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縁の下

 テレビを見るのが好きですが、時間の関係もあり、けっこう録画をためてしまいます。たまった録画を消化していく中で、「プロフェッショナル」を観ました。昔の「プロジェクトX」では海関係が取材対象となることがありましたが、今回プロフェッショナルで観たのは海関係ではなく運輸関係、箱根のバスの運転手さんの回でした。運輸関係は陸海空の別なく、共通するものがあることを改めて思わせていただきました。それは、「稼働していて当たり前」ということです。感染症であれ、天災であれ、戦争であれ、状況が何であれ、貨物を、人を予定通りに淡々と運び続けること。それこそが存在価値であるということ。そしてその上に快適さや優しさの付加価値を重ねる。

 日本は資源も食料も船が外国から運んできます。そして工業製品は船が外国に運んでいきます。まあ、ざっくりと。
 船乗りたちはそれをアピールしません。日本の人たちは暮らしの中で船の存在を気にしません。それは日本社会を縁の下で支える船乗りと船たちがうまくいっているということです。たしか、医師兼作家の渡辺淳一さんの小説にこんな言葉があったと思います。「そこにあると思う。それすなわち病なり。」健康な人は肝臓の存在や膵臓の存在を意識しません。胃を意識してしまうということは胃が痛いか重いか、何らかの症状があるからであって、イコール病気だという意味の言葉です。生命線である外航海運が意識されない日本社会はとても健康であると言っていいと思います。
 これからもその状態を維持していくために海運界も船乗りたちも努力を続けていくと思います。いつしか外航貨物船は外国人船員ばかりの世界になりました。外航船は外国の船ばかりになりました。でもそれは必然の結果であって、まだまだ変化の過程です。船や船乗りたちは国際社会と日本社会の変化に合わせてどんどん変化していきます。できるだけ意識されないように。

 時間が余って、「あれ、この下はどうなっているんだろう?」とふと気になって、社会の床下を覗き込みたくなったら床下に目を凝らして見てください。たくさんの人たちや仕事の中で、端っこのほうに船乗りたちがいます。中東と日本をむすぶタンカー。オーストラリアやカナダからの石炭船。アメリカやブラジルからの穀物船。アメリカや東南アジアに向かう鋼材船や自動車船。母国を離れて、そしてもし母国に寄港したときに上陸機会に恵まれなくても家族に会えなくても黙ってまた出港していく、淡々と船を動かし続ける人たちです。自らアピールはしないけど、たまに見られたらなんかちょっと嬉しい。そんな人たちです。

 ああ、同じやな~。
箱根のバスの運転手さんを観てそんなことを思いました。

実務海技士が海を取り巻く社会科学分野の研究を行う先駆けとなれるよう励みます。