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大事な時期だと思うんです。

 蒸し暑くなりましたね。
久しぶりに文章をまとめてる気がしますが、それはあれよ、FC東京が五連敗なんてしてたから、なんっにもまとめる気がしなかった。なので試合の写真撮って来たやつはおやすみ。

 今月は観客が入れる予定だった試合もリモートマッチになったりして、それで行くはずで行かなかった試合もありつつ。


わりとサッカーの話

 怪我人多いしそりゃあプランも崩れるし、で、うまくいかないのは仕方ないんですけどね、逆にこういうときにまとまれるかどうかって多分大きくて。選手たちは色々話し合って確認しあったことだろうから、逆によかったんじゃないかと。うまくいってるときって結果がよかったからまあいいかって、ちょっとしたズレを修正しなかったりすることもあるじゃない。

 しばらくうまくいってなくても、「これをやったら流れがくるよね」って共通認識がある状況になれば一気にちゃんとできる、ってのもサッカーなんか見ててよくあることだから、いい時があったあとに悪い時が来るとまた微調整できて組織としてはいいことだと思うんです。

 ラッキーだったのは「完全脱臼」で離脱したと思った内田選手が二週間で戻ったことね笑 開始40秒で負傷して退場したときは「内田くんがいなくなったらこれはもう計算できない」と思ったんです、今期はほんとに彼がどこでもやってくれる状態だからこの人が機能してればそれなりに回る、って思う選手だったから。

 それが離脱となるともう何を軸に流れ呼び戻していいかわかんなくなる、と思って結構ショック受けたんだけど、二週間で復帰してスタメンに入った試合で0-4で勝ったので、これで最悪の時期は脱したのかな、と、個人的には思う。(もともとのポジションと違うところやることになって、怪我明けでもそこで使われる、ってどんだけこの人ポテンシャル高いんだ、って思ってるけど。サイドバックって付け焼き刃でできる場所でもないでしょ)

 そんな感じでまあ今は元の軌道に戻ったのかな、という状況だから、FC東京の話はそんなとこかな、と思ったけどちょっとだけおいておこ。

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↑鳥栖戦で小川諒也選手が接触して歯を折った時の写真。

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↑このアダイウトン選手のアクションをみて、あ、歯、やったのかな、って思った。このあと手前で誰かが何かを拾ってたので、ああ、やったんだな、と思った、けど、そのあと普通に試合こなしてるから、あれ、気のせいか、大したことないか、と思ったら帰ってから別の写真のプレビュー見て折れてるってわかったんだけど(痛々しいから載せません 笑) 気丈だよねえ、その状態で普通のパフォーマンスしてる、ってのがプロだなあと思った。

 小川選手の後援会ブログのほうだと、実は痛くなかった、なぜなら、って話をご本人がしていたけど、それにしても… 

 今現在は歯は入っております。これはもう先月の写真になるのか。

 小川選手の最大の良いところって、大変そうなときも変わらないで明るくがんばろうって良い時と同じ表情で言えるところ。大事なことって良い時も悪い時も本当は変わらないのよ。それを常に気づかせてくれる選手だから何があっても結局は目がいく。

 で、よ。あれですよ。私、悪い時のFC東京見てて思ってたの。現在の社会状況みたいだな、と。

 みんな頑張ってるんだけど、なんとなく全員の見る方向や判断がまとまっていなくて、それぞれが「これだ」と思い描くイメージが少しずつ違っている。

そういうところ。

 今月は緊急事態宣言が延長されたりでみんな疲れちゃってるよね。だから「こうすればよかったのに」「こうしてくれればもっといいのに」って意見がたくさんいろんなところから出てくるわけだけど、この様相がちょっと変わって来たなと思っている。

 一年前だと「××であるのは仕方ないから、まあ協力しながらやりましょ」って言ってた人たちが「なんであっちはよくてこっちはよくないんだ、平等にしろ」と怒りながら言うようなケースが増えたような感じ。

で、社会全体の話

 …ここから先は「気持ちはわかる」という部分を無視して話を進めます。個々の事情は人の数だけあるのはわかりきっているから、それらを全て、存在するだけ寄り添っていくと出口が見えなくなるという状況下だから、という前置きをしておきます。この世には時間っていう概念があるからね。優先順位をつけて行動しないと全体が詰まってしまうの。

 なんで上記にあるような意見の移り変わりを問題視するか、っていう話なんだけど、気持ちの面ではまあそうなるよね、ってところなんだけど、これって、組織が崩壊する前兆みたいな現象なんだよね。だからそこを問題視している。

 本来なら共感して互いに協力したりできる関係性だった物事がぶつかり合う角度になっちゃってる… 物事を解決するには全体の協力が必要な状況下で、個々の都合同士がぶつかりあって傷つけあえば当然全体の解決が遠くなります。協力できる関係にないものが同じ組織内にいるということは、つまり組織として崩壊している、と言えます。

 残念ながら今の社会ってそういう状況にあるな、と思う。ここから世の中の物事をスポーツに変換してイメージしていくと、「組織として崩壊すると、試合に勝つという目的を果たせなくなる」ということになる。

 各々の選手たちは当然意志があって行動しているわけで、こういうアクションをとったのもこういうふうに思ったから、というのがある。まあ、ほぼ試合でぼんやりしていたので何も考えてないです、っていう試合の出方する人はプロにはいないので、何らかの判断をしているにも関わらず全体としては有効な方法ではなかった、ということがあとからわかる、という状況。

 サッカーなんかを見ていると、ボール保持者が次はどうするか、ということでパスを出すにも相手がどこにボールを出してほしいか、どんなタイミングでほしいか、とかをわかっていないとボールはつながらない、というのは想像に難くないと思います。

 それらを瞬時に判断しつつボールをまわしていってゴール、なんだけど、「こっちにボール出せよ!」「お前はそっちに動けよ!」とボールもらう側と出す側がそれぞれ自分に楽な方でイメージして相手に求めることを同時にしていると、それはうまくいかないよね、というのもイメージしやすいと思う。

 ここで「だって自分は今までこんなに頑張ったんだから、相手に求めてもいいじゃん」とお互いで主張したらどうでしょう。それは気持ちはわかるけど、両者で言ってたら絶対うまくいくわけないじゃん、わかるよね? と、見てる側の立場でいうとそういう感じになる。これが今の社会状況だと思う。

 みんな頑張ってる状況下で「自分よりあっちが走ればいい」ってみんなが言い出したら、もう協力もなにもない、機能しない組織になってしまう。

 普段不平不満を言わないような人まで「あっちは優遇されている」みたいなことを言い出すのは正直これは末期、って思うので、今はそういう状況なんだろうな、と思う。アスリートでそうなるとすれば、その人はそこ止まりの選手、っていうだけのことですけどね。生きるということに対してはみんなアスリートと一緒で、自分が生きるってことに対しては責任持って動かないといけないからね、「そこ止まり」でいいのかな? と思うわけ。「そこ止まり」の選手が多い組織って、必然的にしわ寄せがそこ止まりじゃない人のところに行く、ってことを理解しないといけない。これも「気持ちはわかる」部分を排除してシビアに表現するとそういうことです。

 組織として崩壊しちゃうと、まっとうな考え方同士がお互いを攻撃するようになるから、解決策が解決策じゃなくなる。これが社会で起きると、今後どんな救済策が出されても機能しなくなる。それって大問題だよね。

 こういう時にあてになるのって、以前と変わらないことをやってる人、言ってることが変わらない人だったりする。そういう人のやってることって派手じゃないかもしれないけど、いい時も悪い時も小さい渦をずっと同じように作り続けることができる人だから、そこを標準として物を考えると立て直し方がわかったりする。

 まわりにもそういう人、そういう仕事のしかたをしているところ、実際いくつもあるでしょう。それをどうぞ大切にして。そういう動きをしている人たちに勢いや気分でのっかって「優遇されている」なんて言葉で潰そうとしないで。その人たちは他が不平不満を言ってるだけのときに変容を受け容れて用意してきた人たちです。それが判別できない人たちが無知で壊して許されるものじゃない。

 …いろんな職場、人間関係、そういうのを今まで数多く見てきているんだけど、崩壊する前兆として一致するのがそういうところなんだよね。喧嘩しなくていい間柄の人たちが喧嘩みたいになってる、っていうのは一刻もはやく冷静にフラットに全員が意識もっていかないと抜け出せない状況にすでにあるということ。

 そこで冷静に話し合いができてお互いができることを確認することができれば、悪い流れはとめられるけど、そのあとに怖いなと思うのは、勢いで賭けのようなことをして失敗したときに大きいマイナスかぶる、ってこと。今後注意しないといけないのはそれだと思う。

 例えば今の社会状況でいうと、ワクチン接種が始まっていますけど、「ワクチンは完全に感染を予防するものではない」ということ…それを忘れて「接種さえすれば予防策は一切とらなくていい」という行動を皆がすると一気に感染が拡大するでしょうね、とかそういうこと。
なんのためにやることなのか、を今一度確認しないと。大多数の人間が免疫を獲得してからじゃないと予防策をやめることはできない、っていう、大事な大事な注意書きよね。こういう条件を忘れがちになるんだよね、悪い流れが止まる、って思っちゃうと。

 悪い流れは止まったけれど、決して良い流れになったわけではない って段階だから、ここでできることもまた良い流れのときとは違うのよ。

 アスリートの人は日常的に「自分が成長が止まればその世界にいられなくなる」っていう性質を理解しているから、何事も自分の成長のために自分がやらなくちゃ、って言葉を多く発しているけど、一般人はそこに慣れていなくて、あたかも自分はなにもしなくても世界にいられなくなる事態なんかこない、だからなにもしなくていい みたいに思考がなりがちな気がする。

そんなわけないじゃん、誰がそんな約束したんだよ

と、自分に冷や水を浴びせてみる。

自分に矢印向けることってすごくいいですよ。成長はできます。成長を放棄すると、確実に成長しようと生きてるひとからすれば道をゆずってくれないかなと思われるようになる。そんなものですよ。なにもしなくてもそこに居続ける権利なんて誰にもないのよ。

 自分を楽にする言葉が必要なときもあるけど、自分を奮い立たせる言葉が必要なときもあるよね。それを見間違えると社会全体が大きくゆがんでしまう。

 自分は社会全体が疲れて攻撃的になってるときには基本スポーツの情報しか入れないようにしています。彼らは自分が止まったらそこに居続ける権利がないことを知って生きているような人たちですから、大変なときこそ前向きになろうとする。そういう言葉を日常的に摂取していると自分もそんな考え方に影響されていきます。できないことに言い訳をして、できる人の足をひっぱりに行く言葉は遮断します。自分が影響されるからです。旧知の知人相手でもそこはシビアに判断します。知人だから無視できなくて、ってことのほうがみんな多いと思うから、そこからよくないものが染み出してくること、ありがち。

 SNSは手軽だけど、人がまっすぐ立とうとする気力を奪うような言葉を悪気なく置いて行く人もいるから影響を受けそうな心理状態のときには他人のそれは理解しようとしなくていいと思うのです。自分の処理できない感情を他人に押し付けるのはつまり「やつあたり」。余裕のあるときなら皆笑顔で受け入れてくれるかもしれないけど、今、それやってると受け手の心がやられちゃうからね。自分を守るけど人に攻撃しない、っていうのでも日常は取り戻せるよ。自分を守らないで人にぶつかる、っていうほうが全体のバランスが崩れやすい。その気がなくてやってる「やつあたりの言葉」に注意するようにするとすごくいいです。言う方でも、聞く方でも。

ほんのり野球の話

 そしてここからは野球の話を少ししよう。
今日現在、広島カープが陽性判定が出た選手が複数いて、検査で陰性だけど念のため、で、自主的に自宅待機にした選手、コーチ、スタッフ、なんかを発表してました。

 わりと痛手。ファン的には。でも、「かわりに出てくる選手」に希望を見たりもするんだよね。完全に彼らにとってはチャンスなので、チャンスと思った人がどんなパフォーマンスを見せてくれるか。これはきらきらした期待しかないですね。

 そう、最近よく見てるのが、元野球選手の配信。引退された選手なんかがよくYouTubeチャンネルを開設してたりするんだけど、頭使って野球やってきたタイプの人の話はほんと面白い。心底「そうなんだー」ってなったりする。引退してからだから話せる話とかもあると思うんですけど、聞く側が用意した質問じゃなくその人から出て来た言葉、とかが面白いんですよ、無難な話より一歩踏み込んでたりするから。

 そういうのを気軽に見つけて見られるようになったからいい時代になったと思う。色んな球団の色んな人の話を見るようになった。彼らもまた、言葉が前向きで矢印を自分に向けて行動してる人たちだから、こういうご時世に気力を失わないように摂取する言葉としては向いてるなあと思います。ほんと、スポーツ好きで救われたわ。

 ここまで読んでくれた人がいたらほんとありがとう。
長く書いといてアレだけど、言いたいことを要約すると、大変なときほどとりあえず笑って明るくなんとかがんばろー、ってことです。

ほんとはそれしかないよね、最も大事なことって。


誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。