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無計画な行動は悪くないという話

やらなければならないこと、やること、やりたいこと、「やる」関係だけでもいろいろある。

これに、気になることとか、そのうちやるだろうことなんかをいれるといろんなパターンの「やる」ことがある。

こうやってきちんと分類して、なんとかタスクの形に見える化する。計画して、地道に実行していく。

と、できれば良い。できている人は問題ない。

僕はまずこういう形では物事が進まない。

だいたい分類からして怪しい。やらなければならないと思っていることも、実は時間が勝手に解決することが混じってしまうし、本来は優先順位の低い「気になること」に手をつけてしまうことはしばしばだ。

計画を立ててそのとおりに実行したことはなくはないけど、ちゃんとやってもまるで達成感がないなんてこともある。達成感がないというより、そこで感じる達成感が虚しいというやつだ。

だから無計画かというとそんなことはなくて、自分の中で二三日先を見ながらわりと目先のことをこなしていくことができる。予定の時間があるときには割と早めに現地に着いて待っていることも多い。

わりと短期的な興味で動いているように見えて、その興味自体は長いこと持ち続けているもので、それに直感的に引っかかるものに対してはどんどん行動する。傍目には全然関係ないことをしているように見えるし、自分でもそう思ったりするのだが、それがあとで本流の興味につながっていることに驚かれるし、自分でも驚く。

誰にでも当てはまることではないだろうと思う。だからこんなやり方は全く持って推奨できない。

でも、もっと直感を信じてもいいのではないか?と思うことはある。直感の行動に理由はいらない。やってから取捨選択する。いいところだけ取り入れればいい。

こんな行動様式だから、人様に迷惑をかけることはある。それはそれで問題なのだけれど、迷惑をかけることをあまりに恐れていると思考が萎縮するので良くない。

人に迷惑をかけるのが嫌な人は、「人に迷惑をかける!」とあえて考えて行動すると良い。それぐらいでちょうどいい。案外、人に迷惑をかけないように行動している人は無意識のうちに人に迷惑をかけていたりするものなのである。

僕の場合の自分の中心軸は直感である。ぴんとこないことはやらない。結果としてやらなければならないことを直前までやらないことが多い。刹那的な生き方に見えるにちがいない。

直感は実は無意識の活用なのである。いろんなことを無意識の世界に沈めていく。

無意識から意識にアクセスしてくるのが直感である。なによりこれを信じるようにする。

案外難しいことかもしれないが、頭がいっぱいになって難儀するのは無意識をうまく使えていないときである。自転車に乗るのと同じだ。

自分の無計画な行動に理由付するとこうなるというお話。

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