母が新たな世界へ旅立ちました

2021年8月14日20時45分。母が60歳の生涯を終えました。
人を愛し、人に愛される最高の母親です。
この世に産んでくれ、あなたの子供になれて私は幸せでした。
ありがとう。

2021年2月19日急性白血病との診断を受け、余命1か月と宣告を受けました。
2020年に体が動かなくなっていく病気も見つかっておりました。
その病気は祖父も患っており、終始を見ていた母としては、体が動かなくなることで家族へ負担をかけてしまうことをとても心配していました。
急性白血病への対処は主に抗がん剤治療となります。相応の苦しみがあり、それが一発でよくなるとは限らず延々と闘病をする可能性もありえるのが抗がん剤治療であると、我々は認識しました。
抗がん剤の辛い治療には耐えられない、なおったところで体が動かなくなる病気で蝕まれていく。それが耐えられないというのが母親の決断でした。
リビングウィルというものがあり、生前に自身の治療方針を決めることが出来る誓約書のようなものがあります。健康なうちから母親はリビングウィルに延命治療は行わない旨を宣言していました。
まさかこんなに早く使うことになるとは思いませんでした。
母親の意志は実際の宣告を受けても変わりませんでした。
母親としては抗がん剤の辛い治療に耐え抜くことが強いことと捉えて、「弱くてごめんね」と泣いていましたが、実際に宣告を受けて、治る可能性もあるなかで自分の意志を曲げずに緩和ケア治療方針を貫いたのは間違いのない強さだと思っています。
このコロナの状況だと尚更で、抗がん剤治療で入院したら、面会も病院から出ることも難しい。母親の望みは父親と最後まで一緒にいることでした。
知り合いの父親は1年半入院して、誰にも会えず亡くなったと聞きます。その間、父は何を思っていたのかと彼女は綴っていました。
日々悪化していく中で、最後までずっと僕らのそばにいてくれた母親。最後までみせてくれてありがとう。
死に際に親しい人が母親を思って集まって、声をかけて、一緒にいてくれました。
人の最後はこうあるべきなのだと僕は思います。
最後は苦しみなく苦悶の表情もなく、皆に囲まれて自宅の父親や僕ら子供に囲まれて息を静かに引き取りました。
母親は最高の人生を過ごしました。それは本人の気持ちであり意志でした。僕ら家族は小さいころから色々な所へ行き、色々な経験を家族で共有しました。おそらく多くの人とは比べ物にならないくらいの楽しい時間を過ごしました。だから母親は最高の人生だったから、闘病生活で辛い人生を伸ばすより、最高の思い出を持って旅立つのだと。

僕は次男で、帝王切開で生まれた未熟児でした。
生まれつき心臓病を患い、他の疾患も持っていました。
そのことを母親は悔やんでいましたが、それはあなたのせいではないし、僕が「生きた証を残す」という人生の目標設計をつくれた起点でもある。
今は元気そのものなので何の問題もありませんよ。
それでも自身が白血病だというのに最後まで人の心配をするひとでしたね。ありがとう。
僕と最後にまともに会話したのは8月12日の夜、「父親を宜しくね」との会話でした。
一人残る父親を、勿論ぼくが、そして兄もいます。みんなであなたから頂いたバトンをまた繋がせて頂きます。全力で。
気が付くところ、動き回るところ、面倒見がいいところ等あなたから頂いた良いところをこれからは僕が全力でみんなに役立てていきます。

最後に、僕と結婚する予定だった大切な人、うちのゴタゴタに巻き込んでしまってごめんなさい。ありがとう。今度は父親を守る為に僕はまだここに残るよ。
仲間たちにも、ノリが悪かったり、融通利かせてもらったり、ドタキャンがあったりと迷惑をかけました。敢えて現状を伝えず、いつも通り接してもらいました。お陰でだいぶ心が救われました。楽しい時間をありがとう。これからもよろしくね。
コロナの状況が変われば東京とかのみんなにも会いに行きたいよ。

正直、実感が湧かないってのが良くある話だけど事実だね。
葬儀関係のテンヤワンヤがあるけど、遺族の悲しさ抑えるために人間社会が造り出したひとつの防御網だと父親は言った。確かに助かっている。
怖いのは緊張の糸が切れたとき、その時僕は約束守り、全力で父を助ける。

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