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生まれてしまった自我  —崎山蒼志「ソフト」について— (3/3)

第三章 完全な球体と不完全な球体

「セピア」とは、イカ墨を原料としたインクで、モノクロよりも僅かに赤茶がかった色身をしている。「色」は、目の色を変える等と言うように、感情を比喩する慣用句として多く使われ、崎山の楽曲でも、感情を比喩する用語として「色」は使われている。二〇一八年一〇月に発表されている「独赤」では、「色彩がありすぎるこの日々を それでも愛していたい」と、様々な感情が溢れる日々を愛したいという意味で使われた。
感情とは、対象と対象の間に起こる揺らぎの事である。恋愛を例とすると、恋という感情は、AがBに干渉する時に発生する心の揺れだと言える。「その色」が「もうすぐなくなる」とは、一体だった世界との接点をなくし、離別していく瞬間だ。接点を持つ相手がいなければ、感情の揺れは発生しない。
「青」は、蒼志の「蒼」の字から連想された、「自我」の象徴ではないか。名前は自己を表現する記号である。「色」が「なくなる」瞬間は、一体だった他者の喪失の瞬間であり、同時に「単独者」としての自覚が生まれた瞬間でもある。そのため、自己を表徴する記号としての名前、「蒼」=「青」が、「空を作り」、新しい世界の輪郭を形作っていく。「空を作ったころ」は、「単独者」の存在する新しい世界が完成した頃のことで、人が自立した状態を意味する。幼年期を抜け、一体感の喪失から青年期に突入した人間は、成人へと向かう途上で、「だんだん重くなる」新しい世界の「重力」によって、地に足が付く。世界の上に「単独で立」っている事を、足の裏で感じるのだ。
だが、その「重」さに耐えられなくなる人間もいる。霧が空けないような青年期は、心を蝕むものであるし、「単独者」でいることはやはり、世界と引き剥がされる痛みの過程を超えて、初めて成り立つ居場所である。「死にたい」は、「単独者」として「立つ」自己の存在を拒絶したいという欲求だと思う。
だから、「一人の人間」は、「地上の重力が」「重くな」り、一体感と離別した世界の上に存在してることを体感すると、「死にたくなる」。そして、「死」ぬことで「重力から逃げ」、「単独者」として「立」っている意識を拒絶する。「単独で立つ」世界への完全な拒絶とは、世界と一体であった過去に回帰することである。そして、それは母胎への回帰を意味し、冒頭で述べた円の安心感を再び手にする行為である。また、崎山のイメージで「太陽」は、全てを焼き払い打ち壊してくれる象徴であるから、「単独で立つ」事を究極的に否定した「一人の人間」は、欠けることがない完全な球体であり、新しい世界を打ち壊す「太陽にな」れたのである。しかし、それは「死」ぬことによって、得られる希望であるから、生きている状態にある「単独者」には望んでも決して得ることが出来ない、大きな決断と悲しみを含む答えである。続く一行では、「死にたい一人の人間」が「太陽」になったと繰り返し書かれる。この繰り返しは、「太陽になった」と、存在の檻から逃れようとした「人間」の葛藤と、その大きな決断を肯定するために、自身へ言い聞かせているかのようである。
「月」は「太陽」と対比構造にある。昼間、私達を照らすものは「太陽」の日の光であるが、夜中、頭上を照らすのは、「月」の光である。けれども、「月」は満ち欠けがあるため、「太陽」と異なり完全な球体ではない。それは偽りの「太陽」であり、偽りの拒絶である。続く三行では「死にたい一人の人間」が選んだ決断とは、異なる選択が描かれている。
「フっ」とは、一瞬間の動作で、「両目をあけて」のような、目視する継続的な動きではない。「フっと見つめ」た後には、目を反らす動作が続くのだと、想像できる。「ソっとしといて」は、「そっとし」ておいて欲しいという、世界との離別に傷つき、「単独者」として存在することに疲れた心情の表れで、離別した事実に目を反らし、留まりたいという願望だ。
「死にたい一人の人間」の選んだ大きな決断は、誰しもが実行できるものではない。「死」に、完全な球体になることを望んでも、人に残された生物的な部分が、動くことを望む。細胞の新陳代謝などの生理現象は意識的に止めることが出来ない。「死にたい」と願う人間的部分と動き続ける生物的部分の間には、無限の矛盾が存在してしまうのである。どうしようもなく生物である自己を守ろうと人間的な不安を無視する時、人は快楽や簡単な決断に走る。それは、SNSで承認欲求を満たす行為であったり、ショート動画を何時間も見続けてしまう行為であったりするのではないだろうか。生物的な自己を守る事は、必要な事だが、それらは満ちてはかけていく「月」と同じ不完全な球体であって、真の安心感を与えるものではない。「ソっとして」おいて、「フっと見つめ」目を反らす行為の先には、芽生えてしまった「自我」への「止まらない」不安と、「月への行進」があるのである。
 崎山は「両目をあけ」る事で、「自我のめざめ」によって生まれた人間的な部分と、残留する生物的部分が融合する自己を模索し、「爽やかな空間」を「壊さないように」してきた。完全な球体である「太陽」でも、それは生物としての自己を否定することになるし、不完全な球体である「月」を目指しても、それは人間的な自己を否定することになってしまう。
では、「爽やかな空間」を「壊さない」「球体」とはなんなのか。ここで一度立ち返りたいのは、詩の冒頭で出てきた、「柔らかな球体」の正体についてである。この「柔らかな」は、タイトル「ソフト」にも通じている。「ソっとしといて フっと見つめて 止まらない月への行進」の三行から頭文字をとったタイトルとも推察することも出来るが、これは崎山自身、視聴者に教えられ気づいたと語っていたため、真意からは離れていると思われる。「柔らか」いは、「ふっくらとして堅くな」く、「しなやかである」事を意味する言葉であり、弾力性があって元の形にもどるという特徴がある。
完全な球体でも、不完全な球体でもなく、「爽やかな空間」を「壊さないように」するには、「堅く」ない球体である必要があり、また、「傷をつけないように」するには、力が加わっても跳ね返す柔軟性を持つ「柔らかな球体」である必要があったのだ。そのため、崎山は「自我のめざめ」で生まれた、痛みのある新しい世界に立ち、もう一度、一体感を渇望する中で、「柔らかい球体」を用いて未知なる他者と交流を目指し、楽曲のタイトルを「ソフト」にしたのではないだろうか。


 結び

 本稿は、崎山の「ソフト」を通して、「自我のめざめ」の痛みや、「単独者」になった人間のあり方を論じてきた。表現者とし、生まれてしまった自我への悲哀や、大衆の弱さを持ち得る自己の事、一体感への回帰を切望する心、それら全てを抱える自己を、隠すことなく、ただ愚直に見つめ「日記」を綴るように黙々と楽曲を制作し続けてきた、崎山の作品は、「単独で」「立つ」力がある。そして、培われたその力は、私たちが「単独で」「立つ」ことを諦めそうになる時、確かに寄り添ってくれる、慈愛に満ちた眼差しを併せ持っている。「自我のめざめ」の経験に苦しむことが、悪いのではない。「単独でたつ」事を、恐れてしまう事が悪いのでもない。それらは、どれも人間を人間たらしめる、人間的な弱さである。その弱さを抱えながらも、私が私であるために、真摯に自己を見つめた言葉を語ることが、何よりも重要なのである。


〈参考文献〉
鮎川信夫 (一九七四年五月一日)「精神・言葉・表現」思潮社(鮎川信夫著作集 第五巻) 二〇六項 ブリーフセラピー・カウンセリング・センター セピア
岩井俊二(二〇〇一年一〇月六日)「リリィ・シュシュのすべて」ロックウェル・アイズ
豊田利晃監督(二〇〇二年六月二十九日)「青い春」ゼアリズエンタープライズ
セーレン・オービュイ・キルケゴール(二〇一二年)『単独者と憂鬱』飯島宗享編・訳・解説 未知谷出版
ブリーフセラピー・カウンセリング・センター(二〇一五年一二月一〇日)「リストカット、自傷行為の本当の心理、原因・理由とその対応」https://www.brieftherapy-counseling.com/selfinjurious-824.html(二〇二三年一〇月三日閲覧)
ABEMA【アベマ】公式(二〇一八年五月九日)「【ゲス極川谷・くるり岸田が絶賛!】中学3年生で「オリジナル300曲」の怪物”崎山蒼志”が登場!さらに“中1で作った楽曲”にスタジオ騒然…!|〜第3回」https://youtu.be/DCy9fJi_bAM?feature=shared(二〇二三年一〇月三日閲覧)
崎山蒼志(二〇一八年)「ソフト」『いつかみた国』Smdr ASIN,4560427461748
ここでは二〇一七年一月に、浜松キッズエーアカウントからYouTubeにて発表されたものを初出とする
BongoDCT (二〇一八年)「崎山蒼志 「独赤」二〇一七、四、九 オトノオト~page3~」 https://youtu.be/pqTgYNN9wrs?feature=shared(二〇二三年一〇月三日閲覧)
家具蔵(二〇二〇年四月)『「丸み」がもたらす心理的効果』「丸み」がもたらす心理的効果|オーダー家具「家具蔵(カグラ)」 [2020年04月22日] (kagura.co.jp) (二〇二三年一〇月三日閲覧)
リアルサウンド (二〇二一年十月)『崎山蒼志による寄稿文 幼少期の記憶から遡る「創作すること、表現すること、音楽する喜び」』 https://realsound.jp/2021/10/post-884770.html(二〇二三年一〇月三日閲覧)
崎山蒼志(二〇二一年)「Heaven」『find fuse in youth』SMR ASIN,SRCL-11655
レキシル(二〇〇二一年一二月六日)「太陽とは?誕生からその歴史、地球に与える影響までわかりやすく解説」https://rekisiru.com/5757(二〇二三年一〇月三日閲覧)
 Sakiyama.com (二〇二三十月五日)「崎山蒼志公式サイト」 https://sakiyamasoushi.com/profile/(二〇二三年一〇月三日閲覧)
飯島宗享 (二〇二三年四月十九日)『実存思』未知谷社 八十四項 
崎山蒼志(二〇二三年)「太陽よ」『i触れるSAD UFO』ソニー・ミュージックレーベル, SRCL—12585
Yasabito.com(二〇二三年四月二十九日)「箱庭療法とは?解釈で何がわかる?効果・事例・やり方をわかりやすく解説」https://yasabito.com/965(二〇二三年一〇月三日閲覧)
崎山蒼志 「独赤」
goo辞典「柔らかい/軟らかい(やわらかい)とは?意味・読み方・使いかた」 https://dictionary.goo.ne.jp/word/柔らかい(二〇二三年一〇月三日閲覧)
カラーセラピーライフ「セピア(sepia)の色見本・カラーコード 色彩図鑑(日本の色と世界の色一覧)」https://www.i-iro.com/dic/sepia(二〇二三年一〇月三日閲覧)
サントリー健康情報レポート「細胞は、日々少しずつ入れ替わる!」https://health.suntory.co.jp/professor/vol32/(二〇二三年一〇月三日閲覧)


第1章 序・一体感の喪失→

第2章 生物的部分の喪失と、大衆の弱さ→

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