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優先順位と他者

人にとって優先順位はその人を構成する
大切な考え方の軸になっている。

そして、その優先順位は年齢と共に変わっていくもので、自分が置かれている環境で変わっていくものだと思う。
最近その考え方で何ともわだかまりが残るものがあったから記録しておく。

帰省した際に遊ぼうと約束していた友人がいたのだが、前日に私の中で優先順位が一番高い事案とブッキングしてしまった為、仕方なく時間をずらせないか?と、その友人に確認をした。すると友人は理由は聞かずに、「ありえない。もっと早く言ってほしかった。もういいよ。」と激怒したのだ。
感情は沸々と湧き上がるものなので吐き捨てられても良いのだが、ショックだったのは私の中ではその友人を無下に扱う様な考えではなく、自分の優先順位を考えて出した答えであったにも関わらず一方的に責められたことだ。

友人からしたらその約束を貴重な時間と考えていた為、優先順位が高かったのかもしれない。
また、遊ぶ時間は決まっていなかったが時間がズレて予定変更になることが嫌だったのかもしれない。

しかし、私の心の中では正直"めんどくさい"と感じしまった。
何故なら、この年齢になってくるといろいろな働き方と生活時間が異なってきて優先順位が全く変わってくるからである。
人生=時間=命であり、それぐらい時間の使い方は考え方の軸において大切になってくるのだ。
しかし、その考え方は一緒にいない時間が長いと疎通性が取れず理解し難いものとなってしまう。そのため、たまに会う友人はお互いの優先順位がわからないまま正面衝突してしまうのだ。

私は今回めずらしく、謝って不快な気持ちを覚えた。優先順位の価値観が違うだけで、一方が責める、一方は謝るというのはなんともアンフェアなやり方ではないか?と。

その友人には最終的には何故激怒したのかを聞き、また私からも何故予定変更しなければいけなかったのかを説明したが、表面上で仲直り出来ても、ベースにある優先順位の共有は出来ていない。

そのため今後もこの様なことが起こることが予測される。

今まで生きてきたように「ごめんね」「いいよ」の仲直りはもう通用しない、そんな年齢に辿り着いたことを自分自身理解しなければならない。
そういった変化を遂げていく価値観をいちいち共有することは難しい。
だからこそ、久しぶりの友人に会う時には
"余裕と心づかい"は大切にしたいと感じた。

※追記
しかし、もしまたこのようなことがあったら構わず自分を優先するだろうとも感じた。優先順位の擦り合わせはなんとも難しく、これが原因で友人と疎遠になることも多いのかもしれない。

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