見出し画像

伊藤彦造画集

遠縁の叔父さんが生前に所有していた本を、初盆に出掛けた母が選りすぐって譲り受けた中に、昭和四十九年に出版された「伊藤彦造画集」があった。 
 
布製の大判表紙を捲ると、アニメーションのセル画を描くときの透明シートが1枚はさんである。針のように繊い黒ペンで、おそらくトレースをしたのだと思われる、それは馬に跨がった凛々しい武将の姿であった。 
 
伊藤彦造は、大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家だそうだ。少年少女の雑誌や、新聞の連載小説、歴史小説などの挿画を、それまでになかったペン画で描いて人気を博した人らしい。
親ひとり子ひとりで育ち、剣の達人であった父親から指南を受けた彦造自身も師範であったそうだが、その経験からか、緻密で躍動感のある生きた画は、人物の息づかいが耳元にまで聴こえてきそうなほどの凄まじい妖艶さがある。 
 
あとがきには、彦造の熱心なファンの一人で、建設会社の社長という人が寄稿をしていた。早くに奥様を亡くされ、子どもを連れて仕事場へ通い、厳しい想いをされながら働き、幼い頃に夢中になった彦造の挿絵を集めることが長年の夢であったらしい。子どもの読む雑誌だからと言って、彦造は一切手抜きなどしなかったそうだ。 

『挿絵も芸術である以上、死骸を描いても美しくなけりゃいけません。醜い現実を、画家の目を通して美しく描く……。これが芸術というものでしょうよ』 

WEB歴史街道( https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4687 )に掲載されていた、彦造の言葉に胸を打たれた。 
亡くなった叔父は美大へ行きたかったらしいが、母ひとり子ひとりの生活ゆえに進学を諦め、中学を卒業したあと映画館に住み込みをして映画の看板描きになった。 
 
彦造にも、建設会社の社長にも、そして叔父にも、他の者には決して真似のできない唯一無二の歴史がある。人と人、点と点とを結ぶもの。それが、“芸術“なのかも知れない。 
 
#伊藤彦造
#画集

応援ありがとうございます✨自分なりの"いい歌詞"を探究して、これからも普遍性のあるメッセージを届けたいと思います。