渡りに船、地獄で仏に会ったよう

 サバナ・デ・ラ・マールの港には、ハリケーンでも来たら高潮にさらわれてしまいそうなほど、簡素なつくりの桟橋があるだけだった。
 木製の桟橋の先端に寄り添うように接岸している船は、漁船ぐらいのサイズ。年季を感じさせる船体だ。
 まさか沈まへんやろな……
 一抹の不安を抱えながら乗船してしばらくすると、サングラスをかけたゴリラみたいな船長と、コブラドールと呼ばれる運賃集金人が乗り込んできた。彼らのたくましい大きな背中は、まさに海の男。頼り甲斐を感じる。
 まぁ何とかなるやろ。
 この時の私は、自らの身に降りかかる惨劇を知る由もなかった。

 先週末は金曜日が「再興記念日(Día del Restauración)」という祝日で、土日と合わせて3連休だった。
 そこで、同期隊員や大使館関係者、現地人の友人と国内有数のビーチリゾートであるサマナへ旅行しようということになった。地方への泊りがけの旅行は、私個人としては初めてだ。
 サマナは、楕円を2つに割ったようなドミニカ共和国の国土の北東部から突き出た半島にある街で、時期によってはホエールウォッチングも楽しめる。
 私の住むアト・マジョールからサマナまで行き方は、陸路と海路の2ルートがあるが、私は前者に比べて直線距離を取れる海の道を採用した。
 アト・マジョールと同じく、国の東部に位置するミチェスの同期隊員も、当初は一緒に船で行くつもりだったのだが、彼は任地での活動や生活に思うところあって、今回の旅には不参加という道を選んだ。こんな時、一人くらいは「あいつはノリが悪い」なんて言う人がいそうなものだが、誰も彼を咎めるようなことをしないのは、なんだか協力隊らしくもあり、良い仲間に恵まれたよなと思う。
 そんなわけで、私の船旅は一人旅ということになったのだ。

 出港後15分ほど経ったろうか。沖に出ると、船は左右上下に大きく揺れ始めた。
 航路は半島に囲まれた湾、つまり内海を南北に進むわけだが、想像以上に波が高い。サマナまでは、まだ1時間ほどかかるはずだ。
 ちょ、ちょっとやばいかもしれん……
 酔いを意識し始めると、手足に痺れを覚え始めた。
 そう、何を隠そうこの男、子どもの頃から乗り物にめっぽう弱いのだ。この国に来る際には、経由地のアトランタ着陸5秒前に吐くという最悪のスタートを切った男である。
 日本から酔い止め薬を持参しているが、日本国内で船に乗った際にはほとんど酔わなかったので、大丈夫だろうと高をくくり、今回の旅には携行しなかった。
 指先の感覚がなくなってきた手で、リュックの中からビニール袋を取り出すのを見たコブラドールの青年が、こっちへ来いと手招きし始めた。吐くなら海に吐いていいぞということらしい。
 おぼつかない足取りで彼の手招きする船尾の方へ移動すると、船内から乗客のドミニカ人の笑い声が聞こえてきた。娯楽のない船上では、船酔いと戦うチーノは格好の見世物になるらしい。こんな時、彼らに笑顔の一つでも見せられれば良いのだが、今の私にそんな余裕はない。
 いよいよ込み上げてきた。
 船が海を切り裂くことで舞い上がる潮のしぶきを全身に浴びながら、船の縁から身を乗り出すと、青年は私が船から落ちないように左腕を優しく掴んで支えてくれた。
 一人じゃない。そう思えるのが少しだけ心強かった。
 その後も船は濃紺の海に私の吐瀉物をまき散らしながら、全速力で北上した。
 そ、そろそろ着くかな……
 顔を上げ、船の進行方向を見るが、はるか遠くに横たわる岸は全く近づいた気がしない。その上、手足だけじゃなく、胃まで痺れてきた。
 逃げ場のない船の上で、絶望的な気分になっていると、何人かの乗客がスッと爽やかな香りのする軟膏剤を嗅がせてくれたり、飲み水やハッカのキャンディーを差し出してくれた。
 そう言えば、次第に笑い声は聞こえなくなってきた。あまりに憔悴した私を見て、本気で心配してくれているらしい。しかし、気遣いを見せてくれた彼らに対して愛想よく「グラシアス」の一言すら言えなくなっていた私は、彼らの顔を見ることもできなかった。

 サマナの船着き場は、コンクリート製の堅牢なものだった。
 下船しようとする満身創痍の私に、乗客が口々に「大丈夫か」と声をかけてくれたのに対し、声を振り絞り「大丈夫だよ」と答え、力のない笑みを浮かべる。船の揺れは収まったのに、ふらふらとよろけながら歩く私を見た10代と思しき乗客の兄ちゃんは、私に肩を貸してくれた。
 航海中、ずっと私を介抱してくれたコブラドールの青年に「Muchas Gracias(本当にありがとう)」と声をかけ、手を差し出し握手を求めると、海の男の誇り高い笑みとともに、強く握り返してくれた。
 なーに、当然のことをしただけさ、と。
 最悪の旅路だったが、ドミニカ共和国の人々の優しさに救われる旅路でもあった。