見出し画像

想像とは違った、心の動き方のはなし

 人は傷つくことを恐れるから、なんとか傷つかない理由をいろいろくっつけて記憶にとどめようとしてしまう生き物だとは思うけど、時間が経って考えると自分が傷つくかもと思うのと別の心の動き方をしたときの話を今日はします。

 友人知人となんだかうまくいかなくなって距離をとることって人は何度か経験しますよね、する、という前提で話進めていくことにするね。

 私、そういう時って「これは限界だ」とこちらが思ったときにノーと意思表示すること、を何度かしてきたんだけど、そのときに言った言葉とかを後から考えて「言いすぎてないだろうか」とかおろおろするわけ。

 で、いくつか経験している「距離をおく」の時のことを並べて見つめなおしてみたけれど、どのケースも「友達を自分から手放した」というよりは「相手の人は私のこと、大事にしたいような友達と思ってなかっただけなんじゃないかな?」ということに気づいたの。そしたらすごい楽になった。

 基本的に「この要求を飲んでほしい」「これを受け入れてほしい」と相手に言われたときに「ノー」と答えると「なんで? 今まで受け入れてくれたじゃん」的な展開になり、「そんなこというあなただと思ってなかった」的な反応をもらうことになる。

 これだとこっちが拒否した感じになってるから悩むんだけど、よく考えると基本的にこちらがお願いしたことは突っぱねられたり、こうしてほしいと思うことは簡単に破られる状況で、(自分からこうするからこうして、と言ってきたことなのに私がやる部分はやらせてから「やっぱり私これはやりたくない」で自分から提示してきたことをやらない、とか)むこうさんの思い通りに動かないと不機嫌になる、不機嫌を表現する、という時点で相手にとって私は「都合よく言うこときくからつきあってやってる」状態にすぎず、「お互いが楽しくできるような関係を構築しようと思える相手ではない」のだ、と気づいた。

 そうなると、「それほど大事じゃない私に対して時間とるのは無駄なんじゃないの?あなたにとっては。」と言うことは別に相手を傷つけることではないんですね。そこに気づいたからすごく楽になった。相手は別の都合のいい相手を探しにいくだけでしょ。これは誰も傷ついてない。「傷ついてる」と表現されるとしたら「思い通りのリアクションじゃないからイライラする」と言われてるだけのことですよね。それは私の心の持ちようが問題なのじゃなく、相手が「雑に扱っても100点の返しをしてくれ」と要求してるだけのことだもんな。それは基本みんな嫌がるでしょうね、というだけのこと。私の問題じゃない。

 まあ、そういう相手って自身がした失礼はノーカウントだと思ってるフシがあるので指摘しても「自分がそう思ったから言った。」というリアクションしか返ってきません。それなのにこちらのリアクションにご意見くださるというのは、客観的視点というのがないか、こっちのことを下の存在だと思ってるかのどっちかだね。お互い一緒にいてもいいことなさそう。

 今その人たちになにか反論されたら、不機嫌にならずにこちらのした質問にきちんと筋を通して答えることができるような人になってくださいねと言うのみです。自己都合や自己評価と他人から見た自分の姿が一致しないことに怒っててもなにも改善しないだろうよと。

 …友達と思われてないってことにショックを受けるかも、とおそらく自分の頭ではずっと思ってきたのけど、心はそうじゃなかったんですね。収まるところに収まっただけという感じの感覚だから軽くなりました。これは単純に、もっと細分化して考えて自分の中でどの要素が大事にしたい優先順位が高いことなのかを細かく分析すると出てくる答えなのかもしれないけど。

 いい年齢になってるから、いろんな人と接してきているのでわかることだけど、こちらの都合とか気持ちとかを気にかけてつきあおうとしてくれるような性格の人は世の中にはたくさんいるので、これからはそういう人たちとのつきあいとか接し方をより大事にしたいなと思います。

誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。