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生まれてしまった自我  — 崎山蒼志「ソフト」について— (1/3)



崎山蒼志は、二〇〇二年生まれ、静岡県浜松市出身のミュージシャンである。彼は二〇一四年、十二歳という若年から作曲を始め、自身の成長や感情の変化に沿うように、二〇二三年(執筆当時)に至るまで、多くの楽曲を発表してきた。
作曲を本格的に始めてからの三年間は、ラジオ出演やライブ活動など、地元静岡を中心に積極的な活動を行っていたものの、崎山の世間的な知名度は低かったといえる。転機となったのは、崎山が中学三年生だった二〇一八年五月、インターネット番組「日村がゆく」フォークソンググランプリへの出演機会に恵まれたことにある。崎山は、ここで見事グランプリを獲得し、番組を視聴した著名人によるツイート等をきっかけに、広く世に知られるようになった。
崎山の特徴的な点は、多作であるというところだ。番組出演時の彼の作品総数は、三〇〇曲以上であり、このことから崎山は、楽曲制作をはじめた十二歳から十五歳に至るまでの間、年に一〇〇曲近く作曲していたことがうかがえる。現在もその数は増え続け、約五〇〇曲以上になると推定される。その多作さゆえ、彼の詩世界は、日々変化していく自己像や深層意識を捉えた楽曲になっている。Real Soundによって行われたインタビューの中で、崎山は、「中学時代の私にとって作曲」は、「日記」をつける「ような感覚でした」と、世に知られるまでの三年間を振り返り語っている。
彼にとって創作は、自己表現と言う意味だけでなく、人生に寄り添った、日々変化する自己を発露するための行為だった。思春期特有の閉塞感に心を悩ませながらも、日々黙々と、自己の深層意識を言葉と音に落とし込み、彼は楽曲を作りつづけてきた。「日記」のように作られ続けた作品たちは、私達が忙しない生活に押し流されるうちに、気づかず取りこぼしてしまうような人生の些細な変化や繊細な痛みを、鮮明に描き出している。彼の作品には、そうした懊悩する日々を乗り越えようと愚直に生きてきた少年の面影を見ることが出来る。
この懊悩する少年の面影は、飯島宗享が『実存思想』の中で「自我のめざめ」と称したような、生まれてしまった自我への痛切な悲哀を感じさせる。私たちは誰しも、幼年の時分から青年の時分に向かう過渡期の中で、かつて一体だった世界との離別を体験する。お互いにお互いの存在を、根底から信じあえていたはずだった他者と、ほんの些細なある一瞬のすれ違いを境に、心が通わなくなった経験はないだろうか。顔と顔を突き合わせ話をしているはずなのに、出会えていないような心細さや、変わってしまった関係性へのささくれだった怒り。それは、逃れがたい「自我のめざめ」の経験であり、かつて一体だった世界と、否応なく引き剥がされることで生まれた私たちの最初の傷であったと思う。
崎山はその傷が生まれていく瞬間に心を痛ませながらも、決して目を反らすことなく、誠実に向き合い続けた。生傷を見つめ、語り続けた彼の詩は、芸術の垣根を超えて文学の領域にまで達し、聴き手の傷へも深く入り込む。「頑張って」と応援し励ますだけでは、傷を持った他者が救われないのと同じように、当人の傷から流される血の通った言葉を受け取らない限り、私たちの傷は真に癒えることはない。血の通った言葉を受け取る時だけが、一体感を失った私たちが、もう一度、他者に出合いなおす事が出来る方法なのである。
彼の楽曲には、そのような「自我のめざめ」の苦しみと、他者との再会への慈愛に満ちた渇望を感じる。今回は、崎山が十四歳の時に発表した「ソフト」という楽曲の詩を通して、思春期にかつて苦しんだ「自我のめざめ」の体験について、彼のように目を反らすことなく、ただ真摯に向き合いながら語っていきたい。


ソフト

柔らかな球体でキャッチボールをしよう この白い白い公園の隅で
昨日歩いていたら穴をみつけた 中はみないことにした

嘘が成長して 一メートルを超えたころには
庭にさいた偽善の花は もう枯れていた

死んでいく生き物の 墓場のように それが見えたからだと、今思う

両目を開けて 爽やかな空間に 傷をつけないように 壊さないようにして

セピアの映像に色を与えよう その色も もうすぐなくなるだろうけど
セピアの映像に色を与えよう その色も もうすぐなくなるだろうけど

青が群がって空を作ったころには 地上の重力はだんだん重くなって

死にたい一人の人間は、昔々重力から逃げて
太陽になった 太陽になった 太陽になった 太陽になった 

両目を開けて 爽やかな空間に 傷をつけないように 壊さないようにして
両目を開けて 爽やかな空間に 傷をつけないように 壊さないようにして

ソっとしといて
フっと見つめて
止まらない月への行進

ソっとしといて
フっと見つめて
止まらない月への行進

両目を開けて 爽やかな空間に 傷をつけないように 壊さないようにして
両目を開けて 爽やかな空間に 傷をつけないように 壊さないようにして
壊さないようにして
(崎山蒼志 「ソフト」)


第一章 一体感の喪失

 冒頭から順を追い、彼の詩を読み解いていこう。この詩は「柔らかな球体でキャッチボールをしよう」と、まるで子供が友達を遊びに誘うかのごとく、軽やかに始められ、続く「この白い白い公園」で舞台が「公園」であると明らかになる。
「柔らかな球体」は後半に続くにつれ、「ソフト」という詩のテーマに通じていく象徴的なワードであるから、文章の後半で紐解いていきたい。しかし、ここで一度「球体」については、言及しておく必要がある。なぜなら、「太陽」「月」「両目」(眼球)など、「球体」はこの作品全体の根底にあるテーマだからだ。
円は、「始まりと終わりのない形」であり、安心感をもたらす図形だと言われている。不安を感じた子供は自分の周りに円を描くという話や、家具やロゴなどは円の与える心理的効果を意識し、デザインされている物が多くある。そのため「球体」は安心感を抱く囲いであるといえる。作者は、聞き手に対して、この「球体」を用いキャッチボールをしようと誘う。会話のキャッチボールと、日常的な比喩として用いられるように「キャッチボール」とは、受け取り、また投げ返してくれる他者がいて初めて成立する、交流を表す行為である。そのため、この一文は他者との交流を通して、自身を円環の中に戻し安心したいという、崎山の願いが外界に向かって投げられている。
「キャッチボール」を成立させるには応えてくれる他者が、必ずいなければならない。私たちが赤子の時は、わざわざ言葉にして呼びかけなくとも、必ず答えてくれる母がいた。母は泣き声をあげれば、あやし、母乳を飲ませ欲求を満たしてくれる存在であった。そのため、子供にとっての他者は母親しか存在せず、母親=世界だったといえる。だが、私たちは成長し幼年期を抜けると、「自我のめざめ」とともに何も言わずとも理解してくる他者を失う。自身の欲求を「言葉」にして呼びかけなくては、外界で出会う母親以外の未知なる他者との交流を、成立させることが出来なくなってしまったのだ。
鮎川信夫は「精神・言葉・表現」の中で、これを「肉体と精神の分化」と説明している。人間は成長過程で理性が発達し、周囲の環境を考慮した判断能力を身に着け、肉体と精神を分化出来るようになった。先ほど述べた赤ん坊の時分に、泣いてすぐ母乳を貰えた状況は、「肉体と精神」が一体化している状態である。動物が寝たい時に寝て、食べたい時に食べるような、人間の生物的な部分だと言えるだろう。けれども、人間は「お腹が空いた。だけど、授業中に弁当を食べる事はよろしくないから、よそう」というように、周囲の環境や成長過程に応じて、「肉体と精神」を分化出来るようになる。この時、人間は人間として生まれ、生物の枠からはみ出る。
そのため「肉体と精神」が分化し、人間として生まれた私たちが、未知なる他者と交流するためには、もう一度「肉体と精神」を一体化させなければならない。分化した精神をもう一度統一する役割を果たしているのが「言葉」であり、他者に呼びかける行為自体である。  
けれども、それは裏を返すと、人間が世界との一体感を喪失したという、絶対的な事実を潜めている。「言葉」が存在するというのは、それ自体が「自我のめざめ」と同時に、他者との永遠の離別を証明してしまうのである。

(長くなりすいません🙇‍♀️
第2章、第3章に続きます!)

第2章 生物的部分の喪失と、大衆の弱さ→

第3章 完全な球体と不完全な球体→

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