った。単純なおもしろをやろうとしているコンテンツは、頭を使わなくても面白さを理解でき、視聴するのに体力がいらない。

珍しくファンアートを描いたので貼っておく。

上級悪魔の2人が地獄の王女チャーリー差し出すシーン。この後歌われる『Ready For This』の盛り上がりが最高。
ホテルの掃除屋ニフティとポルノ男優エンジェル・ダストの絡み。本編でちょっとしかなかったけど良いシーンだったので。
バーテンダーのハスクとラズル&ダズル&キーキー。
ハスおじのキャラデザ凝りすぎじゃない?
『Loser, Baby』が一番好きだよ。
ヴァレンティノとエンジェルの関係性たまらん。

本家の絵柄はもっと尖ってて気持ちがいいのだが、僕の画力ではこれが限界。描いてみると、カートゥーン独特の勢いがあって「キマってる」線のリズム感を少し体感できた気がして、なかなか勉強になった。

繁忙期中のわずかな休みに4枚も描いたのだから、これを描いている時の僕はよっぽど楽しかったんだろう。

その勢いで、同じVivziePop作品の『ヘルヴァボス』も全話観た。こちらはハズビンと同世界観のストーリーだが、ハズビンをさらにお下品にしつつ、劇中歌を単一の「楽曲」として洗練した感じで、要するに最高だった。
特に必見なのが、シーズン1エピソード6。アクションシーンに力が入りすぎていて恐ろしい。
こんなハイクオリティのものを無料で見ちゃっていいんですか!?と思うが、なぜかYouTubeで全話公開されているので、気になった方は是非。

後悔

どうして「感受性コンプレックス」の話のあとにハズビンホテルについて書いたかというと、この1週間くらい、ずっと引きずっていることがあるからだ。

先日、繁忙期が終わって久しぶりに、高校時代の友人2人と会った。最近ハマっているコンテンツの話になり、僕はハズビンホテルの話をしたのだ。

僕は、彼らの感受性の高さを買っている。
高校を卒業してからもう10年近く経つが(衝撃!)、今でもとても仲良くさせて貰っていて、本音で話し合える仲だと思っている。しかし一方で、不要なプライドだと思いつつも、「こいつらにセンスのない奴だと思われたくない」という構えが少々ある。学生時代に築かれた男同士の友情って、どこもそんなものだろう。

だから、僕が大好きなハズビンホテルについて話した時に、どんな風に感じてくれるのかが気になった。
というより、僕がハズビンホテルに大して感じた賞賛の気持ちを、彼らと共有できることを期待していた。

しかし、友人はラーメンを啜る箸を止めて首を捻り、「俺には合わなかった」と述べた。
僕が知っている彼の趣味とは方向性が違う外れた作品なので、そんな気もしていたが、僕はその時反射的に、自分のセンスのなさを指摘されたような気がしてしまって、意地になった。
「パイロット版を見てからじゃないとピンと来ないよね」とか「吹き替え版は英語版と会話のテンポが違う」などと、言い訳がましく言ってしまい、それを1週間、何かにつけて反芻しては、上がってくる苦みを飲み込んでいる。

客観的にはどうってことのない会話だったし、大して印象に残るようなやり取りではなかった。しかし僕の頭の片隅にこびり付いて主張を続ける、この後悔の形をよく確認しておきたくて、今回の記事を書いた。

尊敬する友人が肯定したものこそが高尚であり、そうでないものが下等なわけではない。友人の感じ方と僕の感じ方に違いがあっただけで、そこに優劣や醜美の尺度は関係ない。それなのに、その違いに過剰に反応している自分の心が変な意地を生み、悔いが残る発言に繋がった。自分の感受性に一生コンプレックスを感じているから、寂しくなっちゃうんだ。ごめんね。

しかし、これだけ好みや意見が違うという前提の上で、語り合うことができる友情というのは、とっても美しいものだと思う。マイプレシャス。

という締めでなんとかしようとしている。
急におわり。

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