卑怯な大人28

足の傷は完全には治っていませんでしたが

俺は川北病院を退院し家に戻りました。

夏休みが始まったこともあり

しばらく家で寝てました。

じりりーん

電話が鳴って取るとケンタッキーの

山本店長でした。

「おぉおぉ な なかもとくんかぁ」

なんか只事でない雰囲気です。

「もしもし どうしました?」

「中岡君店で倒れて 今、市民病院に運ばれたわ」

「えっ!!ほんますか」

「なにあったんすか?」

「いや仕事してて急に倒れたんや」

「俺 近いから行ってきますわ」

その頃の神戸市民病院はJR三ノ宮駅からずどんと

新神戸駅方面に突き当たったとこにありました。

今のANAクラウンプラザホテル神戸、昔の

新神戸オリエンタルホテルのとこらへんで

家から歩いて10分ほどのとこにありました。

全力で走って市民病院まで行くと面会謝絶の札がかかり

部屋の前には寝間着姿のお母さんと麻紀が心配そうな顔して

たちすくしていました。

ふと横を見ると小堀さんが震えて立っていました。

「えっ!」「どないなったん?」

麻紀に聞きました。

「わかれへんねんけど よくないみたい泣」

「お腹に水が溜まってるらしいねん」

俺は病気の事は詳しくないのでよくわからなかったが

雰囲気からして大ごとなのはわかった。

夜中までそこで一緒にいたが麻紀は同じ病院に入院している

おかあさんの部屋に泊まるらしく俺は家に戻った。

それから1週間後中岡は意識を一度も取り戻すことなく

あっけなく死んでしまいました。

正露丸を大量に飲んでたのは相当な痛みを

紛らわすためだったに違いないと思います。

家族と小堀さんとこれから生まれてくるであろう

子供を残し逝ってしまった。

死因は胃がんが転移しまくった結果の多臓器不全でした。

がんの転移で内臓がまともに機能しなくなったようです。

細胞が若くて元気なために転移の速度が速いらしく

全身ぼろぼろだったらしい。

しかも中岡はお母さんの事もあるのか超病院嫌いで

自分から病院には一回も行ったことないと言っていた。

いつも笑いながら病気は気力で治るとか言っていた。

(えー 一体なんや これは)(中岡 なんでや!)

俺は 今にも起きてきそうな その 灰色の死に顔をみたとき、今まで経験した事

のない暗い落ち込んだ何とも言えない世界に入り込もうとしていた。

続く。。。

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