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[ナワビトFile 01 ]なわとびプレーヤーSADA #1

はじめに

『ナワビト』第1弾は、なわとびWEBマガジン『PyonPyon』の発起人でもある、縄跳道場のSADAさんを紐解きます。
なわとびとの出会い、どうやってプロパフォーマーになったのか、今後のなわとびに対する思いなどを語ってもらいました。
ボリュームたっぷりのロングインタビューは全部で3回に分けてお届けします。


なわとびプレーヤー「SADA」ってどんなヒト?

自由な発想の演技で世界を魅了
なわとびの世界記録を6つ更新する
日本初のフリースタイルなわとびプレイヤー

2001年の世界大会で披露した創作技「S.A.D.A」

2000年に順天堂大学を卒業後、日本初のフリースタイルなわとびプロフェッショナルチーム『NAWA-NAWA』を結成。その後ロープパフォーマンスチーム初代『縄★レンジャー』のリーダーとして2004〜2009年まで活躍。
日本初のダブルダッチ専門書『ダブルダッチプレイブック』、DVDの『レッツトライダブルダッチ』を監修。
なわとびの記録に次々と挑戦し、6種類のなわとび世界記録を樹立。
2022年には順天堂大学大学院 医学研究科を修了(修士:医科学)。また、体軸ファシリテーター(体軸体操指導者)・体軸ダッシュトレーナーなどの資格を取得。現在は代表取締役として2つの会社を経営する傍ら子育てやなわとび指導・研究に邁進している。


なわとびと出会った幼少期

−−なわとびをはじめたきっかけは?

SADA  初めてなわとびした時を覚えていませんが、2歳の私がなわとび遊びをしている写真があります。姉が縄を跳んでいる写真もあるので、きっと姉が遊んでいるのを見て、「僕もやる!」と言ったんだと思いますよ。

父と自宅の庭でなわとびをする様子

幼稚園で、なわとびの特訓をしている記憶はあるのですが、「特別になわとびが好き」という記憶はなく、運動やスポーツが大好きな少年だったようです。

なわとびに夢中になった小学生時代

−−なわとびを好きになったのはいつ頃ですか?

SADA 小学校1年生の時に学校で『なわとび検定カード』があって、80項目を全てクリアするのが学年で1番早かった。
これは当時すごく嬉しい出来事だったので絵日記に書いてありました。

SADAの小学校時代に書いた日記(1)
SADAの小学校時代に書いた日記(2)

ライバルがいて、自分が一番になれるということ、検定の最中は先生を独り占めできるし認めてもらえる。
なわとびをするといいことが沢山ある!もっとうまくなりたい!と、この頃から家でも自主的になわとびの練習をするようになりました。
ただ小学校では1年を通してなわとびをしていなかったので、なわとびをする冬の時期だけ、夢中になって取り組んでいました。
ちなみに、同じような検定が九九やリコーダーでもありまして、それも夢中になって挑戦しました。

SADA小学1年生のなわとびカード

−−他の同級生たちも、その時期になるとなわとびに夢中になっていたのですか?

SADA どうでしょうかね?なわとび検定するのは、授業か休み時間だったと思いますが、よっぽどのなわとび好き以外は、休み時間は他の遊びをしていたと思いますよ。私はもちろん、なわとび検定に夢中でしたけど!

−−なわとびの他にスポーツはしていましたか?

SADA とにかく小学校ではよく遊びましたね〜。鬼ごっこ、手打ち野球、壁当て野球、階段当て野球、キックベース。クライミングロープも大好きで、ロープに登り降りしながら帽子取りしたり、ロープを大きく揺らして飛び降りたり!
地元のスポーツクラブは、サッカーやスイミングに通っていました。
そのサッカークラブの夏合宿で、なわとびの持久跳びをした時に、一番長く跳び続けて一位になったんですが、コーチがみんなの前で「 SADAくんは、なわとびが得意なんだねー」と言われたシーンを今でもはっきり覚えてます。

なわとびとの再会から沼へ

−−中学、高校時代はなわとびとどう関わっていましたか?

SADA 中学、高校の時、なわとびはほとんどやりませんでした。授業でやった覚えもありませんし、部活はサッカー部でしたが、たまにトレーニングでなわとびをやったかもな、というくらいです。

−−次になわとびと再会するのは?

SADA 大学2年生の時です。器械体操の授業でなわとびと再会しました。クラスのメンバーが半分に別れて、各種目の課題クリアを目指すのですが、「鉄棒は蹴上がり」で「なわとびは10級」が受からないと単位がもらえない、だったかな。
小学校のなわとび検定は「二重とび10回」みたいに、1つの単体技の回数に挑戦しましたが、この授業の検定で、複数の技が組み合わさった連続技に初めて挑戦しました。


(※1)JNF日本なわとび競技連盟のなわとび検定(旧) 図解
(※2)JNF日本なわとび競技連盟のなわとび検定(旧) 上級

久しぶりのなわとび、そしてやりがいのある検定に夢中になり、各スポーツで全国大会に出場するような運動神経を持った同級生たちの中で、一番早くに全ての課題をクリアしていました。
その時に、”あれ?俺って、なわとびすごいのかも”と思いました。

でも、授業が終わったらなわとびとは少し疎遠になりました。というのも、大学では「何か一つ、生涯を通じて極めていけるようなスポーツ種目を見つける」という目標があったので、その他にも色々なスポーツに挑戦しました。

SADAが挑戦したスポーツ

4年生になり、体操部員しか受講しないような「上級体操」という授業を選択したんですが、鉄棒の大車輪や、床のバック転など一通りやった後に、先生が「SADAはなわとびが得意だから、なわとびしようか」と言ってくれたんです。
体操の先生方も一緒になってなわとび検定に挑戦してくれて、いつの間にかみんながなわとびに夢中になってました。
2年生の授業との違いは「ジャンピングパネル(ボード)」を使用して「なわとび検定の段」に挑戦したことです。パネルを使用すると、高く長く跳躍できるので、4重とびや5重とびの技にも挑戦できました。この時になわとびは、”一生できそうだな”という予感がありました。
ますますなわとびにハマった私に、先生が千葉県で大会があるよ、と誘ってくれたんです。その大会で580点の演技で優勝して「名人」の認定証をもらえました。今まで個人競技で優勝したことがなかったので、ものすごく嬉しかったですね。次なる目標として夏の全国大会を目指し練習することにしました。

INF 名人認定証
(※3)INF資格一覧

※1〜3『INFなわとびハンドブック』から引用

<引用文献(※1と※2)>太田昌秀. INFなわとびハンドブック. 株式会社アシックス. 1986年. P26, P27, P30
<引用文献(※3)>太田昌秀. INFなわとびハンドブック. 改訂版. 株式会社アシックス. 1991年.P37

衝撃の新しいなわとびとの出会い

−−なわとびを“一生やっていけるかも”と思ってから、どうやってなわとびのプロへの道がひらけたのですか?

SADA 大学4年で卒業後の進路に悩んでいた時に、たまには新聞を読まないとな、と思って定食屋に置いてあった経済新聞を読んだのです。そしたらそこに「次世代なわとび J ROPE 新発売!!」という記事があったんです。


SADAのなわとびコレクションより バンダイ『J ROPE』シリーズ
左上からジュニアマックス4色、パワーマックス4色
左下からクロスマスター3色、エアロスピード、リズマックス3色、ロングライン

急いで大学のパソコンルームに行って、J ROPEのことをインターネットで検索したら、1月に幕張メッセになわとびの世界チャンピオンが来る〜!ってありまして。
テスト前の週末でしたが、迷わず行きましたよ。
そこで目にしたのは世界チャンピオン達で構成された『チームグラビテック』のなわとびパフォーマンス!上級体操の授業でなわとびはこんなもんかな、って思ってた自分の常識が一気に覆されました。宙返りをしながらなわとびしたり、おしりでジャンプしてなわとびしたり、今までに見たことのない技の連続に衝撃を受けました。特にリーダーのバディ・リーのロープを振り回すパフォーマンスが心に響きました。

左:『チームグラビテック』のメンバー 中・右:バディ・リー氏
『J ROPE』商品に同梱されていたプロフィールカードより

“これなら、歳を取ってジャンプができなくなっても続けることができる!生涯を通じて追究できる!”
”なわとびは一生できそう”という予感から、”一生できる!”と確信に変わった瞬間でした。

ビデオカメラで録画していた動画を何度も何度もスロー再生しながら、独りで技を研究しました。その後、バディ達に再会したいと思っていたら、5月の大型連休中に近場で『J ROPE』イベントが何回か開催される、という情報を入手したので、もちろん行きました。

バンダイオリジナルの検定カード

残念ながらバディ達ではないチームがパフォーマンスに来てたんです。30秒で何回跳べるかを競うミニ大会もやってて参加したかったけど、参加者は小学生たちばかりだったので遠慮しました。
3日目の会場はデパートの屋上で、『チームグラビテック』のパフォーマンスが終わった後、練習した技を見てほしい気持ちが抑えられず、会場でなわとびをしたんです。そしたらスタッフさんが自分に気がついてくれて「きみ、うまいね」と声をかけてくれたのです。
ちょうど日本人のデモンストレーターを探していたところだったようで、トントン拍子に日本人初の『チームグラビテック』メンバーとしてバンダイの夏のイベントに出演することが決まったのです。

コロコロコミック2000年11月号

大学でハマったJNF(INF)のなわとびでは、2月の千葉県支部大会で優勝し、8月の全国大会は年齢別選手権で3位、S級無差別選手権(太田杯)で5位という結果だったので、上位を目指して練習をすることも考えたのですが、限定した技を競うものだったので、それよりも色々ななわとびを魅せるパフォーマンスに可能性を感じて、競技ではなくプロパフォーマーへの道を走り始めました。

次回予告

−−SADAさんがなわとびに興味を持ってからプロパフォーマーになるまでのお話を聞かせていただきました。
次回はどうやってパフォーマー活動をしていくのか、紐解いていきます。
お楽しみに!

2024年4月
Interviewer:SAKITAMAX
Text/Structure::Ruo

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