Walrus

The Beatles - I Am The Walrus (Official Video) - YouTube

I am he as you are he as you are me and we are all together.

後の世に多くブツギを醸したこの部分にさしたる意味はない
その他の部分も含めすべては単なる語呂合わせだ
皮肉屋の考えそうなことである

あなたが私であるようにあなたは彼であるから私は彼であるので人類皆兄弟

これは定言的三段論法なのだろうか

>演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない
>演繹は、 a の帰結として b を導くことを可能にする。ほかの言い方をすると、演繹は仮定されたことの帰結を導く過程である。妥当な演繹は、仮定が真であれば結論も真であることを保証する。
>帰納は、a が b を必然的に伴うときに、 b のいくらかの事例を挙げることから a を推論することを可能にする。帰納はいくらかの後件を観察した結果として前件を蓋然的に推論する過程である。
>アブダクションは、 b についての説明として a を推論することを可能にする。このためにアブダクションは「a は b を必然的に伴う」の前提条件 a がその帰結 b から推論されることを可能にする。このように帰納とアブダクションは「a は b を必然的に伴う」のような規則が推論のために使われる方向が異なる。アブダクションそれ自体としては、形式的には論理学でいう後件肯定に等しい。このようにアブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。

演繹の三段論法では前提が間違っていれば正しい帰結は得られない
一方で帰納は個々の事実や経験から出発するが事実の枚挙が少なければ結論の信頼性は薄れる
そこで帰納的検証は「似ているものを探す」とゆうのがパースの発想である
与えられているもの→与えられていないものとゆう順序ではなく
「本来はこのように与えられていた仮説があったのではないか」という方向を仮想的に樹立する

このフレーズのイコンには she がない
ほなこれは男色の話かとゆうとそうではない
歌っているジョンがIならheはポールだとしよう(youは読者)

I am the eggman, they are the eggmen. I am the walrus

ここではtheyになっているから
この段との関係はないのかも知れない

Glass Onion の歌詞では
The walrus was Paul のくだりがあるが
これもみんなが勝手に解釈しようとすることへのジョンの単なる皮肉である

アリスネタで行くなら
セイウチと大工にある 牡蠣(pole)のことだとゆうのもある

エッグマンとはハンプティダンプティのことではなくエリックバードンのことだとゆうのは
かれが女性に卵かけセックスを好んだとゆうことである
バタイユ
かようにジョンは謎かけが好きなのだが
火王星は基本的に裏表はなく 問題は辰(龍座)であること
自分の価値観のみで物事を判断するため
無秩序なパワーで周囲を混乱させるもとになってしまうこともあるからだ

ジョンはポールを嫌っていたわけではない
後のドキュメンタリーでも述懐している

思い立ったらもう走り始めている月王星のポール
さらには自由奔放に駆け巡る 午(子馬座)

HeにはIの思索が無縁のものであったとゆうことなのだ


再掲
I am he as you are he as you are me and we are all together.

早稲田大学第二文学部文学・言語系2年(当時)渡邉真衣子さんの和訳

君=彼、君=僕、だから僕は彼 みんな一緒

三段論法である
それぞれがイコールであるのはよいとして
2つの as が並列であるということでもないんじゃないだろうか
英語構文の入れ子構造から行くと後ろから括るはず

I am he (as you are he (as you are me)) and we are all together.

しかし次にこうしてみると

君=彼(E)、君=僕(T)、だから僕は彼(O) みんな一緒

>論理学では、説明はある領域を表現する論理的理論 T および観察の集合 O から行なわれる。アブダクションは T にしたがって O についての説明の集合を導き、そしてそれらの説明のうちの一つを選択する過程である。 E が T にしたがいつつ O の説明であるためには、 E は二つの条件を充足しなければならない。

O は E かつ T から導かれる。
E は T と無矛盾である。

形式論理学では、 O と E はリテラルの集合であると想定されている。これら二つの文は E が理論 T にしたがいつつ O の説明であるための条件である。通常これら二つの条件を充足する可能な説明 E に対して、他の最小限の条件が課せられるが、これは( O を内含することに寄与しない)的外れな事実がそれらの説明に含められることを避けるためである。アブダクションは E の要素を選択する過程でもある。

 
主文(O)は I am he である
その要素が英文の2つの後段(和訳では前段)である

上で you は読者としたが
やはり問題はこの you が誰なのかとゆうことになる

ブライアン・エプスタインはゲイであった
ただしジョンもポールもゲイではない

だから男色の話ではない
この時点でジョンはポールに対して悪意を持ってはいないのだ

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