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ビールプロジェクト 太田 睦 インタビュー

今回インタビューを行ったのはビールプロジェクトのメンバーである太田 睦さん。大阪府出身で、Next Commons Lab遠野(以下、NCL遠野)には2017年4月に加入しました。同年11月に同じくビールプロジェクトメンバーの袴田さんと共同代表で株式会社遠野醸造を設立、2018年5月にはブルワリー「遠野醸造TAPRROOM」をオープン。遠野醸造では主にビール醸造を担当しています。
インタビューでは、NCL遠野に加入するまでの経緯や遠野醸造TAPROOMを設立するまで、また、これからの活動についてお話をお聞きしました。

------NCL遠野に加入するまでの経緯を教えてください。

 私は以前、電機メーカーの研究開発部門にいて、プラズマテレビなどを研究開発する仕事に就いていたんですが、56歳で早期退職して、その後国内外をブラブラしていたんです。タイに行って、竹で家を作るワークショップに参加したり、フィリピンの孤児院で算数を教える活動に参加したり。特に東ティモールには関わりを深くもっていました。東ティモールでは、修道院が経営する中高校でオーストラリアから寄付されたコンピューターをセットアップし直してコンピュータールームを作ったり、図書館管理のコンピューター導入のお手伝いを個人ボランティアでやっていました。


時々お休みをもらって東チモールで活動しているNPOやNGOの見学をさせてもらい「退職後のセカンドキャリアに何かヒントになるようなことはないだろうか」と話を聞いていました。
その中で感じたのは、ボランティア活動のように善意でお金や労力を提供する活動は長続きしづらいということです。災害時や紛争時に行われる緊急援助は切羽詰まった状況で行われるものですが、そこから立ち直っていくために行われる開発援助の問題が多いのです。こちらは善意でカネや物や人を出しているのに、それが現地の役に立たずにすれ違ってしまう。あるいは特定の個人や団体に利益が吸い取られて、本当に届けたい人に善意が届いていない。そんな話はたくさんありました。その一方で、コーヒー豆のフェアトレード事業のように長期的に現地の経済活動に加わって活動している団体もあった。要するにお金を援助しますよという話で終わらせずに、スタッフたちが現地の経済活動の中に入って生活しているんです。そうすることで、現地の方たちから信用されて、利害を共有した上で、活動を続けることができます。
なので、私が帰国してから何かをやるにしても、「こういうことやったらいいよ」と外部の視点でものをいったり、お金を寄付したり、時々開かれるワークショップに参加するだけで終わらせてはもったいないなと思うようになりました。やるからにはきちんと現場に入って、自分がプレイヤーとして働かないと大したことはできないだろうと考えるようになったんです。


------海外での活動で色々と考えたことがあり、それからNCL遠野と出会ったのですね。

全国各地の古民家で床張りワークショップを行う「全国床張り協会」というのがありまして、会社員時代から時々参加していました。2016年の4月に遠野でも開催されるというので、盛岡にいる友達を訪問するついでに立ち寄ればちょうどいいなと思いまして、バイクで来て遠野で床を張っていたんです。その家の家主がNCL代表の林さんだった。当時はNCLを立ち上げる前だったのですが、林さんと話をしていたら、急に「太田さんビール作りません?なんかそのひげ、ビールに似合ってますよ」って言い出したんです。すごい話の振り方ですよね。「なんですか、それは」と思ったんですが、とても印象に残りました。東京に帰ってから林さんのFacebookを見張っていたら、2ヶ月後くらいにNCL遠野の募集が始まったのです。ビールプロジェクトの中には経験不問のブルワー募集というのもあった。
募集を見ながら、「現地に入って、仕事をするっていうのは大きいな」と思いました。東チモールで芽生えた私の心の中の絶妙な所をついてきてくれたわけです。
それに醸造は一番楽しそうで、久々に自分がものづくりに携われるんじゃないかと感じて、応募しました。

------NCL遠野に加入してからはどんなことを?

最初は都内のブルワリーで3ヶ月間研修を受けて、その後はビールプロジェクトメンバーの袴田とふたりで一緒に、ときどきは別個に全国各地のブルワリーを周って話を聞かせてもらい、そのいくつかでは研修を受けました。あとで数えたら二人で30軒回ってました。遠野市に引っ越してきたのは2017年6月。事業計画書を何度も作り直しながら、借地物件を探していたんですがなかなか見つかりません。ようやく見つかったのは9月末。11月10日に会社を設立して、醸造免許申請をだして、装置を選定し、自力で物件の改修をして、醸造免許が下りたのが3月29日。それで4月3日に初仕込みをして、5月に開業しました。物件が見つかってからは本当に早かったです。

------本当に早いです。店内の改修作業や醸造設備の設置まで自分たちでやられていると聞きました。

そうです。必要な設備やビールの製造方法は研修でお世話になったブルワリーの方たちにアドバイスを貰いながら、コストを抑えるために設備の設置作業、改装作業はなるべく自分たちで行いました。ビールを製造する機械は設計図がない状態で届いたので、完成品の写真を見て作りました。大変だったけどまあ楽しかったですよ。いかにもモノづくりしてる感じがね。まさかここまで根本的なところからやらないといけないとは思わなかったけど(笑)。

------遠野醸造TAPROOMがオープンしたのが2018年5月。それから太田さんはどんなことをされているのですか?

今はひたすらビールを作っています。袴田がビールマニアなので、彼に新しくどんなビールをつくるかアイデアをもらって、つくるとなったらこうかなと考えるのが私の仕事です。
開業当時は朝から夕方まで、ビールづくりをして、夕方からTAPROOMの仕事をしていました。それでは身体が保たないので最近は、醸造所の仕事とTAPROOMの仕事は重ならないようにしてますが。それでも今は醸造所、TAPROOMのオペレーションをきちんと回すことで頭がいっぱいです。

------これからしていきたいことはありますか。

今まではとにかくまともなビールができるかどうか、それが不安だった。そこはなんとかこの夏でできるようになったかなという実感があるので、これから先は遠野ならではのビールや飲み物をこの醸造所でつくることができればいいかなと思います。

------太田さんの話を聞いていると、積極的に活動されていることがわかって、「ビールづくり」への想いの強さが感じられてきます。

何かをやってないと気が済まないんですよね。「早期退職できたんだから、家でのんびり暮らしていればいいじゃないですか」とか言われても、なんか面白くない。ついつい外に出たくなる。今まで蓄えたものを消費していくみたいな人生もないわけじゃないんでしょうけど、それが面白くない。消費だけで終わるのはちょっと癪なんですよ。少しは、消費だけじゃない活動をやっておきたいですよね。

------最後にNCL遠野に興味がある人にコメントがあればお願いします。

私は今年で還暦なんですがNCLの中で最高齢らしいんです。早期退職者の応募が少ないらしいんですが、私にとっては不思議です。早期退職者の方がこういう事業には挑戦しやすいんじゃないかなと思います。20代、30代だけじゃなくて、50代、60代の人もどんどんこういう機会を使えばいいじゃないでしょうか。

淡々とした話しぶりながら、ひとつひとつの言葉から、太田さんがこれまでの活動や今の状態を楽しんでいる様子が伝わってきました。
「ビールづくりができるようになってきている実感がでてきた」という太田さんの熱心さが、これからますますビールづくりに注がれて「これからどんなビールがつくられていくんだろう」とわくわくさせられます。
この記事を読んで、太田さんのNCLでの活動やものづくりに興味を持った方は、「遠野醸造TAPRROOM」を訪れて、太田さんとお話をしながらビールをぜひ味わってみてください。



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