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2024年のわたし

 自己紹介シリーズ、2024年2月版です。簡潔にまとめたいなー。という願望はあるけど、果たして…
※前年の自己紹介はここ


好きなこと・もの


スポーツ観戦
野球は広島カープファン、JリーグはFC東京ファン。
広島カープは、現在坂倉将吾選手推し。
FC東京はSOCIO。ホームゲームはほぼ行く感じです。2024年のユニフォームは俵積田晃太選手のものを購入。

音楽をつくること
マスタリングが沼すぎてずっとそればっかり腕組んでうなってる。曲作る以前にそっちのケンキュウが長期に渡りすぎててソフトの技術のほうが私の理解度より先に進化してる気がしてる。何かは出来上がらなくても、頭をリセットするためには最高の趣味です。感情を切り離して没入できるから良い。

車窓写真撮ること
写真撮ると言ったら、ほとんど車に乗りながら助手席でシャッター切るスタイル。首都高はそれやってると結構酔います。横浜方面の高速道路も上下左右が激しいので寝不足、疲れてるときは酔いやすいです。←何の報告なんでしょう
ミニチュア写真撮ること
食玩的なやつとかガチャ的なやつとかを並べて撮るのが楽しいです。それに付随して、「こういうの並べたい」という欲求で小物を作る(というよりは作れるための研究だな)作業も好き。作業は好きだけど器用じゃないので成果物と言えるものが少ない笑

 自分で書いててわかった。自分の趣味は「これをこうやったらどうなるんだろうか」と考えてやってみて、やりながら「これはこうかもしれない」とか考えること自体が趣味のようだ。

 何かを作ること、っていうよりは作りながらあれこれ考えてみて、一個でも何かなるほどって思ったら成功、みたいなとこある。何かがうまく作れる器用さを全然持ってないのにそれらが続くのは考えること自体が好きだからなのかもしれないなー。

 スポーツ見るのが好きなのも、このシチュエーションだとどういう作戦でこれはうまくいくのかなるほど、とかシミュレーションしながら見るのが楽しいし、お客さんがピッチ上、グラウンド上、いわばステージと一体になってく様子を体感するのもすごく楽しいなと思う。そういう理由が大きいのでしょうね。

 スポーツ見慣れると世の中の流れのシミュレーションをしやすくなるのは事実だと思うし、スポーツを見ながら感じてることの蓄積は物事を考えるときの大きな支えになってます。「できる人が一人いたって全体が機能してなきゃ目的は達成できないことぐらい、サッカー見てればわかるやん、世の中だって一緒だよ」とかいう感じを、知識としてじゃなくて感覚でわかるようにはなる。それを感覚でわかるようになると、世間的な出来事や職場レベル仕事レベルの色んなシチュエーションで「多くが賛成してるみたいだけどこの意見にはついていっては危険だ」とかを判断する時の手助けにはなってる。「ボール保持率は高いけどこの形では突破できないし相手にボール取られたら即危険になるよね」、とかってサッカーではよく見るシーンだもんね。無意識だけど「原因と結果」を照合する機会を多く得てる、とは言える。

 感覚的にわかるようになることに対しての訓練は人によってさまざまな方法があると思うけど、自分の場合はスポーツ観戦で考えてる内容がだいぶ役に立っていると言える、という感じです。何事も器用だったら自分が何かやりながらわかるんだろうけど、器用にこなせない、進めない、シチュエーションが変化しない…が故、見ながらシミュレーションする方にアンテナ向けてるんだと思う。

好きじゃないこと

好きじゃないことの説明も今年は入れます、好きなものとの対比で敢えてというかんじ。行為という部分では、自分がしないようにしなきゃなあって思うことでもある。

・自分が上の立場だと見せつけるために話盛るとか人を落とすような空気
(本来の、誰かの実力とかこれが長けてるのがこの人、っていうのが見えづらくなるからバランスの良い仕事の割り振りをするのを阻害してしまいます。)
・他人の功績を自分の功績にしてしまうこと
(上と同じだよね。できないやつが出来るって言い張って仕事もってくと結果全体が混乱するし本来賞賛とか次の仕事が行くべき人のところに回るものが回らなくなる。全体が衰退します。)
・他人のおかげで成立してる物事なのに土台になってるものを傷つけたり無くしたりするようなことをしてしまうこと
(土台がなくなったら自分自身やまわりの存在が消えるのが避けられない構造ということなんで、絶対やっちゃいけないこと。その関係性がわからないのにそういう行為に出ることは他の何よりも愚か。)

↑上記のことは、みんな、やられたらイヤだよねって話で一致するようなことだとは思うんだけど。こういうのが考え方のベースで、看過できない物事なので人間関係の中でこれをやられたと感じた時は一発レッドカード出します、自分の中で。

 いずれの項目も、これがまかり通ると全体の関係性が結果的に悪くなるし、仕事関係のことでだったらいろんなことが滞る要因になるので看過できない、っていう感じ。人間関係でだと、これらを普通にやる人は自分がやられたことには大騒ぎして自分がやったことは反省しない傾向があるので一緒にいても尻ぬぐいさせられてばかりになる。

なので、自分がやらないように注意しないといけないし、やってしまったかもしれないと思ったときにはだいぶ落ち込みます。落ち込むから次はやらないように頑張ろうとできるのも事実。

…簡潔に、とは…

あ、最後に、今年に入ってわかったこと、一個。

今年に入ってわかったこと

神頼みするときは、こうなりたいからしてくれ、というよりも、「世の中にこういうものを還元したいから、それを達成するために自分にできることを割り振ってほしい」とか言う方が格段に効きが良い。事態が動きやすい。

↑です。自分がこの部分はやるから、って自分の中で明確にしてくこと自体が大事なのかもしれない。「自分がこの対処をする」と設定したことが世の中にどういうところで作用できる可能性があるかを理解できてないとこういうお願いの仕方はできないので、すなわちそれを理解できたときに実現できる確率が高くなる、というふうに解釈はできます。

 神頼みって、突き詰めていくと自分の中にあるものと向き合う作業でもあるので、自分の中にあるものを明確にしていくのが大事といえばそれだけのこと。「自分の中にあるものを明確に」とただ言われても曖昧すぎてどうすればいいのかわからなくなるので、神頼みという形で自分とちゃんと向き合う作業をするのは浮世離れした話じゃなくて現実的な話だと思う。神頼みって自分と向き合うのに向いてるシステムだよな、って話。

 できることが明確じゃないと実現しないことっていっぱいあるよね。でも、本当に自分が願ってることと頭の中でつながった言葉から来る「願望と思い込んでる物事」って別物であることがすごくよくあるのでそれを整理するところから、が大事なんだろうなって。

 うーん。やっぱり簡潔に書くの向いてないな。

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