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一人一人へ

文章にするということは、自分の脳内感情を外部に記録するということだ。脳のメモリは、記録したものから揮発が許可されていくものだ。悲しいことがあった時こそ、まっさきにその感情を外部に吐き出し、揮発キューに押し込んでいくべきだ。

wowakaさんが亡くなった。平成を通過点として令和を迎えようとするわたしたちの耳を一度はかすめたであろう「ローリンガール」「裏表ラバーズ」を作ったボカロPであり、ヒトリエのリーダーだ。

私はずっとヒトリエに見惚れてきた。アルバム時系列に思い出を全て記録して悲しみだけを揮発させるという試みがこのnoteだ。

ルームシック・ガールズエスケープ

ヒトリエが産声をあげた。産声にしては奇妙なギターの音が鳴っていた。それはGt.シノダさんの仕業だった。るらるらという曲と、カラノワレモノという曲のたった2曲のepは私を鷲掴みにした。

年の瀬にリリースされた「ルームシック・ガールズエスケープ」。Sister judy、モンタージュガール、るらるら、と立て続けにPVが公開された。ずっと憧れていた人の姿がそこにあった。イガラシさんがベースを弾いていた。私は10年以上この人に焦がれ続けている。当時一時的なお休み期間にあった彼をwowakaさんが復活させてくれたんだと思った。

その翌年、メジャーデビューが発表されたイベント「hitori-escape」は福岡からニコ生で見ていた。メジャーデビューということは、全国流通・全国ツアーがあるということだと思った。心が躍った。

センスレス・ワンダー

メジャーデビュー一発目のアルバムは、真冬に小倉のメロンブックスにわざわざ買いに行った。PVは死ぬほど見た。

ギターソロ前のドラムとギターのスクラッチはいつ聞いても鳥肌がたつけれど、ライブだとイントロ前のフレーズがあってかっこいい。しかし、終盤になって聞こえる場合は少し違ったりもした。多くの場合、ライブを締めくくる曲でもあったから。

イマジナリー・モノフィクション

私の誕生日にnon-fiction four e.pがリリースされ、次の年の冬に「イマジナリー・モノフィクション」というアルバムがリリースされた。このジャケットを見て、快速東京の一ノ瀬さんをしった。

この時のレコ発ツアーは全国ツアーではなかったが、私は一時的に東京にいた。新卒で研修を受けていた。東名阪ツアーは新入社員研修と被っていけなかった。だけど、そんなに悔しくはなかった。

なんとなく、学生時代からずっと共にあった音楽とは疎遠になっていて、楽器もバンドも手から離れ、何者でもない大人になることを受け入れる準備を整えていた。安定した生活に甘んじて、何者かになるために何かを失うことから目を背けていた。

WONDER and WONDER

メジャー移籍してはじめてのフルアルバムが発表され、全国ツアーを行なった。私は社会人になり、つまらない時間と引き換えに得たお金で買った車に後輩と彼女を乗せて福岡市内まで向かった。教習以外で初めて乗った高速道路は恐ろしかった。

Drum Be-1の下手最前列で、暗闇の中、LASTorderさんの「神様」という曲が流れた。シンセサイザーの揺らぎの中でメンバーは現れ、ゆったりとした音楽にジャズマスターのハウリングがなり始めた。「終着点」という曲が始まった。私の初めての「生のヒトリエ」はこの曲から始まった。

モノクロノ・エントランス

このアルバムが出た時期、私はまたバンドをはじめようとしていた。社会人になって、同じような毎日を繰り返して、腑抜けていた自分は何者かにならないと死んでしまうと思った。何か考えた時にやっぱり音楽だとおもった。

仕事を終えて、小倉のスタジオに向かう車内ではずっとモノクロノ・エントランスがかかっていた。当時車で送り迎えをしていたメンバーからは「この曲を聞くとナユさんが送って行ってくれてたことを思い出すんだよね」と言われるほどには無限ループしていた。

DEEPER

DEEPERというアルバムが発売された。DEEP/SEEKというツアーが発表された。私は東京にいた。デザイナーになるはずが、何者にもなれていなかった。

はじめての新木場スタジオコーストで見たヒトリエは、福岡のそれとは完全に違った。鬼気迫っていたように見えた。

ふわっとしたSEはそこにはなかった。その時のSEはオリジナルだった。真っ青なステージに高速のリフレインがフロアをざわつかせた。

「ヒトリエです、よろしくどうぞ」

一曲目「GO BACK TO VENUSFORT」の歌詞は……めちゃくちゃだった。この時のライブはspotifyとかで聞けるので聞いてみてほしい。まさか今後語り継がれるであろう音源の歌詞がぶっ飛ぶとは思わなかっただろう。でも、最高だった。なんでもよかった。

個人的バイアスも加味して、この時が一番かっこいいライブだったと思う。この時のライブが映像にのこっていてよかった。「ワンミーツハー」から「サークルサークル」に移るところとか、「後天症のバックビート」から「踊るマネキン、唄う阿呆」に入るところとか。

お客様の中で、踊り足りてない人はいらっしゃいませんか?という言葉に応えても、当たり前のように「踊れ、いますぐ踊れ、そう」と帰ってこないのが本当に惜しい

IKI

この春も、冬からツアーを回っていたヒトリエを新木場で迎えることになった。

このアルバムのヒトリエはキラキラしていた。人間性を得たような感覚があるのは、リトルクライベイビーという曲の印象が強いからかもしれない。「KOTONOHA」「心呼吸」「リトルクライベイビー」「目眩」と生命活動に繋がるような曲名が多いからかもしれない。

なんだかちょっとヒトリエらしくないな、と思っていたけれど、インタビューを読んでみるとメンバーの心境の変化などが伺えて、バンドって生き物だなと思った。生き物ということは、必ず終わりがあるということだけれど。

そういえばこのくらいの時に、偶然が重なって、ゆーまおさんととあるバルで出会い、お話できるイベントが発生したこともあった。幸せすぎてめちゃくちゃサングリアを飲んでめちゃくちゃ酔った。

ai/SOlate

米津玄師が「砂の惑星」をリリースした。wowakaが「アンノウン・マザーグース」をリリースした。その後、ヒトリエのカバーでも「アンノウン・マザーグース」がリリースされた。このアルバムに入っている。私はこのアルバムの「絶対的」という曲がとても好き。

ライブでwowakaが「絶対的」を始める前に云った「私の絶対とあなたの絶対で話をしましょう」という言葉が強烈に印象に残っている。多分、六本木EXシアターで聞いたんだったと思う。

アンノウン・マザーグースといい、絶対的といい、なんとなくだがちょっと前のヒトリエの無機質で切れ味の鋭いぶっ殺しのサウンドが戻っていた気がした。

この頃から、新しいロゴが公開された。この記事のカバー画像がそれだ。永戸鉄也さんによるもの。新しいロゴは「一人へ」を縦書きしたもの。ひとりへ = hitorie。

HOWLS

本当に今年に入ってからの話。7日連続で下北沢ERAというライブハウスを貸し切ってイベントをやった。誰が見ても頭の悪いスケジュールだった。もちろん毎日通った。チケットを持っていない日も、併設されていた写真展にいった。最終前日にwowakaがインフルエンザにかかり、最終日にシノダが体調不良になった。私は爆笑した。最終日に道端ですれ違ったシノダさんは確かに顔が死んでいた。

結局、最終日については振替公演が行われた。

その日のセットリストは、メジャーデビューからの5年間をなぞるような構成になっていた。大好きな「劇場街」もやってくれた。「ヒトリエのこれまで」を、インフルエンザで二週間お預けになったフラストレーションも含めたエネルギーで演奏してくれた。

アンコールは「ヒトリエのこれから」だった。

「来月からツアーを回るんだ。来週、新しいアルバムが出るんだ。もう、先行リリースされてるし、こないだの試聴会でも流したけど、新しい曲があるんだ。みんな、アルバムで聴きたいっていう人がたくさんいるのはわかるんだけど、やっていい?」

そういって演奏されたのが、私たちがこのツアーで目にするはずだった「コヨーテエンゴースト」だった。今までの曲で一番かっこいい曲だし、今までの中で一番かっこいいアルバムがwowakaさんの最終作になった。

最後の曲は「カラノワレモノ」だった。これはヒトリエが最初に作った曲だ。私はその日、下北沢で「ヒトリエの5年間と、これからと、原点」を目撃していた。それが「ヒトリエの始まりと終わり」になるということはまだ知らなかった。

ツアーの帰りを私はまっていた。冬・春と全国を回って一番完成された一番かっこいいヒトリエを新木場スタジオコーストで迎えるのが毎年恒例になっていた。今年は6月か、遠いなぁ、他のところもいく?待てる気がしない。私は地元・福岡のDrum Be-1のチケットを取った。帰省ついでに、ヒトリエを見ようと思っていた。

しかし、岡山・京都の公演が中止され、wowakaさんの訃報が入り、もう二度とヒトリエを見ることはできなくなった。この三日間は気が気ではなかった。ここ数ヶ月は起きているときはずっと仕事をしていたのにその日は何も手につかなかった。

きっと最終日のアンコールのMCはやたら長くて、「いや〜あの時はごめんね〜」とライブの多幸感もあいまってヘラヘラ笑うwowakaさん、「なんでwowakaとイガラシは死亡説なのに俺だけ暴力とか薬物とか逮捕説なんだよ!!」とぼやくシノダさん、「でもさぁ俺らインスタのいいねが最近だから生きてるよとか言われてたよね」と挟むゆーまおさん、「今日のイガラシさぼってすみませんでした」と斜め上の謝罪をして以降無言を決め込むイガラシさん。カメラマンの西槙さんが撮影した集合写真が上がって、はやくまた次のアルバムを作って次のツアーをしてほしい、と友達と言い合うとこまでがセット。絶対そうなってたに決まっているんだけど。

絶対そうなっていたに決まってるんだけど。

一人一人へ

わたしはずっとヒトリエが好きで、今日おこった現実は本当に信じられないし、急性心不全って、電車でいうところの「線路内立ち入り」「ドアの点検」くらい曖昧な言葉だから受け止めるのも流石に難しい。

でに、明日誰かが死ぬかもしれないという事実だけは受け止めないといけないのは事実。数秒後、数時間後に「実はこういう未来でした!」という展開が簡単に起こるというのが現実。

映画「世界でいちばん悲しいオーディション」で渡辺淳之介さんがいった「後悔しないように」という言葉は頭にこびりついているし、この騒動が始まった金曜日にもちらついた。将来的に形あるものは必ず壊れるのだ。推しは推せる時に推せ。注げるだけの愛情を注げ。失った時間は金では解決できないけど、金の問題は金で解決できる。

今日この日に、もっと一人一人へ深く愛情をもって接することを忘れないようにしようと強く誓った日だった。

wowakaさん、安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りいたします。

イガラシさん、ゆーまおさん、シノダさん、これからも活動を応援し続けます。

ありがとうございました。





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