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【イメージランニング】その8「滑車のイメージ」

2016年10月、ぼくは3度目の大阪マラソンのスタートラインにつきました。

3年ぶりに手にした貴重な出走権。いささか練習不足であったこともあり、失敗レースにならないよう、ぼくはいつもよりゆっくりめのペースでレースをスタートさせました。

レース序盤、興奮気味に追い抜いていく数多くのランナーを横目に、ぼくはたんたんと自分のペースを守りました。前半しっかりと体力を温存しておけば、必ず後半には、いまぼくを追い抜いていったひとたちを追い抜き返せると信じて。

こうして、はじめの10キロを1キロ5分15〜30秒ほどのペースで走りました。いつもは5分を切るペースで走るので、かなり余裕をもって走っているつもりでした。しかし、なんだか足が重い。

そのうち、足の裏に痛みが出てきました。痛みというのは、ランニングフォームが崩れていることに起因することが多い。ぼくは「巨大ロボットのイメージ」で自分のフォームを細かくチェックしました。

ヒザは「くの字」に曲がっているか大転子を引き上げているか前傾姿勢をとれているか……、いままで意識してきたことは、いずれも概ねできているようでした。

そうこうしている間にも、足裏の痛みはどんどんひどくなっていきます。距離はまだ15キロほど。とてもこの先30キロ近く、走れる気がしません。

いよいよ、マラソン人生初のリタイヤか……

諦めてしまうと、逆になんだか清々しい気持ちになるもので、ぼくは足が完全に動かなくなるまでやけくそで走ってやろうと、100メートル走をするが如く、腿を高く上げ、腕を大きく振り、

まるでカール・ルイスのようなフォームで走り出しました。

すると、どうでしょう。

足の裏がまるで痛くない。

腿を高く上げれば上げるほど、腕を大きく振れば振るほど、加速してゆきます。そのくせ、息はちっとも上がらない。まるで自分の体ではないかのように、ぐんぐん進んでゆくさまを、ぼくはしばしボーッと眺めていました。

そうしてしばらく走っていると、腿を上げる動きと、腕を後ろに引く動きが、連動しているように感じられてきました。そこで見えてきたのが、滑車のイメージです。


ぼくの体は、滑車によって連結された、腿と腕という2つのパーツの上げ下げのみによって、推進力を生み出しているように感じはじめました。

もしかしたら、レースの序盤、ぼくは体力を温存しようと思うあまり、腕や脚の動きを抑制してしまい、この滑車を利用した上げ下げを効果的に使えていなかったのかもしれません。

ためしに、ちょっとペースが落ちてきたなと思うとき、腕を引き、腿を少し高く上げてみると、たちまちペースがぐんとあがるのです。しかもほとんど余分な力を使うことなく。

おかげさまで、このレースも後半なんとかペースを持ち直し、ギリギリ3時間30分を切ってゴールすることができました。

そして、前々から思ってはいましたが、走るってつくづく物理だな、と改めて思ったのでした。

お気持ちだけで十分だと思っていますが、サポートされたくないわけではありません。むしろされたいです。