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余命1ヶ月だった私へ~迷走編③~

何をしてもそれらしい結果は得られませんでした。

ただ、時間とお金を浪費する日々。

どうしよう、どうしよう・・・

藁にもすがる思いで、最後になる波動療法を受けましたが、結果、状態を悪化させただけでした。

こんなにも治したいと思っているのに、なぜ!?
どうしよう、治るはずなのに、どうしよう・・・

知り合いの方から、スポーツ選手も取り入れているサプリメントも紹介してもらい、毎日飲み続けるけれど、回復しないことに逆に疑問を持たれる始末。

こんなに真面目に治そうと努力しているのに、どうして?どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・

誰にも願いを聴いてもらえない地獄にはまり、左胸の痛みは激しくなり、確実に迫り来る死の恐怖に、徐々に気力がなくなって行きました。

私の 何が いけなかったの?

このまま死んだ方が世のためなんだろうか?

たいして面白くもない人生だった。

どうせ生きていても、なんの価値もない。

何をしても治らないんだ。

もう死ぬんだ・・・・・・・・・



2018年12月、25日まで動けていましたが、28日には起き上がることが、かなり難しくなっていました。

人生や命には諦めていましたが、このままだと、八王子の一室から死体が出てしまうそれはまずい、という妙に冷静な判断をしていました。


そこで、人生初と言っても過言ではない、父親にメールで、とある質問とお願いをしました。

✱身体がもう動かないので、迎えに来て欲しい。できれば実家で死にたい。
✱弟たちは優秀で、お父さんの望むような人生を送っているけど、私はそうはなれなかった。いつも弟たちに劣等感を感じていた。それでも、私を娘として愛してくれますか?

私にとって、父は仕事が忙しく、コミュニケーションを取れない相手でした。
弟たちは、それなりに上手に父と会話をして、家庭内で良き息子として生活していましたので、自分の要領が悪いと思っている私は、常に比べられているような気がして、居心地が悪いと思っていました。

どうせ父も、無能な私より、優秀な息子たちが可愛いだろう。こう思って生きてきました。
なので、父にこの問いかけをするのは、本当に初めてで、緊張しました。
でも、これが最初で最期の質問です。
聴かなければ、絶対に後悔する。
そう思いました。

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